赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼没後二十年 江藤淳展

2019年06月04日 | ■今丼政幸君との対話

 

神奈川近代文学館 5月18日~7月15日

 

以下、赤煉瓦掲示板より

 

●かもめ
ほかでもない江藤淳氏の展覧会と云ふなれば拙者としても重い腰をあげて閲覧することあたわず。 来る6月1日(土)にでも現地に参じてみるつもりなり。 そこで提案だが、どうであろうか久方ぶりに今井政幸氏にも、お会いしてだなや。これまでのことは一切水にながしたてまつりけりにて候や。 旧交を温めてみることにいたしたく存知候にてにゃ。今井殿をはじめ年はとっても、おのおの方の根性のありどころをさらしたまえり、たまには一堂に参じてみるのも何かの縁だ。 この際今井政幸氏をはじめ、界隈のフルつぁんはっつぁん泥つぁんその他長屋住まいの下々の覚悟と、その存念をお聞きしたい。

 

●今丼政幸
ほう。 わたすもいまの君の姿をつぶさに見たい。 が、土曜日はだめだ。  昨日も今日も残業で、いまが帰りという具合に、土曜日は、いつも家でくたばっている。 なので、日曜の2日なら良いぞ。  日曜2日、江ノ電の由比ヶ浜駅に、12時だ。 お昼刻だから駅前の食堂でなんぞ美味しいものをご馳走してあげよう。 かといって、鄙びた駅前に良いところがあるかどうか知らんが。 そゆことで、よろぴく。

 

●かもめ
どうやら今井殿は勘違いをなさっているようだ。横浜には詳しい今井殿が、江ノ電などというので、わたしも鎌倉まで行きはぐったところなり。鎌倉ではあるまいに。県立神奈川近代文学館は横浜は「みなとの見える丘公園」内だ。若かりし頃、ここには今井殿に案内されて、一緒に入ったことがあったではないか。バラ園をめぐって坂を下りていったところが、それだ。15年前のことなりき。ちょうど三島由紀夫展が挙行されていた。三島の墨書が展覧されていた。三島は20歳になったばかりで徴兵検査を広島で受けた。徴兵検査は戸籍上の本籍地にて受けることになっていた。いよいよ兵隊になるのだとの決意を東京の親にあて手紙を書いた。三島の手紙を、わたしが興味津々で閲覧していると出口のほうで今井殿が手招きをしているではないか。腹減ったから、はやく飯を食いにいこうよと言うのである。だが、まだ入館して5分もたっていなかった。


●今丼政幸
おお、そっちの文学館だったか。 わたすは、三島のは、群馬の大泉の軍事工場で働いてたというのが興味深かった。 わたすは、当時、いまはなき三洋電機の仕事を扱っていて、大泉の工場は、三洋電機になっていたのだった。 あそこなら、みなとみらい線の元町・中華街駅で、そこなら、フレンチの霧笛楼がある。 2日なら、霧笛楼のフレンチをご馳走してあげたのに残念だ。


●かもめ
拙者の勤務スケジュールからして六月一日は譲れないのであって、あまつさえフレンチとは何事だ。拙者はおフランスには行ったことはないけれど、かの国については、なにもかもが大好きなのだ。その言語といい革命といい文学といい音楽といい、たしかに西洋文化の粋がある。だがおフランス自慢の料理だけは大嫌いだ。なんじゃね、あれは。大皿の真ん中あたりに冷えた肉片の少々を盛り付け、その周りに濁った小便のカスのようなものをやたらめったらジグザクと対角線上に振りかけて素材の妙味をごまかしている。あんなもんは料理といえない。やはり料理といえば中華にかぎる。炎と油の料理だ。作るほうも燃えているが、食うほうも燃えている。チャーハンといい麻婆豆腐といい焼き餃子といい舌が焦げるほどの勢いだ。さて、きたる六月一日、県立神奈川近代文学館にて13:00。拙者は、江藤淳になる最大の問題作『閉ざされた言語空間』の手書き原稿が展示されている、そこいらあたりにいることにいたそうぞ。声をかけてくだされればありがたき幸せ。当日、拙者のありようは野球帽をかぶりて黄色いワイシャツの袖をまくった姿で、そこにいるはずである。


