ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

日本は無条件降伏していない2

2006-02-01 08:40:08 | 歴史
第3章 アメリカの思惑

 大東亜戦争の終戦にあたり、日本は無条件降伏したのではなかった。アメリカによって、無条件降伏したと同然の状態に、おとしめられたのである。その過程をより具体的に点検してみよう。
 第2次大戦の戦時中、アメリカは、日本の「無条件降伏」を前提とした占領政策を立案していた。その当初政策は、戦勝国の意志を一方的に敗戦国に押し付けようとするものだった。
 「無条件降伏」方式の構想は、米大統領フランクリン・ルーズヴェルトが南北戦争の戦後処理にヒントを得て、着想したものといわれる。彼の構想は早くも昭和18年1月26日、カサブランカ会談後の記者会見において、対枢軸国方針として声明され、同年11月27日のカイロ宣言においては「日本国の無条件降伏」という表現に特定された。

 ところがアメリカの意図に反し、昭和20年7月26日のポツダム宣言は、降伏条件を提示して日本に「有条件降伏」を求める内容となった。それは「日本国の無条件降伏」ではなく「全日本国軍隊の無条件降伏」を求めるものであり、アメリカの当初政策とは多くの点で著しく異なっていた。
 アメリカにすれば当初の狙いから大幅な後退を余儀なくされたわけである。その理由には、①ルーズヴェルトの病死、 ②日本軍の予想外の抵抗、③連合国間の思惑の変化などがあげられる。

 米国務省は、当初の「無条件降伏」方式が、ポツダム宣言によって重大な修正を加えられたことを認めていた。 ここにしっかり注目する必要がある。国務省は『1945年7月26日の宣言と国務省の政策との比較検討』において、次のように分析している。
 「この宣言は日本国及び日本国政府に対して降伏条件を提示した文書であり、受諾されれば国際法の一般規範によって解釈されるべき国際協定となるはずである。国際法では国際協定は双務的なものであり、不明確な条件は受諾した国に有利に解釈され、条件を提示した国はその意図を明確にする義務を負うものとされている。
 一方、国務省の政策は、従来、無条件降伏とはなんらの契約的要素を含まぬ一方的な降伏のことだと規定してきた」と。
ここに明瞭に記されているように、ポツダム宣言は、日本国を無条件降伏させるものではなかったのである。それは日本国のみならず連合国をも拘束する双務的な協定だった。したがって日本は、 占領中といえども、一方的に政策を押し付けられる立場ではなく、協定の相手方に対して、降伏条件の実行を求める権利を留保していたのである。

 ところが、アメリカ政府は、ポツダム宣言による双務契約を無視して「日本国は無条件降伏した」と言い張り、占領政策を強行しようとした。その意思は、昭和20年9月6日のマッカーサーへの『連合軍最高司令官の権限に関する通達』によって明確に打ち出された。
 この通達の第1項には「われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立つものではなく、無条件降伏を基礎とするものである」と明記されている。これはポツダム宣言からの逸脱であり、米国の当初政策に復帰させようという傍若無人な企てだった。

第4章 合意による降伏と占領

 ポツダム宣言に対し、日本政府は、8月10日付で申し入れをし、宣言の意図を確認した。これに対し、翌11日バーンズ米国務長官による連合国側の回答があった。それは、降伏と同時に天皇と日本政府の「国家統治の大権」が「連合国最高司令官の制限の下に置かれるもの」とし、「最終的の日本国の政府の形態はポツダム宣言に従い、日本国国民の自由に表明する意思により決定せられるべきもの」とする旨の回答だった。
 そこで、日本は、ポツダム宣言は国体を変更するという要求を含まないとの了解の下に受諾する用意がある旨を回答し、8月14日に同宣言を受諾した。そして、翌15日に、昭和天皇の「終戦の詔勅」(註2)が発せられ、全日本軍はいっせいに連合軍に降伏したのである。
 当時の鈴木貫太郎首相(註3)は、15日のラジオ放送で、次のように述べている。
 「帝国の存立の根基たる天皇陛下の統治大権に変化なきことを条件として、米、英、支並びにソ連の7月26日付共同宣言を受諾する用意のある旨を通告するに決し、政府は直ちにその手紙を採りましたところ、先方よりも回答が参りその回答を検討いしたしましたところ、天皇陛下の統治大権に変更なきことを確信致しましたので、ここに共同宣言を受諾することになりました」と。
 鈴木首相は、ポツダム宣言を受諾する過程で日本側からも条件を提示し、双方が了解したことを明らかにしている。また、日本政府とこれを提示した米英ソ中4国政府との関係が対等であることを示している。このような放送が、日本国民になされたのである。

 ポツダム宣言受諾当時、日本のジャーナリズムは、日本の降伏を無条件降伏などとは、全く考えていなかった。アメリカのジャーナリズムもまた、ドイツは無条件降伏であるのに対し、日本の降伏は有条件降伏と理解し、日本とドイツでは占領の態様も異なるものとなることを十分認識していた。

 終戦には、交戦国の合意による終戦と、勝者の征服による終戦があり、それによって合意による占領と、征服による占領とは、全く異なるものとなる。ドイツの場合は、国内での戦闘によって壊滅し、ヒトラーは自殺し、ナチスの幹部は自殺や国外逃亡などして、政府が存在しないという無政府状態となっていた。その占領は「征服」によるものであり、全国土が占領され、占領軍による直接の軍政がしかれた。
 これと違い、日本の場合は、天皇を元首とする政府が存在し、降伏条件を確認して、ポツダム宣言を国家の代表者が正式に受諾した。日本の占領は合意によるものであり、要所となる地点のみの占領を条件とし、日本国政府が降伏条件を履行するように国土の一部を担保とする保障占領という性格のものと解釈されていた。このような理解は、当時の日米のジャーナリズムの間に、ほぼ共通していた。

 昭和20年8月30日にマッカーサーは、厚木基地に降り立った。その3日後、米戦艦ミズーリ号の艦上で、日本国と連合国との降伏文書の調印が行われた。日本側は、重光外相と梅津参謀長が降伏文書に調印した。
 この時、日本国代表は「全日本軍の連合国に対する無条件降伏」を契約した文書に調印した。決して「日本国の無条件降伏」を認める文書に調印したのではない。実際、降伏文書は、日本側より8項目にわたる申し出をし、連合国がこれを受諾した形をとっている。それゆえ、これは一つの国際的合意であることは明らかである。日本が主権喪失したなどとは書かれていない。主権が存在することを前提として、その範囲を限定しているにすぎない。
 マッカーサーも、調印式において、「降伏条件が完全迅速かつ誠実に遵守されるよう、必要な措置を取る決意である」と声明した。彼自身も日本国が無条件降伏したのではないことを明確に認識していたのである。「降伏条件」と言っているではないか。

 ところが、かの人類史上初の原爆投下を決定したアメリカの指導者、トルーマン大統領は、日本の降伏を強引に無条件降伏と捻じ曲げようと企んでいた。彼が「無条件降伏」という捏造の主犯である。

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