ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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戦略論33~鉄砲の登場、ナポレオン戦争

2022-07-26 08:31:14 | 戦略論
●鉄砲の登場による戦術の変化

 古代から中世までは、人間が馬に乗り、手で鋭利な武器を操って戦うという戦術は、変わらなかった。そこに劇的な変化が起こったのは、銃砲の登場による。
 銃砲は、弓矢や投石機などの射出武器が進歩したものである。それまでの射出武器は、人間の身体的な能力によって物を飛ばす武器だったが、火薬の爆発力が利用されるようになった。
 火薬は、シナ文明で9世紀に発明された。不老長寿の薬を求める錬丹術の研究の中で作られた。最初に実用化されたのは黒色火薬で、13世頃に火器に使用されるようになった。元を通じて全モンゴル軍で使われた時は、火薬弾として使用された。ヨーロッパでは、火薬は14世紀から銃砲の発射薬として使用され、15世紀には小銃が現れて従来の戦法を一新した。ルネサンスの時代である。
 小銃は、それまでの重装甲の騎士軍を無力化した。火砲は、中世式の城砦を破壊できた。15世紀末に火縄銃が発明され、1543年にはわが国に伝わった。銃砲の普及は、築城術に大きな変化をもたらし、銃砲の攻撃に耐え得る近代的要塞が出現した。海戦においても、威力ある大砲が船の船体に穴を開け、敵艦隊を沈没させた。
 ヨーロッパで近代国家が発生した時、最初の国家体制は絶対王政だった。当時の国王の軍隊は、傭兵を主体とした。それが18世紀末まで続いた。小銃を持った兵士が横に並んで緩慢に行進して近接距離になったところで射ち合う横隊戦術が取られた。18世紀後半からイギリスを先頭に産業革命が進展すると、銃砲の発射速度や精度が増し、横隊は次第に散開隊形に変わった。武器の技術の進歩とともに、戦術にも大きな変化が起こり、戦闘による殺傷力・破壊力は増大した。

●ナポレオン戦争が歴史的転機

 近代国民国家は、17世紀イギリスの市民革命を通じて出現した。資本主義がする発達する中で、自由主義・民主主義が普及した。1776年、イギリスの植民地だったアメリカが君主制の宗主国から独立し、共和制の国家を建国した。1789年に始まるフランスの市民革命では、君主制が打倒され、共和制に移行した。その後、何度か政体が変化したが、革命の成果を外国の干渉から守るために国民徴兵による大規模な軍隊が作られた。軍隊は多数の列を組んだ縦隊で急速に行進し、戦闘に当たっては散開して銃砲で攻撃した。動揺する敵陣に白兵突撃を行い、騎兵や予備隊が追撃した。
 ナポレオン・ボナパルトという人類史上、屈指の軍事的な天才の出現によって、戦争の歴史は大きな転機を迎えた。ナポレオン戦争は、近代国民国家の戦争だった。国民国家は、国民が政治に参加する権利を持つとともに、国民が祖国を防衛する義務を負うのが基本である。徴兵制によって国民が参加して行われるようになった戦争を、国民戦争という。国民戦争は、絶対王政の傭兵による軍隊よりはるかに大規模な兵力で戦われる。そのため、将帥の経験や直観に頼らない合理的な軍事理論が必要とされるようになった。また、戦争は従来に増して国家の興亡盛衰に大きく影響するようになったため、政治と軍事の関係の明確化が求められた。そこで18世紀末から、それまで混然としていた戦略と戦術が明確に区別して使用されるようになった。
 ナポレオン戦争の研究を通じて、こうした時代の要請に応える軍事理論が発達した。19世紀前半には、クラウゼウィッツやジョミニがその理論を集大成した。彼らの理論書では、政治と戦争の関係、政治的目的と軍事的手段、指揮官の意義、合理的決断、戦力の優越性の原則、欺瞞や奇襲などの軍事戦略に関する主題が総合的に論じられている。彼らの理論を基盤として、戦略論は今日まで発達してきている。

 次回に続く。

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