写真は、221005発売の「週刊プロレス」です。
221001、アントニオ猪木さんが亡くなりました、79歳。
ここ3年程(だと思う)、難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中でした。
この難病が、猪木さんにとって最大の強敵となったか・・・。
猪木追悼VTRは、↓をクリック。3分57秒に名場面がつまっています☆
https://www.youtube.com/watch?v=AWxwmqzbOaw
私が、猪木さんの最も古い試合で、テレビで見た記憶があるのは・・・。
1983年6月2日、東京・蔵前国技館、第1回IWGP優勝決定戦。
「ハルク・ホーガンvsアントニオ猪木」です。
散々盛り上げて、あとは猪木さんが優勝すればハッピーエンドの試合。
それなのに、ホーガンのアックスボンバーで、舌を出したまま失神。
バッドエンドにしてしまいました★
でも、この「舌出し失神」が一般紙などにも報道されたようで・・・。
猪木さんが常に意識していた「世間」には届いたようでした。
猪木さんの目的は、世間の目をプロレスに振り向かせることなので。
猪木さんが、予定調和で当たり前のように勝っていたら・・・。
「プロレス内」の話で終了、世間には届かなかったしょう。
その意味では、バッドエンドとは言えないかもしれませんね。
ただ私は、この試合をオンタイムで見ていたわけではなさそうで・・・。
あとから、何度も映像が流れたので知っているのだと思います。
私が、しっかりプロレスを見始めたのは、この試合の1年後くらいからか?
だから、私が特に好きだった歴代日本のプロレスラーは・・・。
● 前田日明(新日に出戻り時代、第2次UWF時代)
● 天龍源一郎(「天龍革命」以降の全日時代)
● 大仁田厚(FMW時代)
● 松永光弘(W★ING時代)
● 武藤敬司(2回目の凱旋帰国〔NKホール〕以降の新日時代)
● 内藤哲也(ロスインゴ結成以降の新日時代)
・・・こんな感じで、猪木さんの全盛期のあとになりますね。
↑写真は、220226参戦、新日50周年記念展示会「シンニチイズム」より。
そんなわけで、私がしっかりオンタイムで見た試合限定で・・・。
猪木さんの名勝負ベスト10を選びましたよ。
全盛期は過ぎているので、負けている試合もありますが★
今回は、第10位~第6位までを紹介します☆
----------------------------------------------------------------------
10位「アントニオ猪木vs藤原喜明」
<1986年2月6日 東京・両国国技館>
猪木さんは、試合中、藤原のアキレス腱固めに「角度が違う」と言う。
急所(付近?)へのキックを入れる。
ラストは、スリーパーホールドで絞め落として勝利。
試合よりも印象に残っているのが、試合終了直後です。
藤原のセコンドについていた前田日明が、リング上に飛び込んできて・・・。
猪木さんの首めがけて、正面から左ハイキック一閃!
前田は、猪木さんの藤原への対応に怒っていたのでしょう。
猪木さんは一発でダウン、試合よりも魂がこもった前田の一発でした。
そして、前田UWF軍と猪木以外の新日軍が大乱闘へ・・・。
ここで飛び出した前田の名言が・・・。
「アントニオ猪木なら、何をやっても許されるのか?」
前田の危険な魅力が、試合を上回ってしまいました。
09位「ショータ・チョチョシビリvsアントニオ猪木」
<1989年4月24日 東京ドーム(私が会場参戦)>
プロレスの東京ドーム興行は、これが初でした。
普通だったら反対意見が多いかと思います。
観客が来なかったらどうする、リングが遠くて見えないのでは・・・とか。
でも、そこは「一歩踏み出す」ということですね。
猪木さんが(新日フロントが?)、勇気を出して一歩踏み出したので・・・。
今は、当たり前のように東京ドームでプロレス興行が開催されます。
猪木さんは、メインのノーロープ円形リングで異種格闘技戦。
相手は、ミュンヘン・オリンピック柔道無差別級金メダリストです。
結果は、チョチョシビリの裏投げ3連発で、猪木さんのKO負け・・・。
このあと猪木さんは、1989年内に、スポーツ平和党を設立。
参議院選挙に立候補して、なんと、当選してしまいます。
猪木さんの闘う心は、リングから国会に移っていたのかなと思います。
08位「天龍源一郎vsアントニオ猪木」
<1994年1月4日 東京ドーム(私が会場参戦)>
猪木さんは、試合中に天龍をスリーパーホールドで捕獲。
おそらく、落とした(失神させた)と思います。
でも、ダウンカウントなどは入らず、試合は時間を置いて続行。
