パリとボルドーとの間に位置して、ファサードのレリーフが見事なサン・ピエール教会のある町がアングレームでした。旧市街は、駅から坂を上った小高い丘の上に城壁に囲まれていました。ヨーロッパでは、外敵から待ちを守るため、城壁に囲まれた町が数多く存在しますが、これらは城そのものを取り囲むだけではなく、町全体をカバーするものも少なくないようです。今回は、これらの中から、ポルトガルのオビドスを紹介します。
オビドスは、首都のリスボンの北80kmほど、郊外電車でも路線バスでも1時間あまりといった距離にあります。ただ、筆者はバターリャやアルコバサなどの世界遺産の町も一日で効率よく廻ってくれるリスボンの現地発のバスツアーを購入し、オビドスの丘の麓にある駐車場へ直行でした。
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オビドスは人口1万人程度の小さな村で、起源は1世紀頃で、ローマ人やアラブ人が入れ替わり立ち代り占領を繰り返したようです。歴史が古い村のせいでしょうか、道路の真ん中で遺跡発掘が行われていて、穴の底には人骨が横たわっていました。12世紀にポルトガルの初代の王によって、アラブ人を追い出して王の保養地としました。その後、13世紀になって、時の国王が、この地を新妻へのプレゼントとし19世紀終わり頃まで王妃の直轄地となりました。それだけ、このオビドスは、保養地として優れていたのでしょうが、住民にとっては、自分達には無断で、勝手にプレントに使われたのでは、えらい迷惑ではなかったでしょうか。15世紀には、城壁の端にオビドス城も建てられ、現在はポサーダ(国営ホテル)に改修され、ポサーダの中でも予約の取りにくいホテルの一つです。
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バスで着いた駐車場の近くには、16世紀にスペインから嫁いできた王妃の命令で作られたという長さ3kmに及ぶ水道橋の一部があります。駐車場から坂を上り、アズレージョ(陶板)に彩られた城門をこぐると、南北500m、東西に200mほどの楕円形の城内に入ります。石畳の道の両側には、民家の真っ白の壁が続きます。家によっては、下部を黄土色やオレンジ、そしてブルーに縫っている家も多く、ブルーと白とのコントラストは、地中海を挟んだ南側のチュニジアのシティ・ブ・サイドを思わせます。日本の観光地にあるような、景観を乱すような卑猥な土産物屋の建物などはありません。どこまでも、白壁とオレンジ屋根の家並みが続いています。町並みの所々には、景観を壊すお土産屋ではなく、壁一面の花であったり、木々の緑が変化をもたせています。
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こんなに狭い町並みの中に2つも教会がありました。一つは、黄金の祭壇が、ちょっと派手すぎの印象でしたが、他方は壁一面のアズレージョが、ポルトガルを感じさせます。このアズレーショは、側廊の壁だけでなく、主祭壇の周りや、翼廊にまで伸びていて、他の国の教会では見られない光景です。
南ヨーロッパや北アフリカに行くと、水道橋をよく見かけます。大部分はローマによって作られたようで、古代ローマ人の土木技術の高さは、考えようによっては現在より優れていたと思います。たしかに、現在の土木技術は、レーザーなどの電子機器を総動員して、山の両方から掘ったトンネルの掘削面の食い違いがcmのオーダーに収まるといわれています。しかし、これは電子技術に依存しているだけで、土木の精度が高くなったとは言いがたいように思います。ローマの水道橋の傾斜は、3km行って1mという非常になだらかなもので、また高度な水密構造が必要なサイフォンもあちこちに作られています。技術によっては、退化現象もありうるということでしょうか。
オビドスは、首都のリスボンの北80kmほど、郊外電車でも路線バスでも1時間あまりといった距離にあります。ただ、筆者はバターリャやアルコバサなどの世界遺産の町も一日で効率よく廻ってくれるリスボンの現地発のバスツアーを購入し、オビドスの丘の麓にある駐車場へ直行でした。
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オビドスは人口1万人程度の小さな村で、起源は1世紀頃で、ローマ人やアラブ人が入れ替わり立ち代り占領を繰り返したようです。歴史が古い村のせいでしょうか、道路の真ん中で遺跡発掘が行われていて、穴の底には人骨が横たわっていました。12世紀にポルトガルの初代の王によって、アラブ人を追い出して王の保養地としました。その後、13世紀になって、時の国王が、この地を新妻へのプレゼントとし19世紀終わり頃まで王妃の直轄地となりました。それだけ、このオビドスは、保養地として優れていたのでしょうが、住民にとっては、自分達には無断で、勝手にプレントに使われたのでは、えらい迷惑ではなかったでしょうか。15世紀には、城壁の端にオビドス城も建てられ、現在はポサーダ(国営ホテル)に改修され、ポサーダの中でも予約の取りにくいホテルの一つです。
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バスで着いた駐車場の近くには、16世紀にスペインから嫁いできた王妃の命令で作られたという長さ3kmに及ぶ水道橋の一部があります。駐車場から坂を上り、アズレージョ(陶板)に彩られた城門をこぐると、南北500m、東西に200mほどの楕円形の城内に入ります。石畳の道の両側には、民家の真っ白の壁が続きます。家によっては、下部を黄土色やオレンジ、そしてブルーに縫っている家も多く、ブルーと白とのコントラストは、地中海を挟んだ南側のチュニジアのシティ・ブ・サイドを思わせます。日本の観光地にあるような、景観を乱すような卑猥な土産物屋の建物などはありません。どこまでも、白壁とオレンジ屋根の家並みが続いています。町並みの所々には、景観を壊すお土産屋ではなく、壁一面の花であったり、木々の緑が変化をもたせています。
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南ヨーロッパや北アフリカに行くと、水道橋をよく見かけます。大部分はローマによって作られたようで、古代ローマ人の土木技術の高さは、考えようによっては現在より優れていたと思います。たしかに、現在の土木技術は、レーザーなどの電子機器を総動員して、山の両方から掘ったトンネルの掘削面の食い違いがcmのオーダーに収まるといわれています。しかし、これは電子技術に依存しているだけで、土木の精度が高くなったとは言いがたいように思います。ローマの水道橋の傾斜は、3km行って1mという非常になだらかなもので、また高度な水密構造が必要なサイフォンもあちこちに作られています。技術によっては、退化現象もありうるということでしょうか。