赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼ヴォーカル大好き<全世界民主青年の歌>

2019年06月02日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法

 

以下、十五年前の記事なり。描写されている内容は実に半世紀前のことであり、いまさらながら懐旧の念したたるも、いずれ幻想的なゴッコ遊びの世界であったことは間違いない。

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<2004.10.17 記>

ゴンマイ殿が70年の大学紛争決戦の秋を覚えてごじゃるとは驚き桃の木山椒の木。さてはゴンマイ殿も悪名高き団塊世代なのけ。そうよ、オラも指導部から、そう言われて現場に出向いたものだ。勤労青年諸君も、セクト存亡の雌雄をかけた決戦に臨んでいるわが党の輝かしき明日を担うインテリ舎弟たちを守ってこいという指令だった。そうさなぁ、オラが町工場の残業が終わるのが夕方も6時だからな、取るものもとりあえず旧第一高等学校、すなわち天下の最高学府東京大学の駒場キャンパスにかけつけたのは70年というよりは69年だったと覚えている。寒かったことを覚えているならば、さては冬も間近のことなれや。正門を入れば、噂にたがわず、そこは荒れに荒れたまさに戦場だったな。ガキの遊び場だったと言う人もいる。さても、暗闇のことで、なにがなんだか訳もわからず、オラたち町工場勤労青年にとっては、ようするにそこでなにが起こっているのか皆目見当もつかなかった次第にごわす。闇の中ではインテリ舎弟たちの表情もよく見えず、ときおり、各セクトを誇示するためと聞かされていた、さまざまな色に塗られたヘルメットをかぶり角棒を持った兵隊もどきの若き出稼ぎ学生の阿呆どもが、われらの目の前をこれ見よがしに、運動会の練習でもやっているのか、駆け足風示威行動に出ておったな。隊伍を組んでいるつもりなのだろうが、その有様は戊辰戦争に刈り出された、みじめな百姓がなれない槍でも持たされて隊伍を作っている姿以上でも以下でもなかった。インテリ学生というものは栄養不良でガニ股が多いというのが、オラが得たなによりの第一観だった。さてオラたち勤労青年は、もちろんヘルメットも角棒も支給されず、ぼけっとして指定された場所に突っ立っておっただけだ。すぐそばに古くされた建物があった。学生たちの「寮」だと聞かされた。中を除いてみれば、そこは荒れ放題で部屋と廊下の区別もつけられないほどだった。見ようによっては、若者たちの暮らしぶりがうかがわれて、一種の親近感と憧れの感情が脳裏をよぎったことを否定しても始まるまい。その建物こそ旧第一高等学校の名残をしのばす天下の駒場寮であることをオラが知ったのは、ずっと後になってからのことだった。指導部のお達しによればヘルメットの色はいろいろある中で、ようするに黄色いものをかぶっているガニ股部隊が現れたら、彼らこそ我らがお守りすべき、未来のお笑い前衛党の幹部候補生たる一味に間違いないとのことだった。だが、いくら待っても黄ヘル・ガニ股集団は一向に姿をみせず、その夜は他セクトの角棒におびえきってしまい駒場東大のどこの穴蔵に隠れてしまったのか一度も敵前に姿を見せることはなかった。それで、われら中小企業零細町工場代表の勤労青年応援部隊としては、後ろ髪を引かれる思いで、一向になにすることもなくしびれをきらしていた。ここで夜を明かすことはできない相談。当時はコンビにもなかった。そこで明日の労働のためとはいえ、泣く泣く解散の憂き目をみたのであった。勤労青年一行は駅に向かった。だが、正門から出たところでリーダーがわれらに声をかけた。「諸君、このまま電車に乗って帰るだけでは、わが輝かしい前衛党に申し訳もたたない。みんなで腹いせに大声で、歌のひとつふたつ歌って、せめて青白きガニ股部隊黄ヘルのインテリ舎弟たちにエールを送ろうではないか」。と言うので、それはよい考えだと勤労青年一同も大賛成だった。そこで正門の向こう、駒場寮の暗闇の方に向かって大声で歌った歌の一つが以下にごわすよ。すなわち、これぞ天下にその名も高い「民青の歌」なりし。


 
 
我ら青年 平和と幸もとめ
誓いは固く 我ら戦いぬく
山川ことなる 世界の青年
腕をとり 隊伍くみ 声たからかに

いざともに 歌え歌 平和のちかい
はばむ者には こたえん高き歌声
ああ 青年のこの熱情はけせない
平和を愛する熱情 ちかいはかたい

 

 

 

 

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