赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼野蛮な大陸と幸運な島国ジパング

2017年07月22日 | ■教育年金管理人泥炭氏との対話

 

以下、教育年金掲示板より

 

泥炭さん。EU(ヨーロッパ統合)とか申す仮の談合を、そこまで持ち上げるのは、いかがなものかと思いまするよ。ネットサーフィンもよいのだが、も少し学問的かつ現実的に、お調べなされませ。なにしろ、6年前のことなれば米国大統領選挙において、初の黒人オバマが当選したと単にそれだけのことを持って、世界はこれで平和になると大騒ぎしていたのは誰ですか。

バカはバカでも政治的馬鹿というものは、なんぼ文明が進歩して情報が多々流されても一向に駆逐されないものですね。次から次へと馬鹿ばっかりが雨後のタケノコのように生まれてくる。これもまたヒト科というものが、そもそもアホであったという次第なり。ああ 難儀だ 難儀だ。

懸命に富国強兵にひた走った日本。 弱肉強食の熾烈な西欧の覇権争いを知って民族生き残りを掛けた決勝戦に勝ち残るべくひたすらに走り続けあえなく粉砕された歴史。

「粉砕された歴史」?

太平洋戦争における敗戦は、たしかに日本という国に大きな痛手をもたらした。だがなにも歴史が「粉砕」されたわけではないと思いますね。とにもかくにも日本と日本人は、いろいろとありながら、かくのごとく生き延びて現代に至っている。ぜんたい、日本びいきのわたしがみるに、世界に冠たる実に立派な「お国柄」だったと思いますよ。

外国のだれかれに、何一つとして、後ろ指をさされる覚えはないはずです。もちろん東アジアというものが欧州などの理屈をもってすれば文明的に遅れていることは言うまでもない。そのとおりだとは思いますね。この遅れに遅れた東アジアの中で日本の場合だけは突出していたのです。江戸期より平等史観、および科学技術においても、すでに先端文明を享受していた。

欧州各国に比しても近代化を成し遂げた先端的国家だったと思いますよ。決して日本は遅れていたのではありません。日本の、近隣、すなわち東アジアが西欧に比して極端に、遅れていたのです。いまだにそうですね。突出した文明とひどい野蛮が、隣り合って存在しているのです。これが東アジアの政治的現状でしょう。

ここに、日本の地政学的な幸も不幸もあった。繰り返しますが徳川の鎖国政策は見方によれば、実に先進的だった。この島国を覇権を競って内紛ばかり生じている東アジアの無力にして野蛮な諸地域から文明的に隔絶させていたのです。

島国だったという幸い。鎖国という幸い。これを見て見ぬふりしているだけでは歴史を語る資格はないと申せましょう。繰り返しておきますが日本の近代化は西欧に比しても決して遅れてはいない。世界史年表を見ればわかるでしょう。当時の西洋文明がどれほど混乱していたか。先進各国がどれほど紛糾していたか。日本は、かの時代、世界に先駆けて国家統一および近代化を成し遂げたまれにみる優秀な「お国柄」だったのです。鉄道敷設はくまなく全国に及んだ。20世紀に入ったばかりの当時、このように立ち進んだ国は世界ひろしといえど英国を除いては、ただ一つもありませんでした。

日清、日露戦争を勝ち切り、その後富国強兵を弁ずるあまり野蛮地域の野蛮人を制するとの大義名分を詐称して大東亜共栄圏などとぶちかましたのは、いささか、うぬぼれもはなはだしいとは、反省するだけなら猿にもできるという調子で、今になって、やっと分かってきたことなのです。

野蛮とは、すなわち政治的には無力ということだ。アジア大陸に東側に西洋文明の実際すなわち西洋の武力が、押し寄せてきたのは19世紀の初頭。中華は、あえなく破られた。中華は西欧列強に、それこそ、アフリカ同然に食いちぎられるままだった。奴隷化されたのである。英国をはじめとする西洋列強の女郎と化した。アヘン戦争の惨憺たる有様。香港は100年間の期限付き英国領とあいなった。このような様だけは逃れたいと我が国島国、すなわち江戸期幕末の知的青年らは思い募っていた。吉田松陰こそ、その先駆けだった。

未開の大陸は脆弱だった。国というものが、いまだ出来上がっていなかったのである。そこで、いともたやすく西欧の列強にやられてしまった。我が国ばかりは、なんとしても守ってみせる。こうした気概が松陰以下、日本人にあったればこそ、今日の日本という国を作っているのでござるとぞ思うなり。

問題は、いまだに、こうした東アジアの構造は、当時から、あまり変わっていないという現実だ。大陸は、あいかわらず野蛮なままだ。いまや13億の人口をかかえてすったもんだしている。

選挙一つ挙行することができないままで、13億人が有象無象のゴミと化しカスと化している。夜郎自大の言い方で申し訳もないが、いずれ今日の中華は滅びざるをえまい。四分五裂とは、あまりよい言い方ではないが、中華に限っては、四分五裂してみて、はじめて彼らの未来の幸いの国というものが、立ち上がってくるのである。

ロシア革命と、その結果を見るが良い。マルクス、レーニンの開闢以来、共産主義にとってヒトとはただの数字でしかない。ひからびた数字を何万何億積み上げてもましな国家が形成された試しがないのは古今東西、自明のことにてござ候。


 <2014.11.09 記>

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