●今丼政幸
3月に元派遣のおばさん(今は正社員)らと、4人でみなとみらいのアリスでフレンチを食べた。 その前にみんなで集まったのは去年の暮れで中華街で中華を食べた。 どちらも値段はひとり1万円のコースなのだが、わたすは、やっぱりフォアグラがあるフレンチが落ち着くな。 フレンチは美味しいぞ、食べてみな。  食わず嫌いは、大成しないよ。 わたすも、昨日も夜10時までの残業で、今日もそれくらいだから、土曜日はくたばったいる。 ひとりで文学館に行ってきてくれ。 で、江藤淳展がどんなのだったか書いて、みんなに教えてくれ。 わたすは、もう年で働くのも億劫になったし、所詮労働者で働いても全然カネにならないってことに気がついた。 なので、わたすは、フリーランスに転向する。  転送速度が速くなる5Gが日本でも来年から始まる。 なので、これからはネットが主流になる。 ばかもめはカネがないからやってないだろうが、去年、携帯を機種変更したとき、電話もソフトバンクにしたから、ネット通信もソフトバンクに変え、家ではW i Fiだ。 これだと携帯のギガ不足なんてなんも関係ない。 なので、わたすは、毎日、ネット三昧で、とりわけYouTubeにハマっている。 このYouTubeをやると、カネが稼げる。  無論わたすの登録者を最低10万人以上は確保しないとダメだが。  登録者10万人がわたすのYouTubeを見てくれることで、わたすに、宣伝料が支払われるという仕組みだ。 これだと、わたすが寝ててもカネは入ってくる。 これからは、これだね、カネを稼ぐには。  無論センスのないばかもめは、そんな大勢の登録者を確保出来なくてカネは入ってこない。 カネを儲けるには、誰からも見てもらえるYouTubeをたちあげねばならない。 で、わたすは、これからの金儲けのためにYouTubeにチャレンジするのだ。 わたすも、ばかもめも、古い人間だから、例えば、江藤淳展の文章を書いて、それを本にしてカネを儲けると、考えてしまうが、いまは、広告収入の方が、はるかに本の出版よりカネになる。 なので、江藤淳展紹介動画を全てタダで見せてしまってなんも問題ない。 むしろ、タダでばら撒くほど集客出来る。  遅かったが、働かないでというか、仕事に出ないで、フリーランスで動いた方ががっぽりカネが稼げる時代なんだね、いまは。


●かもめ
今井殿も、だいぶ年を取られた由、働きに出ることが億劫になったとな。最終的に倉庫会社のほうを辞めるってわけかね。新橋には、もう通いたくないって話だな。会社で相当いやなことにあったのだろう。この能無しのクソオヤジとか、言われたのだろう。体を動かそうとしない、掃除一つできないで食っちゃ寝食っちゃ寝のアホだったからな。今井君のばあいは。ふ~む。フリーランスとは聞こえはよいが、ようするに隠居するってことだろう。リタイヤするってことだろう。思うに今井君にとっても拙者にっとってもだが、これからが本番だと考えてみたまえ。案外長生きするかもしれないのだぞ。この後30年も生きるとなったらどうする。足をひきずりひきずりでも世間に弱みをさらして生きていくか。さもなけれは、恥をかくのが怖いので、どこか暗いアパートの一室から出ることもなく、そして誰知ることもなく野たれ死ぬか、まぁ、いずれふたつのうちのどちらかだ。

 

●今丼政幸
わたすがいつどこで死ぬかは知るよしもないが、わたすは心臓が弱いから、普通なら、自宅で心臓が止まって死ぬことだろう。わたすは、いつどこで死んでも構わない。困るのは、後片付けをしなきゃならない親戚だ。わたすは困らない。で、これからフリーランスになって、たとえ30年生きても、わたすには蓄財があるからそれを使い切る事なく死んで行く。ばかもめには関係ない。せっかくわたすが日曜でもトイレ掃除の勤務に出かけるばかもめに、会社勤めをしなくてもカネを得る方法を教えてあげているのに馬鹿なばかもめはフリーランスを理解出来ない。例えば、テレビで、これからは旅人の時代だと言っておった。ばかもめが、わざわざ、港が見える丘公園の文学館に行く。その江藤淳展の様子をレポートする。これを、動画と文章でレポートする。その動画と文章を、世界が、ネットで見て読む。馬鹿なばかもめの間抜けな道中記があざ嗤えて面白いから、評判になる。馬鹿丸出しレポートを、世界がばかもめに求め、ばかもめは、繰り返し、どこぞに出かけて、旅をして、報告をアップする。このレポートに、大勢が見たり読みにくるとなると、そこに目をつけた広告代理店が、CMを出したいといってくる。このCM料が、月に100万円となれば、ばかもめはトイレ掃除してるより、旅人をやった方が儲かるから、休日に勤めに出る必要はないのだ。ばかもめが、いつまでもトイレ掃除で食べていきたいなら、無理強いはしないが、わたすは、会社勤めより、フリーランスを選ぶのさ。司馬寮太郎の『街道を行く』のような、考察にたけた江藤淳展のレポートを期待しているよ。才能がないとフリーランスはやっていけないからね。