最後は、天龍のパワーボムで負けてしまいます。
猪木さんは、カウント2.9で返したようにも見えましたが・・・。
記憶では、猪木さんは、まだ試合を続けられそうな感じでした。
猪木さんは、というか新日は・・・。
「猪木は、勝負に勝って、試合に負けた」としたかったのかなと。
猪木さんの傷は、半分くらいで済みますからね。
天龍は、日本人レスラーで唯一・・・。
「馬場と猪木にフォール勝ちしたレスラー」の勲章を得ました。
嬉しかったと思います、いくらお金を積んでも手に入らない勲章☆
07位「アントニオ猪木vsブルーザー・ブロディ」
<1985年4月18日 東京・両国国技館>
当時、私がイチバン好きな外国人レスラーは、ブロディでした。
全日で闘っていたブロディを、新日が引き抜いたのです。
大物外国人レスラー、最後の引き抜きだったでしょうか、驚きましたよ。
でも、これで「ブロディvs猪木」が見られるのです。
当時、私はよく「夢の対決」などを考えていたと思いますが・・・。
私の「夢の対決」リスト、1位くらいのビッグ・カードでした。
記憶が色濃いのは試合前、ブロディが猪木さんの控室を襲撃したことですね。
ブロディ入場時のチェーン使用について、揉めていたはずです。
ブロディ、襲撃なんてしなくても勝てるはずなのに・・・。
試合の結果は、「両者リングアウト」で引き分け。
この後も、2人は何度かシングルで対決しますが、明確な勝敗はつかず★
新日とブロディは、いつも契約その他で揉めていた印象でした。
猪木さんの延髄斬りを受けても、ダウンしないブロディが目に浮かびます。
いわゆる「バンプを取らない」というやつですが・・・。
ブロディのプライドの高さが出ていましたね。
06位「アントニオ猪木vsビッグバン・ベイダー」
<1996年1月4日 東京ドーム>
「INOKI FINAL COUNT DOWN 5th」です、猪木さん52歳・・・。
ここでベイダー戦は、荷が重いと思いました。
ベイダー、この時で190cm、170kgだったでしょうか。
とにかく、ほとんどのファンが覚えているシーンがあるのです。
ベイダーの投げっ放しジャーマンで、猪木さんが脳天から垂直落下、くの字!
猪木さんは口が半開きのまま目は閉じて、しばらく硬直していました。
「猪木、もうムリだろ・・・」と誰もが思ったのですが・・・。
続くベイダーの、超重量ムーンサルトプレスもカウント2で返しました。
ラストは腕ひしぎ逆十字で、なんとかベイダーからギブアップ勝ち。
「なんとか、ベイダー戦をやり切った」ということでいいのでしょうかね。
----------------------------------------------------------------------
さて、私が選んだ猪木さんの名勝負は・・・。
猪木さんの、シングルマッチばかりになってしまいました。
タッグマッチも数試合思い出したのですが。
例えば・・・。
「新日本 vs UWF 5対5 イリミネーションマッチ」
<1986年3月26日 東京体育館>
「藤波辰巳&木村健吾vsアントニオ猪木&坂口征二」
<1985年12月12日 宮城県スポーツセンター>
・・・ただ、シングルマッチのほうが、より明確に覚えているので。
そして、名勝負ではありませんが、印象に残っているタッグマッチを。
「アントニオ猪木&坂口征二vs橋本真也&蝶野正洋」
<1990年2月10日 東京ドーム>
試合は、46歳の猪木さんが橋本に蹴られまくった印象だけです★
この試合の名場面は、試合前にありましたよね。
猪木さんの「闘強導夢張り手」が炸裂するシーンです。
入場前の緊張しているときに、アナウンサーが猪木さんに対して・・・。
「もし負けるということがあると、勝負は時の運という言葉で済まないことになりますが」
・・・アナウンサーがKYというか、「負ける前提」のような言い方★
それに対して、猪木さんが・・・。
「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」
・・・と言いながら、アナウンサーにビンタ! そりゃそうだ★
子どもに対応していると、部活の試合前やテスト前など・・・。
「勝ってこない」「絶対ムリ」などの言葉を聞くことも多いです。
そんなとき、子どもにぜひ聞いてほしい名言ですね☆
まずは、「勝とう」「全力で解こう」と思って取り組むことですね。
さあ、第5位~第1位の名勝負は・・・。
・・・次回、ラストで☆
↑写真は、220226参戦、新日50周年記念展示会「シンニチイズム」より。
----------------------------------------------------------------------