ブログ・アビット

埼玉県新白岡の学習塾、アビット新白岡校の日常と教室長の日常をお送りします。

ロックンロール県庁所在地

2006-09-30 | 本日の授業

Cimg0300

写真は、90年代前半の人気歌手、森高千里のベストアルバム『DO THE BEST』です(古い!)。

本日、中間テスト前の対策講座でした。
中1地理のテスト範囲に「都道府県・県庁所在地」が入っていました。
そして学校の教科書には、ミニモニ。が2年前くらいにカバーした、「ロックンロール県庁所在地」の歌詞が掲載されています。
「♪北海道は札幌お次は~♪」のアレです。
東京書籍も、イキなことをやってくれるもんですな~。

ハロプロ(ハロープロジェクト=つんくが手掛ける女性アイドル集団)勢のCDは数枚持っているのですが・・・。
残念ながら、ミニモニ。の「ロックンロール県庁所在地」は入っていませんでした。
それならば・・・と気合を入れて、ある場所で発掘作業。
中1に聞かせるため、森高のベスト版を探し出し、教室に持参しました。
元祖、「ロックンロール県庁所在地」(作詞・作曲 森高千里)のお披露目です。

ジャケ(CDジャケット)の森高を見た中1が一言。
「これって、50歳くらい?」
・・・当時は、これが最新の美型だったんだよ~。
確かに今見たら、ややキツイ(髪型、服装など)ですが・・・。

学校の授業では、流さなかったようで・・・。
本日アビットでは、繰り返し流しました。
曲に乗って、覚えようとすればリアルに覚えられますし、なにより興味がわきますからね。

ちなみに、森高Ver.「ロックンロール県庁所在地」は、「♪埼玉は浦和♪」となっているので要注意。
ミニモニ。Ver.は、しっかり「♪埼玉さいたま♪」となっております。
時代を感じますね。

最近の歌で好きなのは、Kaoru Amane(沢尻エリカ)の「タイヨウのうた」です。
ドラマ「タイヨウのうた」を欠かさず見ていました。
歌もスローテンポながら盛り上がり、メリハリがあってよいです。
何より、沢尻エリカがgood lookingですね。

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学校で中間テストの範囲を勉強していない?

2006-09-29 | 本日の授業

Cimg0298

写真は、中3の中間テスト範囲だったので、対策授業をしたホワイトボードです。

一通り終了すると中3から「そこは学校でやっていないんで出ないと思うよ」と一言。
What?
だってこれってさあ、学校の教科書(東京書籍)の50ページに普通に載っているやつだよ(式の計算の利用)。
思いっ切り「教科書レベル」なんだけど。

国語だと、けっこう教科書を飛ばしますが、数学で飛ばすのはどうでしょうかねえ・・・。
他にも、やっていない部分があるとのことで、やや心配ではあります。
まあ、アビットや他の学習塾さん(←おそらく)では、普通に1学期に勉強した内容ですが。

学校の先生が、授業や勉強に力を入れられないほど大変なのもわかります。
部活や行事など、勉強以外にもいろいろありますからね。
しかも、そういう近年の学校のおかげ(?)で、学習塾の存在意義もあるということでしょうか。

う~ん、フクザツな気分ですね。

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学習塾に求められるものって何?(3)

2006-09-28 | 勉強コラム

ちなみに、私の普段言っていることについてです。
将来のことと絡めたことが多いですね。

「やるべきことをしっかりやる人間になって、将来仕事をするときでも、自分で動ける人間になろう」
「頭がよい、悪いではない。どれだけ努力したか、が勝負。努力して高い評価をもらえば、チャンスも広がる」
「今、努力したり、苦労したり、工夫していると勉強で成果が出る。就職するときは、そういう努力をした人間、成果を出した人間を会社もほしがる。だから、勉強は近い将来にもきっと役にたつ」
・・・などなど。

生活と絡める他にも、若者の興味ありそうなことと絡めます。
例えば、英語で単語「winter」が出てきた場合。
「GLAYの『Winter,again』って知ってる? いい歌だよね~」とか(←かなり例が古い!ですが)。
それで、「winter」が印象に残ってくれればモウケモンです。

最後に思ったのですが、一般の方で教育に興味がある方、自分なりの考えをお持ちの方、勉強熱心な方のご意見。
文部科学省の影響が強いのかなあ、と感じました(←そういうつもりではないと思いますが)。
これは、よい、悪いではなく、意見が聞けてよかったということです。

もちろん、「授業を興味深く」が、学力を伸ばすため、やる気を出させるための要素であることに違いはありません。
その部分も意識して、これからも仕事をしなければ・・・ということで。

