岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「姥捨伝説」

2007-10-21 21:03:31 | 田舎暮らし

 深沢七郎著、「楢山節考」は老いた老婆は70才になったら楢山まいり。
 息子に背負われて山を越え谷を過ぎて楢の木ばかりの山に捨てられるという、貧しくも悲しい物語である。

 昔、似たような出来事はどこでも行われたんではないだろうか。
 私の集落でもあったかも知れない。
 「姥(うば)ふところ」という地名がある。
 
その場所は特定できないが、それらしき場所は人里から離れて、今 道路拡張工事でそれと思われる場所がある。
 急峻な崖に大木が繁り、昼なお暗く、年寄りが登れるような崖ではないし、下れば大きなため池が道を塞ぐ。
そんな場所におにぎり二つで捨てられたら”ナミアブダブツ”を念ずるほか無い。

 集落にある曹洞宗のお寺さんは元和5年(1618年)の開創、その山門には餓死供養塔がある。天明の大飢饉の死者の菩提を弔ったものであるといわれる。
 その頃、1783年浅間山の大噴火、盛岡藩大凶作の1784~86年、以後寛政年間にかけて盛岡藩は凶作、飢饉が相次ぐ。
     ※ 写真は同寺の供養塔  写真は準備中
                              

 養塔は集落の餓死者を弔ったのだろう。
 餓死する人さえあるから予防策として「口減らし」のため、運悪く長生きしたお年寄りを背負って泣く、泣く「姥ふところ」へ送ったに違いない

 世界一の長生きを記録する今の日本で、70才になったお年寄り(失礼)を、「姥ふところ」へどうぞ・・・などと失言しようものなら、おしゃれして颯爽と歩く70代に石を投げつけられるに違いない。
 いい時代に生まれたもんだと感謝する。

 もっとも「岩手の頑固親父」も日一日と「姥所」年代に近づきつつある。

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