 

●かもめ
なにはともあれ、がんばりたまえ。今丼殿よ。誰しも年を取れば会社勤めの賃労働から足を洗わにゃならん。友達もいなくなる。家族からさえ孤立する。とてつもない孤独と退屈をなめさせられる。強情をはって若作りに急いても寄る年波には勝てないものさ。こうとなったら蓄財なんぞ何の役にもたちはしないよ。大事なのは何なのか。少なくとも金ではないよ。それらのことが老人個々に心底から試されるに違いないのだ。いずれにせよ苦難が待っている。これに耐えなければならんのだ。

 

●今丼政幸
やはりばかもめはなにも分かっていなかった。わたすが、会社仲間や鏡太郎家族と3ヶ月に一回ランチを楽しんでいるのは食事代をすべてわたすが払っているからだ。カネの意味を理解していなくて、貧乏自慢で生きてきたばかもめもようやくせっぱ詰まった人生の終焉を迎えたようだ。孤独なのは、ばかもめにカネがないからだ。寄る年波に勝てないのは生きがいを持たないからだ。わたすはいまYouTubeを立ち上げるためにプログラミングの本をも買い漁っておる。ばかもめには読書の趣味がないことが致命傷だ。Excelの本をちゃんと読み表計算ソフトをマスターしていたら、下請けで小遣い稼ぎは出来たものを。読書能力があるかどうかが人生を決めるよね。日本はどこでも図書館があるから、いつでもどこでも本が読める環境が整っている素晴らしい国だ。で、友達なんぞ、ネットで世界中で作ることが出来る。自殺の善し悪しは一概に下せないが、わたすは市川の(今は北海道にいるが)のから、今井は仕事好きだから、死ぬとしたら、会社で突然心筋梗塞を起こして、みんなが見ているところで死ぬと言われておる。ばかもめよ、ばかもめ。世の中は変わらない。ばかもめがいくら頑張っても変革出来ない。変わるのは、自分が変わるしかない。自分が変われば、世の中は、ばかもめにとって素晴らしいものとなる。ばかもめが自分を変革出来ないから、ばかもめは孤独なのだ。いま、わたすは、YouTubeをマスターすることで毎日が忙しい。孤独感なんてまったくないぞ。で、幸せに暮らしている人のやっていることを真似ろ。幸せな人が、どう考え、どう行動するか、パクってみたら、ばかもめも幸せになる。もっともカネがないばかもめには、わたすのように、みんなをランチに誘って食事代を払ってあげるなんて出来ないけどね。

 

●かもめ
「いま、わたすは、YouTubeをマスターすることで毎日が忙しい。 孤独感なんてまったくないぞ」と今井君は威張っているが端的に申してそりゃ今井君が鈍感だからさ。人生とは食っちゃ寝食っちゃ寝だけで、すべてだと、うそぶいて己がひり落とした糞の後始末を完了したつもりなら、なんぼかめでたかろうぞ。まっその調子でやりたまえ。それが君の流儀となる。

 