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学習塾に求められるものって何?(2)

2006-09-27 | 勉強コラム

私は、学校って週に4回も同じ教科を教えるチャンスがあっていいな~、と思います。
学習塾の場合は、週に1~2回しか同じ教科を教えるチャンスはありません。
学校よりも少ない指導時間で、学校で勉強しているだけよりも、より学力をつけたいのです。
おそらく、90%以上の保護者や子ども(子どもは微妙な場合がありますが)が、原則としてそれを望んでいます。

「授業を興味深く」は大切ですが、第一には来ない理由がここにあります。
学力を伸ばすには、(興味深い)授業を行った後、どれだけ「本人に勉強してもらうか」が勝負になります。
第一に考えるのは、いつもその部分です。
興味深い授業だけで終わってしまっては足りません。
また、本当に理解したのか、勉強したのか、今、自分でできる(解ける)のかを個別に確認することも必要です。
同じくらい重要視して、アビットで実行しているのが、その部分です。

実際に、ある公立高校(神奈川県・川崎市)で授業をしたことがありました。
第一に考えるのは「どう興味を持ってもらいながら、うまく授業をやるか」ということでした。
言い換えれば「なるべく質のよいものを、平等に(一方的に?)伝えよう」ということになります。
そこに個人の学力や、やる気がどうだ・・・などは、あまり入りません(私だけ?)。

学習塾で第一に考えるのは「この子どもを、どのように伸ばそうか」ということ。
言い換えれば「どのように勉強してもらおうか、やる気をもってもらおうか」ということになります。
そこに学習塾(特に少人数制)の存在意義があるのではないでしょうか。
部活で疲れた時間と、大切なお金を使う意味があるのではないでしょうか。

・・・さらに次回へ続く。

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学習塾に求められるものって何?(1)

2006-09-26 | 勉強コラム

Y.Kawamuraさん、熱の入ったコメントありがとうございます。
『私は、基本的に面白くない「学校での」勉強をいかに面白くアレンジするかに塾の役割は求められるべきと思います』とのご意見いただきました。

やはり「授業を興味深く」という部分が、始めにくる重要なポイントという印象をもちました。
私としては「大きい目的を達成するためのひとつの要素」という考えは変わりません。

私の考える塾に求められるもの、大きい要素3つはすでに書いています。
さらに、細かい部分を追加してみたいと思います。
● 学校では指導しきれていない、進学に必要な学力を効率よくつけること。
● わかりやすく、なるべく簡単にできる方法を教え、しっかり繰り返し「自分で」勉強してもらうこと。
● 授業だけで終わらず、必ずその内容の確認を個別に行うこと。
● 「自分にも、やればできるんだ!」と思わせて、やる気を出させること。
● 子ども一人ひとりに合った指導をして、その子どもなりの精一杯で学力が上がること。

「授業を興味深く」は、もちろん必要なことです。
しかし、それが第一に来る場合、公立学校(文部科学省)の考え方に近いと思います。
薄くなってしまった教科書の考え方です。
そして、『親力』の書籍などを読むと、学校にもその部分を努力している先生はいるようです。

ところが、その方向だと・・・。
「勉強する習慣をつけさせたいな(つけたいな)」
「もう少し高い学力の学校に合格させたいな(合格したいな)」
・・・という学習塾に対する保護者(もしくは子ども)のニーズとズレるのです。
もちろん、「学校の授業についていけるようにさせたいな(ついていけるようになりたいな)」もあります。
実は、この場合も「学力を上げる」ということにブレはありません。
そこで、学習塾の出番となります。

例えば、病気で病院に行ったら、病気を治してもらうことを第一に考えますよね。
けっして、「その病気についての興味深い話」を聞きに行くのが第一ではありません。
もちろん、ひとつの要素だと思いますが。
学習塾も、病院と似ているところがあるということです。

・・・次回へ続く。

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『夢をかなえる勉強法』レポ(2)

2006-09-25 | 勉強に役立つ書籍

『夢をかなえる勉強法』伊藤真(サンマーク出版)より

(暗記を成功させるには)五感をフル活用する、喜怒哀楽に結びつける。それ以外に記憶力を強化するとしたら、あとはもう反復するしかない。いやというほど繰り返すのだ。繰り返しているうちに、一定の域を越えてしまう。すると脳が「これは生きていくために必要な記憶だ」と錯覚してしまう。そうすればぜったいに忘れない。(覚える)つらさを乗り越える方法がある。何か。それは自分がやったことを目に見える形にして示してやることである。1つ覚えると、シールを1つ貼っていくのもいいし、テキストに丸をつけてく、丸を増やしていくのでもいい。簡単なことだが、このたわいもないことが励みになって、反復のつらさを乗り越えられる。

