世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

鶴見には駅そばに有名人のお墓が多い総持寺が、海のそばには首都圏の秘境駅の海芝浦駅があります

2017-07-30 08:00:00 | 日本の町並み
 北陸線の改良で、線路が引っ越しをして、駅も町の中心地から引っ越してしまった町が疋田でした。古い町並みへのアクセスは良くなったかもしれませんが、現在の集落からは遠くなってしまったようです。一方、人口が多く、アクセスに便利なように、引っ越してしまったお寺があります。横浜の鶴見区にある曹洞宗の総持寺で、石川県の門前から引っ越してきました。今回は、鶴見区の山の手にある総持寺と、海のそばの海芝浦駅とを紹介します。

 横浜市鶴見区は、横浜市の東端、鶴見川を挟んで川崎市と接しています。総持寺は、JR鶴見駅の西側、標高20mほどの小高い丘全体が境内になります。海芝浦駅は、鶴見駅から海に向かって南東に延びる鶴見線が、これ以上は海に阻まれて前に進めない終点の駅になります。

 
 
  
 総持寺は、1911年(明治44年)に輪島市門前から本山機能を移して創建された寺院で、もとの門前の総持寺は総持寺祖院と呼ばれています。総持寺は、福井の永平寺と並び称される曹洞宗の本山で、14世紀初頭に能登半島の門前で創建されました。たびたび火災に遭い、その都度再建されましたが、明治31年の火災で再建はされましたが、布教にふさわしい場所への移転の議論が高まり明治44年に本山機能を現在の鶴見に移転しました。境内は50万㎡と東京ドームの11倍で、緑豊かな中に堂宇や大学の建物などが点在しています。建物は、移転が明治の終わりですからそれ以降のもので、登録文化財にはなっていますが、重文はありません。しかし100年を経た建物群は、それなりに重みを感じます。隣接する墓所には、有名人のお墓が多いのも特徴で、最も有名なところでは石原裕次郎のものは五輪塔で、ファンの参詣が絶えないそうです。他には、実業家の浅野総一郎、政治家の芦田均、音楽家の黛敏郎、建築家の伊東忠太、そのほか軍人や外交官などなど、そうそうたるものです。布教の拠点を、首都圏に移した利点だったのかもしれません。

 
 
 
 一方の、海芝浦駅は首都圏にある秘境駅として、鉄道マニアなら必ずといっていいほど訪れる駅の一つです。秘境駅というと山奥の、列車が一日に数本しか停車せず、いつ廃止か?という駅を想像します。あひかし、海芝浦駅は、東海道線の鶴見駅から鶴見線と海芝浦支線を足して5km足らず、一日の乗降客数が3,000人を超えるバリバリの現役の駅です。では、なぜ秘境駅かというと、駅が東芝の工場敷地内にあって、東芝の社員か訪問者でないと駅から出られないからなのです。一般の乗客は、折り返しとなる乗ってきた電車で鶴見に戻るしかないのですが、この駅の環境が素敵なので人気があります。ホームの下は海で対岸には扇島があり大黒ふ頭とに間に架かる鶴見つばさ橋は目の前です。その奥には、横浜ベイブリジも見えます。これ以上は電車の進めない車止の先には海芝公園もあり、海を背景にして手入れの行き届いた花壇などがあります。

 鶴見線は、まさしく景品工業地帯のど真ん中を走る路線で、海芝浦駅は東芝の発電機などを作る工場、もう一方の扇島駅の対岸の扇島はJFEエンジニアリングの溶鉱炉があり、人間の輸送より貨物輸送の路線といった感じです。駅名にも浅野セメントの浅野総一郎、安田財閥の安田善次郎、日本鋼管の白石元治郎、製紙王と呼ばれた大川平三郎のそれぞれ名前を取った浅野駅、安善駅、武蔵白石駅、大川駅が現存します。かつては日本の基幹産業の重厚長大の工場群がひしめいていた路線です。日本の産業構造が軽薄短小のIT産業に移行してからは、工場群は各地に分散、一時期は九州に半導体産業が集中してシリコンアイランドと呼ばれたようです。さらに、世の中はハードからソフトへ、モノづくりから知的生産物へとの流れです。ただ、人類が物理的なモノとして惣菜する限り、モノづくりって必要で重要だと思うのですが。


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