昭和天皇が自ら歩んだ時代を語った書が、『昭和天皇独白録』(文春文庫)です。
これは戦後、昭和21年3~4月に、昭和天皇が側近に語った言葉の記録です。それを読むと、昭和天皇が歴史の節目の多くの場合に、的確な判断をしていたことに、驚かされます。
最も重要な事実は、天皇は米英に対する戦争に反対だったことです。しかし、本心は反対であっても、立憲君主である以上、政府の決定を拒否することができません。拒否することは、憲法を無視することになり、専制君主と変わらなくなってしまうからです。そこで、天皇は昭和16年9月6日の御前会議において、自分の意見を述べるのではなく、明治天皇の御製を読み上げたのでした。
よもの海 みなはらからと 思ふ世に
など波風の たちさわぐらむ
これは対米英戦争の開始には反対である、戦争を回避するように、という昭和天皇の間接的な意思表示です。しかし、時の指導層は、この天皇の意思を黙殺して、無謀な戦争に突入したのです。結果は、大敗でした。
戦後、天皇は『昭和天皇独白録』でこの戦争について、次のように述べています。戦争の原因は「第一次世界大戦後の平和条約の内容に伏在している」と。「日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島還附を強いられたこと亦(また)然(しか)りである」と天皇は、長期的な背景があったことを指摘します。
昭和天皇はまた、わが国が大東亜戦争に敗れた原因について、自身の見解を明らかにしています。
「敗戦の原因は四つあると思う。
第一、兵法の研究が不充分であったこと、即ち孫子の『敵を知り己を知れば、百戦危からず』という根本原理を体得していなかったこと。
第ニ、余りに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視したこと。
第三、陸海軍の不一致。
第四、常識ある首脳者の存在しなかった事。往年の山県(有朋)、大山(巌)、山本権兵衛という様な大人物に欠け、政戦両略の不充分の点が多く、且(かつ)軍の首脳者の多くは専門家であって部下統率の力量に欠け、所謂(いわゆる)下克上の状態を招いたこと」
このように、天皇は敗因を分析しています。的を射ていることばかりです。
昭和天皇と大東亜戦争との関わりを振り返ってみると、まず日独伊三国軍事同盟をめぐる問題があります。昭和15年9月に、この同盟を締結したことは、わが国が決定的に進路を誤った出来事でした。当時、昭和天皇はヒトラーやムッソリーニと同盟を結ぶことを憂慮し、何度も同盟反対の意向を示していたのでした。
しかし、三国同盟は強硬に推し進められました。推進の中心には、外務大臣の松岡洋右がいました。松岡は、独ソ不可侵条約と三国同盟を結合することで、日独伊ソの四国協商が可能となり、それによって中国を支援する米英と対決する日本の立場を飛躍的に強めることができるだろう、という構想を持っていました。しかし、松岡の狙いは見事に外れました。これに対し、天皇は『独白録』で当時を振り返り、次のように語っています。
「同盟論者の趣旨は、ソ連を抱きこんで、日独伊ソの同盟を以て英米に対抗し以て日本の対米発言権を有力ならしめんとするにあるが、一方独乙の方から云はすれば、以て米国の対独参戦を牽制防止せんとするにあったのである」と。
天皇の方が、外交の専門家である松岡よりも、相手国の意図をよほど深く洞察していたことがわかります。
三国同盟が締結された当時、天皇は、時の首相近衛文麿に対して、次のように問い掛けていました。
「ドイツやイタリアのごとき国家と、このような緊密な同盟を結ばねばならぬことで、この国の前途はやはり心配である。私の代はよろしいが、私の子孫の代が思いやられる。本当に大丈夫なのか」
天皇は、独伊のようなファシスト国家と結ぶことは、米英両国を敵に回すことになり、わが国にとって甚だ危険なものだと見抜いていたのです。また、近衛首相に対して、次のようにも言っていたのでした。
「この条約のために、アメリカは日本に対して、すぐにも石油やくず鉄の輸出を停止してくるかもしれない。そうなったら日本はどうなるか。この後、長年月にわたって、大変な苦境と暗黒のうちに置かれるかもしれない」と。
実際、日独伊三国同盟の締結で、アメリカの対日姿勢は強硬となり、石油等の輸出が止められ、窮地に立った日本は戦争へ追い込まれていきました。同盟が引き起こす結果について、昭和天皇は実に明晰(めいせき)に予測していたことがわかります。この天皇の予見は不幸にして的中してしまったのです。当時の指導層が、もっと天皇の意向に沿う努力をしていたなら、日本の進路は変わっていたでしょう。
『昭和天皇独白録』は、その他の事柄に関しても、天皇自身による貴重な証言に満ちています。
参考資料
・『昭和天皇独白録』(文春文庫)
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『細川一彦著作集(CD)』(細川一彦事務所)
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これは戦後、昭和21年3~4月に、昭和天皇が側近に語った言葉の記録です。それを読むと、昭和天皇が歴史の節目の多くの場合に、的確な判断をしていたことに、驚かされます。
