写真は、221013発売の「週刊プロレス増刊号」です。
221001、アントニオ猪木さんが亡くなりました、79歳。
ここ3年程(だと思う)、難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中でした。
この難病が、猪木さんにとって最大の強敵となったか・・・。
猪木追悼VTRは、↓をクリック。3分57秒に名場面がつまっています☆
https://www.youtube.com/watch?v=AWxwmqzbOaw
私が、初めてライブのプロレス興行に参戦したのは・・・。
1987年12月27日、新日本プロレスの東京・両国国技館でした。
2階席、3000円のチケットで、同級生と2人で参戦しましたよ。
「1987年12月27日 両国」でピンときた人は、けっこうマニアかも。
この興行は、悪名高き「’87イヤーエンド国技館」、暴動のあった興行です。
とにかく、この日、猪木さん独断のカード変更がスベっていたのです★
カード変更しても、その試合が素晴らしければノー問題のこともあります。
「終わりよければ、すべてよし」となるのですが・・・。
試合もスベっていたのです★(←観客が、泣きっ面に蜂状態)
人生初参戦のプロレスが、暴動の興行って・・・。
プロレスがイヤになっても、おかしくないかもしれませんが。
私は、どちらかというと「これもプロレス」のような考え方で。
会場のライブの盛り上がり、観客の喜怒哀楽がこんなに出るもんだなと。
よく言えば、ハプニングを楽しめるほど、もうマニアに近かったと。
もうプロレスの週刊誌も毎週購入していた気がしますし。
その両国で、観客の暴動を引き起こした張本人・・・。
アントニオ猪木さんの名勝負ベスト10、残りの試合です。
全盛期は過ぎていましたが、今回は勝った試合が多いですね♪
今回は、前回の記事に続き、第5位~第1位を紹介します☆
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05位「アントニオ猪木vsアンドレ・ザ・ジャイアント」
<1986年6月17日 名古屋・愛知県体育館>
アンドレは、公称223cm、235kg☆
異名は「大巨人」「人間山脈」「一人民族大移動」「現代のガリバー旅行記」・・・。
もう『ONE PIECE』に登場するキャラと思った方がいいくらいです★
↑写真は、220226参戦、新日50周年記念展示会より、等身大アンドレと私です☆
ただ、アンドレも全盛期は過ぎていました。
結果は、猪木さんが腕固めでギブアップ勝ち。
「アンドレ」になってからは、初のギブアップ負けだったと思います。
勝った後に、猪木さんが笑顔で両腕を突き上げて・・・。
嬉しそうにリングを走り回っていた記憶があるのですが。
それくらい、ほとんどありえないことだったのです。
アンドレは、このシリーズが最後の新日参戦でした。
今まで世話になった猪木さんに、勲章を与えて去っていったような。
アンドレ、義理堅いです。
04位「アントニオ猪木vsマサ斎藤」
<1987年10月4日 山口・巌流島>
猪木さんは44歳、テレビの特番向けの試合という感じがしましたね。
巌流島での試合は、観客なし、マスコミとテレビカメラだけ入りました。
夜になると、篝火(かがりび)をいくつも灯しながら闘っていました。
猪木さんが、マサさんを篝火に投げつける!というシーンを覚えています。
篝火は倒れてしまい、マサさんかなり熱いでしょ、いや~、無茶するなあと。
試合結果は、2時間5分14秒、猪木さんのスリーパーでTKO勝ち。
やはり、前例のない目を引く闘いの形式なので・・・。
「世間に届くように」とやっていたとは思いますが。
私は、何かを浄化するためにやっていたように見えていました。
03位「アントニオ猪木vs藤波辰巳」
<1985年9月19日 東京体育館>
私の名勝負ベスト10の中では、猪木さんがイチバン若い試合です。
特別な試合だったので、レフェリーは、名レスラーのルー・テーズが。
新日ストロングスタイルの原点回帰のような試合になりましたね。
藤波の執拗な足4の字固めに、猪木さんは「折ってみろ!」と。
足4の字固めで、足が折れることはないかと思いますが・・・。
猪木さんは、自分に気合を入れて耐えているのですね。
ラストは、35分29秒、猪木さんの卍固めでレフェリーストップ勝ち。
当時敵対していた(はず)上田馬之助が、健闘を称えるためにリング内へ。
敵も魅了するくらい、熱の入った名勝負でした。