 アビットでも、「学習の記録」や「カリキュラム表(プログラム表)」により、成果や結果を目に見えて残す工夫をしています。「確認テストで、100点を10回達成すると○○贈呈!」などもあります。・・・早く誰か達成してほしいです・・・。

試験に合格できるかどうかは、「能力×気力×勉強法」のバランスだと思う。能力がたとえ並みの1しかなくても、気力と勉強法の掛け算でいくらでも挽回できる。気力がゼロだったり、マイナスだったりすれば、ゼロやマイナスの掛け算になるから、答えはゼロやマイナスになってしまう。能力、気力、勉強法のいずれか1つでもゼロやマイナスにしないように気をつけなければならない。

 数字を5段階で考えるとします。能力が3の場合、気力と勉強法が2だと「3×2×2=12」にしかなりません。しかし能力が3でも、気力と勉強法が5なら「3×5×5=75」となります。自分の元から持っている力は、その後の努力で、いくらでも挽回可能ということですね。他にも「能力×勉強のやり方×時間」「能力×やる気×時間」など、いろいろな考え方がありそうです。

(赤点を取ってしまい)どうしていいかわからず、勉強方法も見当がつかない。思い余って、国語の先生に相談に行った。先生は私にちょっとした勉強のコツを教えてくれ、問題集を2冊すすめてくれた。言われた問題集を買い求め、2、3日でやり終えてしまった。また先生に勉強法や問題集を教えてもらう……ということを繰り返していたら、次の国語のテストは80点。上から数えたほうが早いくらい、いい点数を取ることができた。「やればできるんだ」。私は再び確信した。そして勉強には「勉強のやり方」があるということを初めて知った。塾や学校はそのためにある。勉強ではなく、「勉強法」を教えてもらう場所なのだ。

 「勉強のやり方」がわかって、それをしっかり日々やることができるかどうかが勝負です。「言われたとおりにやって、しかも効果がすぐ出た」という場合。スゴイ優秀、素晴しいことです。でも現実には、そのような優秀な人ばかりではありません。やってもわからない、やったつもりになっているが、身についていない・・・。そのような子どもが多いのではないでしょうか。勉強した後で、それを見てもらえる時間。さらに、本当に身についているのか、それを確認してくれる時間。わからないところを教えてもらえる時間。そのような時間が、多くの子どもに必要だと思います。

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塾に期待されること

2006-09-24 | 教室日記

Y.Kawamuraさん、コメントありがとうございます。
『少なくとも、試験に役立つのではなく、実生活でどう役に立つのかを「同時に」伝えること』とのご意見いただきました。

「詰め込みや、丸暗記を止めて、生活につながる指導をする」
「実生活に役立つ」部分だけクローズアップすると、最近の学校教育(公立)の考え方に近い部分があると思います。
その考え方と絡んで、教科書に生活に身近な物の写真が増えましたが・・・。
文字や学習内容は減りました。
塾に(まずはじめに)求められるものは、学校とは違うものだと考えます。

私が考える塾に求められるもの。
①勉強に対する意識が上がり、勉強に対して「やる気」が出てくる。
②家で勉強するようになる、勉強の習慣がつく(自分で行動できる人間になる)。
③実際、学力や成績が上がる。
大きいものは、こんなところでしょうか。
「どう指導するか」というよりは、「どう本人が勉強するようにもっていくか」が勝負という感じです。

ただ、これを実行するために、生活に絡んだ指導をする・・・などはあると思います。
例えば、リットル、デシリットル、ミリリットルを、牛乳パックやペットボトルを絡めて指導するなどですね。
ただ「覚えて!」では、単位、難しいですからね~。

まあ『試験と実生活に役に立つと「同時に」伝える』ということなので、それを頭に置き対応ができたらよいと思います。
「塾に求められるもの」を達成するための要素のひとつだと思います。
結局、最初に、第一に考えるか、要素のひとつで考えるか、その違いでしょうかね。
また、感想、ご意見、よろしくお願いします。

ちなみに話からはズレますが、最近子どもの記憶に残った、私がした話としては・・・。
阿修羅像(奈良時代・天平文化)を説明する時に使った、「キン肉マン」のキャラ「アシュラマン」の話だったようです(中3談)。
現代の若者も「キン肉マン」を知っていて、かな~りウレシイ!

