世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

アウグスブルグはロマンティック街道の中継地として通り過ぎるだけではもったいない街です(ドイツ)

2017-07-23 08:00:00 | 世界の町並み
 首都の郊外にある建物の野外博物館のスカンセンとリガ野外博物館と続きました。このうちリガはラトビアの首都として、歴史地区が世界遺産に登録されていますが、その中にユーゲントシュティール建築群があります。ユーゲントシュティールは、フランス語のアール・ヌーボーに対応するドイツ語で、19世紀末から20世紀にかけて展開された美術の意匠です。ドイツ語圏を中心に広まりましたが、ドイツの租借地であった中国の青島や、日本でも神戸の風見鶏の館がユーゲントシュティールの影響を受けていると言われています。今回は、このユーゲントシュティールの建物が残るドイツ南部のアウグスブルグを紹介します。訪問したのは30年近くも前で、初めてのヨーロッパでした。写真は当然アナログで、スキャナで取り込んだものです。記憶もかなり曖昧で、間違ったところはお許しください。

 アウグスブルグは、ドイツ南部の30万都市で、ドイツの中で25番目に大きな都市です。紀元前15年にアウグストゥスによって城が築かれたドイツでもっとも古い都市の一つです。15世紀から16世紀にはフッガー家などにより金融都市として栄え、市内にはフッガー屋敷も残されています。このフッガー屋敷は、16世紀にフッガー家が建てた世界最古の社会福祉施設で、集合住宅の家賃は数百円で、現在も住民が居るそうです。


 
 市内では、日本人の姿を、あまり見かけませんが、ロマンティック街道の中継地として、ツアーバスで通り抜ける日本人は多いのかもしれません。南に行くとノイシュバン・シュタイン、北に行くとローテンブルグなど、ロマンティック街道を走る路線バスも当地から出ていました。また、中央駅から鉄道で100kmほど南に行くと、1936年に冬季五輪が開かれたガルミッシュ・パルティン・キルヘンがあります。駅前から登山電車を使って、オーストリア国境の山でドイツ最高峰のツークシュピッツェにも上ることができます。

 
 
 さて、アウグスブルグのユーゲントシュティールですが、駅から東に延びるハルダー通りに20世紀初頭建設されたシナゴーグの建物に見られます。ただ、筆者は当時にこの知識が無くって訪問していませんので、残念ながら写真もありません。ユダヤ教のシナゴーグは1か所ですが、キリスト教はカトリック、プロテスタントのおのおの中心的役割を果たす教会があります。カトリックでは司教座教会のドームがありますが、通常ドームから思い浮かべる丸屋根は見当たらず三角形の尖塔が天を突くゴシック建築でした。一方、アウグスブルグ大聖堂は、9世紀ごろから建てられ始めたロマネスク教会で、のちにゴシックで改修され、両様式が併存する教会です。併存といえば、聖ウルリヒ・聖あふら・バシリカ教会は、カトリックとプロテスタントが同居する教会です。これは、この地で宗教和議がなされた場所であることの象徴のようです。

 
 一方、ルネサンス様式により17世紀初頭に建てられ戦後に再建されたのが市庁舎です。市庁舎が建てられたころのアウグスブルグは、ヨーロッパでも指折りの繁栄をほこり、この建物はキタヨーロッパでも最高の建物の一つとされています。
 他のドイツの都市と同様に、市内には路面電車が走り、緑が多く、喧噪さを感じない都市の一つです。ドイツでは巨大な都市は少なく小ぶりな都市が分散しているので、どこかのんびりとした空気が漂うのかもしれません。その割に、鉄道駅には、コインロッカーがあり、駅からの路線バスも整備されていて、個人旅行にはありがたい国です。観光大国と言われる、ドイツのお隣では、真逆で、旅行者には冷たい印象を受けます。


 ルターは、当時のカトリック教会が乱発した免罪符の欺瞞性を攻撃しました。免罪符は、仏教における「地獄の沙汰も金次第!」と似ているようです。最近は、世界的な組織もネットやTVを通して、免罪符を配布しているようにも思います。「あなたの寄付で、何人もの子供の命が救えます」。メディアを通せば、ルターの頃に比べて、はるかに早く、沢山のお金が動くようにも思えます。


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