昭和天皇は、三国同盟に反対し、米英との戦争を憂慮するなど、的確な洞察を示していました。それにもかかわらず、どうして天皇は開戦を止められなかったのでしょうか。
昭和16年9月6日の御前会議で、「戦争第一、交渉第ニ」の方針が決まりましたが、天皇は戦争に反対の意思を暗示しました。天皇は会議の結果を白紙に還元し、交渉を第一として極力努力することを期待したのです。ところが近衛は政権を投げ出し、後任の東条は開戦の道を進んだため、天皇の願いは実現されませんでした。
「問題の重点は石油だった」と『昭和天皇独白録』で、天皇は語っています。独伊と同盟を結んだことにより、米国は日本への石油等の輸出を禁止しました。石油を止められては、「日本は戦わず亡びる」と天皇は認識していました。天皇は次のように語っています。
「日米戦争は油で始まり油で終わったようなものであるが、開戦前の日米交渉にもし日独同盟がなかったら、米国は安心して日本に石油をくれたかも知れぬが、同盟のあるために日本に送った油が、ドイツに回送されはせぬかという懸念のために、交渉がまとまらなかったともいえるのではないかと思う」
「実に石油輸出禁止は日本を窮地に追い込んだものである。かくなった以上は、万一の僥倖に期しても、戦ったほうが良いという考えが決定的になったのは自然の勢いといわねばならぬ。もしあの時、私が主戦論を抑えたならば、陸海に多年練磨の精鋭なる軍を持ちながら、むざむざ米国に屈服するというので、国内の与論は必ず沸騰し、クーデタが起こったであろう」と。
昭和16年11月31日、天皇は高松宮に、開戦すれば「敗けはせぬかと思う」と語りました。高松宮が「それなら今止めてはどうか」とたずねるので、天皇は次のように語ったと言います。「私は立憲国の君主としては、政府と統帥部との一致した意見は認めなければならぬ。もし認めなければ、東条は辞職し、大きなクーデタが起こり、かえって滅茶苦茶な戦争論が支配的になるであろうと思い、戦争を止める事については、返事をしなかった」と。
同じ趣旨のことを、天皇は繰り返し語っています。「陸海軍の兵力の極度に弱った終戦の時においてすら、降伏に対しクーデタ様のものが起こった位だから、もし開戦の閣議決定に対し私がベトー(拒否)を行ったとしたならば、一体どうなったであろうか。(略)私が若(も)し開戦の決定に対してベトーをしたとしよう。国内は必ず大内乱となり、私は信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証できない。それは良いとしても結局、強暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行われ、果ては終戦も出来かねる結末となり、日本は亡びる事になったであろうと思う」と。
昭和16年12月1日、御前会議で遂に対米英戦争の開戦が決定されました。天皇は「その時は反対しても無駄だと思ったから、一言も言わなかった」と、『独白録』で語っています。
なぜ天皇は開戦を止め得なかったか、その答えを天皇自身は上記のように語っているのです。5・15事件、2・26事件では、首相らの重臣が殺傷されました。終戦時にも、玉音放送を阻止しようと一部の兵士が反乱を起こしました。天皇の懸念は切実なものだったことが分かります。
では、開戦後、早い時期に戦争を終結させることは出来なかったのでしょうか。ここで再び三国同盟が拘わってきます。日本は12月8日、米英と開戦するや3日後の11日に、三国単独不講和確約を結びました。同盟関係にある日独伊は、自国が戦争でどのような状況にあっても、単独では連合国と講和を結ばないという約束です。ここでわが国は、ドイツ、イタリアとまさに一蓮托生(いちれんたくしょう)の道を選んだことになります。昭和天皇は、このことに関し、『独白録』で次のように述べています。
「三国同盟は15年9月に成立したが、その後16年12月、日米開戦後できた三国単独不講和確約は、結果から見れば終始日本に害をなしたと思ふ」
「この確約なくば、日本が有利な地歩を占めた機会に、和平の機運を掴(つか)むことがきたかも知れぬ」と。
なんとわが国は、戦局が有利なうちに外交で講和を図るという手段を、自ら禁じていたのです。ヒトラーの謀略にだまされ、利用されるばかりの愚かな選択でした。ここでも天皇に仕える政治家や軍人が、大きな失策を積み重ね、国の進路を誤ったことが、歴然と浮かび上がってくるのです。
参考資料
・『昭和天皇独白録』(文春文庫)
・山本七平著『昭和天皇の研究』(祥伝社)
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『細川一彦著作集(CD)』(細川一彦事務所)