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『夢をかなえる勉強法』レポ(1)

2006-09-21 | 勉強に役立つ書籍

『夢をかなえる勉強法』伊藤真(サンマーク出版)より

そもそも勉強とは、狭い意味合いのものではない。勉強とは人がそれぞれ持っている能力を最大限発揮させるために行うものである。言葉を換えれば、自分は何ができるのか、何に向いているのか、いわば自分のミッション(使命)を探すために、本来行うものなのだ。自分が何のために生きているのか、その理由がわかれば、納得できる人生が送れるではないか。それはとても幸せなことだ。つまり勉強とは、幸せな人生を送るために行うものだと言い換えてもいい。誰だって幸せな人生を送りたい。勉強がそのための手段だとしたら、いやだとかやりたくないとは思わないはずだ。

 自分は何が好きなのか、自分は何に興味があるのか、自分は何が得意なのか、自分はどんなことをしてこの先、生きていくのか・・・これらを探すために勉強があります。そして、勉強しておいた方が、いろいろなものを知ることができ、知識や考え方も広がり、今後の選択肢やチャンスが広がると思います。勉強しておいた方が断然オトク(!)です。

試験には2種類の問題しか出ない。すなわち、「自分が知っている問題」と「知らない問題」である。なんだ、当たり前だろう、と思うかもしれないが、この当たり前に夢をかなえる重要なポイントが隠されている。本番では必ず知らない問題が出てくる。その問題に対して、万全の準備をつくしても翌年、また未知の問題が出る。自分が知らない未知の問題が出たときにどう対処するのか、実はそちらのほうが重要である。そのためには、常に物事を表面からだけでなく、裏側からも考えてみる習慣をつけておくことが大切だろう。未知の問題への対処方法は、膨大な量の問題を分析し、そこから想定される未知の問題を傾向ごとにパターン化し、解答のマニュアルをつくる。もし、未知の問題に遭遇したら、このパターンのどこかにあてはめていけばいい。マニュアルさえつくってしまえばあとは簡単だ。だがマニュアルは人がつくったものを真似してもほとんど意味がない。マニュアルはそれをつくる過程に意味があるのだ。

 数学の場合、まずは普段の勉強や過去問で数百題解くとよいとされています。そうすると、見たことがない問題でも「これはあのパターンで解けそうだ」とか「これはあのパターンの変形だ」など、自分で気が付いて考えることができるということです。中高入試や北辰会場テストなら、よく当てはまる考え方だと思います。まずは、普段の勉強が必要なことは言うまでもありませんね。

「学ぶ」という言葉は「真似る」から来ている。基礎問題を徹底的に真似して繰り返すことで、問題の「型」がわかってくる。出題のパターンや聞かれ方、解答の求められ方の「方」を身につければ、どんな応用問題が来ても対処できるようになる。タイガー・ウッズは練習の虫だという。普通の選手なら飽きてしまうような基本の練習を、飽きずに何百回もできる。そこが彼の才能である。

 算数・数学なら計算だけやればいいという意味ではありません。応用問題(例えば文章問題)の中に、必ず計算もあります。応用問題を解きながら、計算問題の練習にもなるのです。ある程度の子どもならば、どんどんいろいろな問題を解いていきましょう。より学力が上がります。

・・・次回へ続く。

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『不勉強が身にしみる』レポ(2)

2006-09-20 | 勉強に役立つ書籍

『不勉強が身にしみる』長山靖生(光文社新書)より

(偏差値への嫌悪感に対して)しかし他人と比較しなければ、その人の社会的な評価は計れない。それが現実というものだ。もちろんそれは、本人の全人格的存在の評価とは別のものだが、それでいいのである。勉強や仕事をしているときだけが、その人間の価値ではない。ただ、仕事を介して関係する他人にとっては「その人の人間的魅力ではなくて、仕事の能力や熱意や精度が大事」というだけのことだ。学校成績は、そのための基礎訓練のバロメーターである。

 勉強(ペーパーテスト)は、仕事や人間関係などに比べると「自分の努力」の部分が評価される割合が高い気がします。ただ、これも自分が年齢を重ねたので感じることなのですがね。「テストやだなあ~」でなく、「できる限りバッチリ勉強したから、早くテストで腕前を試してみたいなあ!」となると理想ですね(←難しい?)。

世の中には、放っておくといつもまでも意欲なんて湧いてこない人間だっている。「好きなものを見つけて」と言われても、無理やりにでもさわりくらいは仕込まれないと、好きも嫌いも分からないのではないか。誰でも好奇心を持っているのかもしれないが、それがおたくな方向にしか向かない人間だっている。大人になってもこれなんだから、子どものときから自己責任に任されたら、とんでもないことになってしまうのである。