●今丼政幸
わたすの記憶に間違いがなければ、ばかもめが最初に雇ってもらったところでは、70になったらお役ごめんで解雇され、70になって辞める年金生活のアパート暮らしの人が、この先やっていけるだろうかとばかもめがいきり立っていたが、80まで雇ってくれるようになったのだろうか? いくらばかもめが働く喜びに萌えたところで、会社は、勤務中死亡されるのが怖いから、そうそう老人をいつまでも雇わないけどね。 わたすの主張は、ばかもめの萌えどころと論点が違って、わたすはもう日本人は会社勤めをやめるべきだという主張だ。 ばかもめと違って、わたすは通勤も辛いし、頑張って会社で働いてもボーナスが出ない。 頑張り損と知ったから、会社勤めがアホらしくなった。 いまは、ネットの発達のおかげで自宅に居ながら稼げる商売がある。 これを利用しない手はない。 まだなんもスキルを持たないわたすだが、習うより慣れろだい。 なんとか居ながらにして稼げる三段、じゃなかった、算段をつけるつもりだ。 で、出来れば、暇はたっぷりあるがカネはまったくない老人も、見よう見まねで稼いでもらいたい。 カネを稼いで、たくさんカネを使って貰わないと、日本経済が伸びて行かない。 勤めを辞めた、勤めを辞めさせられた老人の自宅での金儲けを考えてもらいたいというのがわたすの意見だ。 なんも考えていないばかもめは、安い給与に満足して80まで会社勤めをしてくれい。老人にカネがないのは当たり前? どうして? リタイヤした老人がカネを稼げないなんて誰が決めたのだ。 日本人の思考が生活の基盤は会社勤めにあると洗脳されているからデマを鵜呑みにしてしまう。 短絡思考はいけないな。 かつてばカモメですら、内職で校正をやってて月5万円の小遣いを稼いでいた。 会社勤めをしない仕事はいくらでもある。 人材を求める需要と、どこから仕事を得たら良いか知らない供給側がミスマッチなだけだ。 すると、高速ネットのいま、そんな需要と供給のアンバランスを解消する仕事斡旋のホームページが日本全国どの自治体のホームページにもあれば良い。 その自治体のホームページも、経費削減のため、老人に作成をやらせたら良い。 日本が真面目に経済活性化を願うなら、老人人材を使うのが一番手っ取り早い。 で、それらホームページには、最低限英文を併記するバイリンガルが必要だから、英語が出来る人材も必要だ。 もつと言えば、いまはネット広告で稼げるから、民間でその職業斡旋ホームページを立ち上げたら良いのだ。 人材不足なんて真っ赤な嘘で眠っている人材を適正に使いこなせていないだけだ。 それは、会社勤めででしかカネを稼げないという固定観念に毒されたから、資本主義の需要と供給のマッチングという基礎の基礎を分かってないのだ。 需要と供給を適正にマッチングさせさえすれば老人もカネは稼げるのだよ。 愚か者! わたすは、もつと便所掃除の仕事が増えてもらいたい。 もっと頻繁に掃除をしてもらわないと公共トイレは汚い。 老人が稼いで、税金が増えたら、そのカネで清掃人を雇える。 雇用が増える。 老人がカネを稼ぐよう日本が思考を方向転換したら、日本経済は安泰だ。 なんも考えが及ばないばかもめは、80まで仕事にせいをだせ。 たわけ!まだ、ばかもめは分かってない。ばかもめが、ばかもめの流儀で生きて孤独感を感じているから世話がない。どうしたら、ばかもめは孤独でなくなるのか真面目に考えろ。世の中のみんなが、ばかもめとは違う流儀で生きてて満足している。孤独でさいなまされているばかもめは、どうしたら現状から脱せられるのか、すこしは努力しろ。ばかもめは、どうして鈍感になれないのだ?鈍感になって孤独感に苛まされはことなく生きてけばいいだけよん。達者で暮らせよ。

 

●かもめ
いいかい。拙者が申しているのは感傷から沸きあがってくる「孤独感」がどうのこうのではないのだよ。人が老いることによって自覚せざるを得ない、その絶対的孤独のことさ。いわば存在論的孤独のことだ。もっと云うなら、年々、わが身からただよってくる老醜を自分の鼻でかがねばならないという現実だ。君の云う感傷から来る安っぽい「孤独感」など十歳の子どもでも感じることができるだろうさ。

 