最も重要な事実は、天皇は米英に対する戦争に反対だったことです。しかし、本心は反対であっても、立憲君主である以上、政府の決定を拒否することができません。拒否することは、憲法を無視することになり、専制君主と変わらなくなってしまうからです。そこで、天皇は昭和16年9月6日の御前会議において、自分の意見を述べるのではなく、明治天皇の御製を読み上げたのでした。
よもの海 みなはらからと 思ふ世に
など波風の たちさわぐらむ
これは対米英戦争の開始には反対である、戦争を回避するように、という昭和天皇の間接的な意思表示です。しかし、時の指導層は、この天皇の意思を黙殺して、無謀な戦争に突入したのです。結果は、大敗でした。
戦後、天皇は『昭和天皇独白録』でこの戦争について、次のように述べています。戦争の原因は「第一次世界大戦後の平和条約の内容に伏在している」と。「日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島還附を強いられたこと亦(また)然(しか)りである」と天皇は、長期的な背景があったことを指摘します。
昭和天皇はまた、わが国が大東亜戦争に敗れた原因について、自身の見解を明らかにしています。
「敗戦の原因は四つあると思う。
第一、兵法の研究が不充分であったこと、即ち孫子の『敵を知り己を知れば、百戦危からず』という根本原理を体得していなかったこと。
第ニ、余りに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視したこと。
第三、陸海軍の不一致。
第四、常識ある首脳者の存在しなかった事。往年の山県(有朋)、大山(巌)、山本権兵衛という様な大人物に欠け、政戦両略の不充分の点が多く、且(かつ)軍の首脳者の多くは専門家であって部下統率の力量に欠け、所謂(いわゆる)下克上の状態を招いたこと」
このように、天皇は敗因を分析しています。的を射ていることばかりです。
昭和天皇と大東亜戦争との関わりを振り返ってみると、まず日独伊三国軍事同盟をめぐる問題があります。昭和15年9月に、この同盟を締結したことは、わが国が決定的に進路を誤った出来事でした。当時、昭和天皇はヒトラーやムッソリーニと同盟を結ぶことを憂慮し、何度も同盟反対の意向を示していたのでした。
しかし、三国同盟は強硬に推し進められました。推進の中心には、外務大臣の松岡洋右がいました。松岡は、独ソ不可侵条約と三国同盟を結合することで、日独伊ソの四国協商が可能となり、それによって中国を支援する米英と対決する日本の立場を飛躍的に強めることができるだろう、という構想を持っていました。しかし、松岡の狙いは見事に外れました。これに対し、天皇は『独白録』で当時を振り返り、次のように語っています。
「同盟論者の趣旨は、ソ連を抱きこんで、日独伊ソの同盟を以て英米に対抗し以て日本の対米発言権を有力ならしめんとするにあるが、一方独乙の方から云はすれば、以て米国の対独参戦を牽制防止せんとするにあったのである」と。
天皇の方が、外交の専門家である松岡よりも、相手国の意図をよほど深く洞察していたことがわかります。
三国同盟が締結された当時、天皇は、時の首相近衛文麿に対して、次のように問い掛けていました。
「ドイツやイタリアのごとき国家と、このような緊密な同盟を結ばねばならぬことで、この国の前途はやはり心配である。私の代はよろしいが、私の子孫の代が思いやられる。本当に大丈夫なのか」
天皇は、独伊のようなファシスト国家と結ぶことは、米英両国を敵に回すことになり、わが国にとって甚だ危険なものだと見抜いていたのです。また、近衛首相に対して、次のようにも言っていたのでした。
「この条約のために、アメリカは日本に対して、すぐにも石油やくず鉄の輸出を停止してくるかもしれない。そうなったら日本はどうなるか。この後、長年月にわたって、大変な苦境と暗黒のうちに置かれるかもしれない」と。
実際、日独伊三国同盟の締結で、アメリカの対日姿勢は強硬となり、石油等の輸出が止められ、窮地に立った日本は戦争へ追い込まれていきました。同盟が引き起こす結果について、昭和天皇は実に明晰(めいせき)に予測していたことがわかります。この天皇の予見は不幸にして的中してしまったのです。当時の指導層が、もっと天皇の意向に沿う努力をしていたなら、日本の進路は変わっていたでしょう。
『昭和天皇独白録』は、その他の事柄に関しても、天皇自身による貴重な証言に満ちています。
参考資料
・『昭和天皇独白録』(文春文庫)
次回に続く。
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『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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『細川一彦著作集(CD)』(細川一彦事務所)
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