 子どもも大人(私)も、何もなければラクな方に向かっていくことが多いと思います。ただ塾へ行くだけではなく、「これをいつまでにやる」「これをこのようにやる」と流れを作り、さわりや分からないところを教える。さらに、なぜ勉強が必要なのか説く。実際に勉強して、勉強ができると楽しい・・・。勉強する流れに乗せて、意識的にラクな方に向かわせない時期があってもいいのかもしれません。

(「お勉強は楽しい」というスタンスがあることに対して)しかし、これを真に受けた水準以下の努力しかしたことのない人間は、ちょっとだけ勉強してみて、「楽しくないのは、この勉強、この科目が自分には向いていないのだな」と思って、投げ出してしまうおそれがある。そしてたいていの場合、すべての分野・科目は、そういう人には合っていないのである。でも、そういう人間だって(いや、そういう人間こそ)勉強をしなければいけない。「勉強はつまらなくても、嫌でもやるべきもの。それでも我慢してやっていれば、たまには知る喜びを感じる瞬間もある」程度が、凡人の真実だと思う。というか、私自身、身を以てそう感じている。「賢人なおもて勉強する。況(いわん)や凡人をや」が、私のモットーである。

 子どもが今、嫌でもやるべきものが勉強ですね。大人が今、嫌でも(?)やるべきものが家庭内や会社での仕事となります。仕事において、極端な例を除いては「これは嫌だからやらない」と言えることは少ないのです。嫌でもやらなきゃいけないことの方が多かったりで。「今、やるべきことをやろうよ」と繰り返し伝えていきたいものですね。それが大人になってからも役立つと思いますから。

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『不勉強が身にしみる』レポ(1)

2006-09-19 | 勉強に役立つ書籍

『不勉強が身にしみる』長山靖生(光文社新書)より

手厳しいことを言うと、「努力しても報われない」と感じている人の多くは、実は努力をしていない。いや、まったくしていないわけではないだろうけども、やっぱり「努力している」と言うのは、ちょっと図々しいレベルに留まっているのではないか。努力しているとしても、やっぱり「勝ち組」の方々に比べると量も少なく、効率も悪く、「努力している」というのには、あたらないのではないか。

 同じ学校で、同じ先生の授業を聞いて、同じテストを解答する。また、塾にも行っている。それでも、点数に差は出ます。差を作る要素の1つが「努力」の部分でしょうか。もちろんアビットでは、実際の教科の指導と、上記のような理屈、できたときの達成感やほめ方・・・いろいろな方向から、子どもが「努力」に向かう部分を引き出していきたいと思います。

受験勉強というと、何やらその場凌ぎの身につかない勉強というイメージがあり、「詰め込み教育」には強制・没個性・画一的といった負のイメージがつきまとう。実際、受験勉強や詰め込み教育には、そうした側面がないとはいえない。だが、自明のこととして、どのような形の勉強であっても、勉強をすれば知識が身につく。受験勉強を通して自分が進むべき道筋が見えてきた若者も多いはずだし、詰め込まれた知識が、やがて大いに役に立った人もいるはずだ。

 結局は「やるべきことをやれる人間かどうか」「努力できる人間かどうか」を測定されている面が強いと思います。極端な例を除けば「頭がいい・悪い」「能力が高い・低い」ということを測定されているわけではありません。また、中身や知識があり、しかもそれが多い場合、その人間は広がってゆく、発展してゆく可能性が増すと思います。

結局のところ、ペーパー試験による評価は、その人の知識量・学力を測定する方法としては、相対的に不公正な要素が入り難いという意味で、適正な手段ということになるのだろう。この方法を嫌う人々は胸に手を当てて、「テストが嫌いなのは勉強していないという自覚があるためではないか」と自答してみるといい。「ペーパーテストよりも面接のほうが自分の実力が出る」と考えているとしたら、それは自分の勉強量(テストで評価し得る)よりも素材(面接では、見抜いてくれる人がいるかも)のほうがマシだと思っているからではないか。そういう人は、やっぱり自分の努力不足を、心のどこかでは自覚しているのである。

 それでも、やはりペーパー試験では測定できない能力もあることも事実ですね。実際に学校に入学してから、会社に就職してからなどは、測定困難な要素こそが必要な場合が多いのです。ただし、小中高生で今現在大切なこと、まず伸ばしたいことは、知識量・学力測定でよい結果を出すことです。社会へ出る前のリハーサルというべきでしょうか。もちろん、学校における集団行動、部活や習い事における協力や練習への取り組みなども大切ですね。

・・・次回に続く。

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