ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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日本の心135~ナチス迎合を神道家が批判:葦津珍彦

2022-07-01 08:16:20 | 日本精神
 日本の固有の宗教は、神道です。それゆえ、神道には、日本人の心性がよく表れています。神道は「清き明き直き心」を理想としています。また闘争的・対立的でなく、共存調和をよしとします。戦後、神道は大きな誤解を受けていましたが、近年こうした神道の本質が正しく理解されるようになってきました。今では、海外でも神道が注目されつつあります。
 戦後、神道の評価回復に貢献した人物の一人に、葦津珍彦(あしづ・うずひこ)がいます。
 葦津は神道の理論家として知られています。彼は生涯、西郷隆盛と頭山満を尊敬しました。西郷隆盛のことは、日本人なら誰でも知っています。内村鑑三が英文の著書『代表的日本人』の第一に書いたのも、西郷でした。西郷は「敬天愛人」の精神を持って、私利私欲を超え、誠をもって公に奉じる生き方を貫きました。
 頭山満は、こうした西郷の精神を受け継いだ人物でした。彼は戦前の日本において、国家社会のために生きる在野の巨人として、広く敬愛を受け、「昭和の西郷さん」と呼ばれるほど、国民的な人気があったのです。
 葦津珍彦と頭山の縁は深く、葦津の父・耕次郎が大正時代、東京赤坂の霊南坂に住み、隣家の頭山と親交を結んでいたのが始まりです。その関係で、葦津は「少年時代から、頭山先生を絶世の英雄と信じ仰いできた者であって、ひそかに頭山門下をもって自任してきたものである」と書いています。そして、葦津は、頭山を通じて、西郷の「敬天愛人」の精神を、現代に受け継いだ人物でした。
 さて、戦前の日本は、ヒトラーのドイツ等と軍事同盟を結び、そのため国の進路を大きく誤りました。当時、葦津は、神道家の立場から、親独路線に強く反対しました。ゲルマン民族の優秀性を説き人種差別を行うナチスの思想は、我が国の精神とは相容れないと論じたのです。
 葦津は、戦前の我が国の歴史について、著書『明治維新と東洋の解放』にて次のように書いています。
 「大東亜戦争は、文字通りの総力戦であり、日本人のあらゆる力を総動員して戦われた。……日本国をして『東洋における欧州的一新帝国』たらしめたいとの明治以来の征服者的帝国主義の精神が、この大戦の中で猛威を逞しくしたのも事実である。それは同盟国ドイツのゲルマン的世界新秩序論に共感した。しかし日本人の中に、ゲルマン的権力主義に反発し、あくまでも、日本的道義の文化伝統を固執してやまない精神が、根づよく生きていたのも事実であった。
 日本人の中にあっても、概していえば政府や軍の意識を支配したものが主としてナチス型の精神であり、権力に遠い一般国民の意識の底にひそむものが、日本的道義思想であったということもできるであろう」
 葦津自身、戦前、政府や軍の親独路線を批判したため弾圧を受け、著書は細かく検閲を受け、発行できなくなりました。
 この点は重要です。戦前国策として行われていた神道は戦後、「国家神道」と呼ばれ、「国家神道」が戦争の重要な原因の一つであったと見なされてきました。これは、神道を危険視したアメリカの占領政策の影響です。しかし、事実は大きく異なるのです。葦津のような在野の神道家は、官製の「国家神道」に異を唱え、日本人でありながらナチス思想を模倣するような当時の風潮を断固批判したのです。
 葦津は、次のように書いています。「政治家や軍人の中に、いかにナチス流の征服主義の思想が強大であっても、かれらは、ヒトラーのごとくに強者の権利を主張し、征服者の栄光を説いて、それで日本国民の戦意を煽り立てることができなかった。かれらが日本人を戦線に動員するためには、古き由緒ある文明と最高の道義との象徴たる『天皇』の名においてのみ訴えることができた。……天皇の名において訴えるためには、かれらは『征服』の教義ではなくして『解放』の教義を説く以外になかった。しかも日本国民は、その解放の教義を信じ得る限りにおいてのみ、忠勇義烈の戦闘意識を発揮し得た。国民の意識は、天皇の精神的伝統的権威と結びついて、目に見えざる大きな圧力となって、戦時指導者に、間接的ではあるが大きな制約を加えていたことを見失ってはならない」
 事実、葦津の言うように、「大東亜戦争で、日本軍の影響の及んだところでは、インド、ビルマ、マライ、インドネシア、ベトナム、フィリピン、どこででも人種平等の『独立と解放』が大義名分とされた」のでした。ナチス流の反ユダヤ主義、人種主義は、日本では到底通用し得なかったのです。 
 神道家・葦津の大戦に対する反省は、真摯かつ率直です。
 「われわれは、日本軍が純粋に利他的に解放者としてのみ働いたなどというつもりは全くない。日本軍の意識の中には、征服者的なものも秘められてもいたであろうし、その行動には、専横で圧迫的な要素もあった。しかしそれと同時に、解放者としての使命感と解放者としての行動もあった。その二つの潮流が相合流していた。そこに歴史の真相がある。その征服者的な日本の側面については、東京裁判以来、あまりにも多くのことが誇張的にいわれており、しかも解放者的な側面については、ほとんど無視され否定されているのが現状である」と葦津は書いています。
 また、葦津は続けます。「日本帝国が掲げた『大東亜共栄圏』の精神は、いかなるものであったか。そこに日本人の侵略的植民地主義の影がなかったとはいいがたい。東洋における欧州的一新帝国を目標として成長して来た日本の政府や軍の体質の中には、それは当然に強力に存在するものであった。だがそれと同時に日本民族の中に営々として流れた日本的道義の意識、アジア解放の悲願の存在したことも無視してはならない。そこには清くして高きものと、濁りて低きものとが相錯綜し激突しながら流れて行った」と。
 戦前の我が国の指導層は、西洋思想の影響を受け、ナチス・ファッショを模倣して、日本人本来の在り方を見失いました。しかし、国民の多くは、善良な日本人の心を保っていたのです。そこには、「清き明き直き心」を理想とし、共存調和をよしとする神道的な精神が脈打っていたのです。
 私たちは、奢(おご)ることも、また卑下することもなく、自国の歴史・文化・伝統を、広い視野をもってとらえる必要があるでしょう。
 そして、さらに日本的な精神の真髄を学びたいと願う人々には、「明けゆく世界運動」の創始者・大塚寛一総裁の教えに触れることを、強くお勧めします。大塚総裁は戦前、戦争回避・不戦必勝を説く建白書を、昭和14年9月から昭和20年の終戦間際まで、時の指導層に対し、毎回千余通送られました。戦後、大塚総裁は、国民大衆に神の道を広め、真の世界平和の実現をめざす運動を、行ってきました。それが、「明けゆく世界運動」です。大塚総裁の教えを知ることによって、真の日本精神・神の道を学ぶことができます。

参考資料
・葦津珍彦著『明治維新と東洋の解放』(皇学館大学出版部)『神道的日本民族論』(絶版)『明治維新と東洋の解放』(皇学館大学出版部)

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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