02位「アントニオ猪木vsリック・フレアー」
<1995年4月29日 北朝鮮・平壌・メーデー・スタジアム>
「猪木vsブロディ」と共に、私の夢の対決は「猪木vsフレアー」でした。
以前は、ブロディもフレアーも全日に参戦、新日には参戦できない時代。
まさか、それが異国の「平和の祭典」で実現してしまうとは・・・。
興行ではなく式典のようなものですが、4月28日&4月29日の2回開催。
1日目の来場者は19万人、2日目の来場者も19万人(有料ではない)。
2日合わせて、38万人の来場者がいたとなっています。
来場者は、プロレスを見たことがない人々です。
1日目は、どう見たらいいのか、イマイチ盛り上がらなかったとか★
そして、1日目は猪木さんの試合もなし。
猪木さんは、大トリの2日目のメイン(だけ)に登場しました。
猪木さんは、「英雄・力道山の弟子」として、名前は知れ渡っていました。
それもあってか、猪木さんのアクションに来場者が大盛り上がり。
対戦相手が金髪で「いかにもアメリカン」なフレアーだったのも追い風。
プロレスの原点「善vs悪」は、初めてプロレスを見る人にもわかりやすい♪
フレアーなんて、やられっぷりも「プロレスの達人」レベルですよ。
もちろん、猪木さんの表現力の強さもあったと思いますが。
試合は、猪木さんが延髄斬りでフレアーからフォール勝ち。
2人の名レスラーの闘いは、プロレスを知らない人たちも魅了しました☆
01位「藤波辰巳vsアントニオ猪木」
<1988年8月8日 神奈川・横浜文化体育館>
猪木さんの名勝負といえば、真っ先にこの試合を思い出します。
「これが真の引退試合だったんじゃないの?」と言われる試合。
猪木さんは、藤波のIWGPヘビー級のベルトに挑戦する立場でした。
この2人が闘うと、やはり新日ストロングスタイルの原点のような。
じっくり寝技が多いのですが、力の入った攻防が繰り広げられました。
2022年のように、運動能力の高い選手が動き回るわけではないのですが。
試合は、60分時間切れ引き分けでした。
真夏の横浜文体、さぞ暑かったことでしょう。
45歳の猪木さん、60分間、よく最後まで闘い通したなあと。
試合後は、猪木さんが藤波にベルトを巻いてあげたと思います。
新日の主役が伝承されたということか・・・。
切ないシーンですが、いつかは受け継がれなければなりません。
その後が、またまた名シーンです。
リング上で、猪木さんを長州力が肩車、同時に藤波を越中詩郎が肩車。
猪木さんと藤波は、肩車されながら握手をして2人共涙目でした。
もう最終回濃度MAX、この場面が特に泣けるところでした・・・☆
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そして、名勝負には入りませんでしたが・・・。
1998年4月4日、東京ドームが猪木さんの引退試合でした。
観客数は7万人(主催者発表)、私も参戦しましたよ♪
猪木さんは、このとき55歳。
試合は、4分9秒の短時間で、ドン・フライからフォール勝ち。
もう短時間でスパッと終わったほうがいいかと思います★
試合後、マイクで「道」の朗読を行います。
ここが、この日、イチバンの名場面でしたね~。
「この道を行けば、
どうなるものか、
危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。
踏み出せば、
その一足が道となり、
その一足が道となる。
迷わず行けよ。
行けばわかるさ!」
朗読の直後の「ありがとーーーっっ!」も印象深いですね。
引退試合後の猪木さんのマイク、そして「道」の朗読は、↓をクリック。
https://www.youtube.com/watch?v=6Nydpx0lL_8
「迷わず行けよ 行けばわかるさ!」
私も、意識することが多いですよ。
「結果はともかく、やりたいと思うことはやってみよう」と。
引退後も、色々なところで猪木さんを見ることが多かったです。
道のないところに道をつくったプロレスラー。
十分、世間に届いていたと思います。
天国では、ついに「猪木さんvs馬場さん」のシングルマッチが・・・。
猪木さん、長い間ありがとうございました。
↑写真は、220226参戦、新日50周年記念展示会「シンニチイズム」より。
「いつ何時(なんどき)、誰の挑戦でも受ける!」
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