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昭和16年9月6日の御前会議で、「戦争第一、交渉第ニ」の方針が決まりましたが、天皇は戦争に反対の意思を暗示しました。天皇は会議の結果を白紙に還元し、交渉を第一として極力努力することを期待したのです。ところが近衛は政権を投げ出し、後任の東条は開戦の道を進んだため、天皇の願いは実現されませんでした。
「問題の重点は石油だった」と『昭和天皇独白録』で、天皇は語っています。独伊と同盟を結んだことにより、米国は日本への石油等の輸出を禁止しました。石油を止められては、「日本は戦わず亡びる」と天皇は認識していました。天皇は次のように語っています。
「日米戦争は油で始まり油で終わったようなものであるが、開戦前の日米交渉にもし日独同盟がなかったら、米国は安心して日本に石油をくれたかも知れぬが、同盟のあるために日本に送った油が、ドイツに回送されはせぬかという懸念のために、交渉がまとまらなかったともいえるのではないかと思う」
「実に石油輸出禁止は日本を窮地に追い込んだものである。かくなった以上は、万一の僥倖に期しても、戦ったほうが良いという考えが決定的になったのは自然の勢いといわねばならぬ。もしあの時、私が主戦論を抑えたならば、陸海に多年練磨の精鋭なる軍を持ちながら、むざむざ米国に屈服するというので、国内の与論は必ず沸騰し、クーデタが起こったであろう」と。
昭和16年11月31日、天皇は高松宮に、開戦すれば「敗けはせぬかと思う」と語りました。高松宮が「それなら今止めてはどうか」とたずねるので、天皇は次のように語ったと言います。「私は立憲国の君主としては、政府と統帥部との一致した意見は認めなければならぬ。もし認めなければ、東条は辞職し、大きなクーデタが起こり、かえって滅茶苦茶な戦争論が支配的になるであろうと思い、戦争を止める事については、返事をしなかった」と。
同じ趣旨のことを、天皇は繰り返し語っています。「陸海軍の兵力の極度に弱った終戦の時においてすら、降伏に対しクーデタ様のものが起こった位だから、もし開戦の閣議決定に対し私がベトー(拒否)を行ったとしたならば、一体どうなったであろうか。(略)私が若(も)し開戦の決定に対してベトーをしたとしよう。国内は必ず大内乱となり、私は信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証できない。それは良いとしても結局、強暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行われ、果ては終戦も出来かねる結末となり、日本は亡びる事になったであろうと思う」と。
昭和16年12月1日、御前会議で遂に対米英戦争の開戦が決定されました。天皇は「その時は反対しても無駄だと思ったから、一言も言わなかった」と、『独白録』で語っています。
なぜ天皇は開戦を止め得なかったか、その答えを天皇自身は上記のように語っているのです。5・15事件、2・26事件では、首相らの重臣が殺傷されました。終戦時にも、玉音放送を阻止しようと一部の兵士が反乱を起こしました。天皇の懸念は切実なものだったことが分かります。
では、開戦後、早い時期に戦争を終結させることは出来なかったのでしょうか。ここで再び三国同盟が拘わってきます。日本は12月8日、米英と開戦するや3日後の11日に、三国単独不講和確約を結びました。同盟関係にある日独伊は、自国が戦争でどのような状況にあっても、単独では連合国と講和を結ばないという約束です。ここでわが国は、ドイツ、イタリアとまさに一蓮托生(いちれんたくしょう)の道を選んだことになります。昭和天皇は、このことに関し、『独白録』で次のように述べています。
「三国同盟は15年9月に成立したが、その後16年12月、日米開戦後できた三国単独不講和確約は、結果から見れば終始日本に害をなしたと思ふ」
「この確約なくば、日本が有利な地歩を占めた機会に、和平の機運を掴(つか)むことがきたかも知れぬ」と。
なんとわが国は、戦局が有利なうちに外交で講和を図るという手段を、自ら禁じていたのです。ヒトラーの謀略にだまされ、利用されるばかりの愚かな選択でした。ここでも天皇に仕える政治家や軍人が、大きな失策を積み重ね、国の進路を誤ったことが、歴然と浮かび上がってくるのです。
参考資料
・『昭和天皇独白録』(文春文庫)
・山本七平著『昭和天皇の研究』(祥伝社)
次回に続く。
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https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
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『細川一彦著作集(CD)』(細川一彦事務所)
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