●今丼政幸
ばかもめは救いようのない馬鹿だな。  「人が老いることによって自覚せざるを得ない、その絶対的孤独」って、  人が絶対的孤独など感じられる訳がない。 ばかもめは、言葉の意味を理解出来ない。  「絶対的」とは、現実的には、ありえない。  絶対零度のように人が実際現場に立ち会えることもあるが、それですら、  定義として、エネルギーが最低となることと規定するから、量子学的には、  原子の振動がとまることはなくて、エネルギーが最低になることはない。  「絶対的孤独」とするのは、妄想だ。 ばかもめが妄想で出口なしの寸詰まりにもがくのは、他人にとって無関係だ。 ばかもめの絶対的孤独は、十歳の子供が感じる安っぽい孤独感以下の陳腐なものだ。  現実的には、現象がすべてで、自分がどう感じているかの感傷こそが  存在論的存在そのものだ。  「わが身からただよってくる老醜を自分の鼻でかがねばならない」とは意味不明だが、  老人臭は、本人より、臭い匂いを嗅がされる周りが迷惑で、当人自体は、  たいしてなんともないものだ。 わたすは、嫌悪感からばかもめが自殺しようと止めはしないから、 ばかもめは勝手にやってくれい。 ばかもめの悩み?を聞かされること自体がわたすにとって不快で迷惑だ。 たかが一個人の悩みが、全世界にとって意味あることでもない。  死にたいなら、一人で死んでくれ。 わたすには好きな歌がある。 この曲をばかもめに送ろう。  人生は素晴らしく美しいものだ。↓
https://youtu.be/RfHnzYEHAow

 

●かもめ
さて、いつまでも今井君を相手に馬鹿馬鹿しい話にうつつを抜かしていては、こちらまで本物の馬鹿になりそうなので表題に戻らなければならない。公知した通り六月一日、県立神奈川近代文学館にて執り行われていた『没後二十年 江藤淳展』に参じてまいったところなり。想像していた通り、文士の展覧会とは、何が展覧されているのかといつでも多少の疑念が残るが、やはりこれは画家や彫刻家のそれとはちがって、ようするにまずは文字を読んでもらうほかには手法もないのであって部屋の壁にそってしつらえられたガラスケースの中には、刊行当時の著書と、その自筆原稿、または手紙の類が次から次へと開示されていた。だが、周知の通り、原稿を書く道具とは万年筆である。したためられた文字を記しているところの物質はインクである。江藤淳が書き記した原稿も、今や半世紀が経たんとしているのであって、読むには難儀するほどインクも、かすれていた。以前、藤原定家になる明月記の墨書をみたことがあったが、それはそれは黒々した文字が踊っていた。もちろん、このことは近現代の文士の責にはできない問題だ。さて、文字を読む作業から解放されるうれしい一時があったのは、江藤淳自身が写されているたくさんの写真が飾ってあったことだ。江藤淳は、どの写真を見ても、いつでも微笑んでいる。深刻ぶったところがひとつもない。このニヤけた表情が、彼の著作を読みもしないうちから、わたしに江藤淳と云ふ文士にたいして誤解を持った所以のひとつであったことは相違ない。まずは、江藤淳の書いた物を読まねば私にとっての江藤淳は、なにもはじまらない。

 

 

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2 コメント

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Unknown (今井政幸)
2020-08-05 05:38:02
厳しい言葉の裏には後輩への想いがあったんです。今ごろ気付くとは……
2016年9月9日(金) 17:30 4


引退してからも野球界で解説者やコーチ、監督までやらせてもらったのも豊田さんが厳しい言葉を言ってくれたからだと思っているんです/写真=BBM


 水戸周辺の人の気質を表す言葉で「水戸っぽ」という言葉があるんです。「怒りっぽい、理屈っぽい、飽きっぽい」人のことを言うんですが、僕の性格も「水戸っぽ」そのもの。口では絶対負けませんから(笑)。豊田泰光さんもそのものでしょう?その2人の「水戸っぽ」気質が悪い方向に出てしまいました。

 引退後、僕は野球解説者として生きていくことにしました。当時、豊田さんが解説をされていたフジテレビの解説者として契約し、これからは一緒に野球の勉強をさせていただけると勝手に思い込んでいましたし、楽しみにしていました。

 しかし、現実はそうではありませんでした。あるコラムで「こんなこと(同じテレビ局の解説者になること)をする大久保は永久追放だ」というニュアンスの原稿を書いたということを聞きました。そして実際にそのコラムを読んで、そう書いてあり、ショックを受けたんです。「あ~、永久追放になるようなことをやってしまった」――。豊田さんにイヤな思いをさせてしまったと深く悲しみました。でも一方で・・・
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Unknown (今井政幸)
2020-08-20 17:05:57
文句あるやついたら
算段腹で下敷きにするぞ。
下敷き仲に礼儀あり。
返信する

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