世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

小谷城跡の西にあって、かつては行政の中心であった速水地区は、静かな田舎になっていました

2018-03-04 08:00:00 | 日本の町並み
 義経の一の谷の古戦場跡と言われている一の谷の近くの塩屋には、北野町とは違った異人館の姿があありました。一の谷の戦いは、源平の天下分け目の戦いの始まりのような戦いでしたが、京都の周辺の交通の要や隘路となる場所には天下分け目の古戦場が多いようです。山が迫り淀川との間が狭くなる山崎は秀吉と光秀の古戦場、そして美濃から琵琶湖へ抜ける回廊状の場所が関ヶ原です。この関ヶ原の北には、北陸から琵琶湖への谷筋にある賤ケ岳や、関ヶ原をにらむ位置にあった小谷城の古戦場があります。今回は、小谷城のあった小谷山の西を走る北陸線の最寄り駅である河毛駅のさらに西ににある速水地区を紹介します。

 
 
 
 
 
 河毛駅は、JR北陸線を米原から北へ5駅、長浜駅の2つ先です。この河毛駅の西500mほどの所に、かつての北国街道の脇街道が並行して走っています。速水地区は、江戸時代から行政の中心地として明治期にまで郡役所も置かれました。しかし、現在の北陸線が開通した時にできた河毛駅は4年で廃止、復活したのは戦後もずいぶん経った1954年でした。このため、速水町は衰退し、南側の駅のあった虎姫町に取って代わられました。ただ、このために速水地区は、冷凍保存状態で開発の波に潰されることが無く、商家や農家が散在するのどかな風景を残したようです。

 
 
 現在の速水地区は、古民家が散在するだけでなんの変哲もない田舎ですが、お寺や空き地に季節の花が咲き乱れていて、何となくほっとする場所の一つになっています。地区の中にはいくつかの神社仏閣がありますが、訪問した神社とお寺を一つずつ紹介しておきます。神社は伊豆神社で、祭神は瓊々杵尊、八重事代主命、波多八大宿禰波美臣命の3柱で、毎年9月1日にお祭りがあり、2016年には武者行列が復活したそうです。境内に大きなケヤキがあったようですが、訪問した時には切株状態でした。お寺は、念慶寺で、17世紀初頭に創建された大谷派のお寺です。湖北から北陸に数多く残る一向宗のお寺の一つですが、寺内町を作るまでには至らなかったようです。境内に咲いていたハナミズキの花が見事でした。

 小谷城の場所は知らなくても、浅井長政とお市の方の悲劇の舞台となった城として知名度の高い城の一つです。お市の方は、柴田勝家と再婚しますが、再び城攻めに遭い2度の落城を経験しています。ところが、お市の方の孫にはそうそう樽人物がそろい、千姫、徳河家光、徳川和子などなどで、現在の天皇は徳川和子の血筋であることから、お市の方の子孫ということになります。お市の方のDNAが保存されていれば、現在の皇室のDNAとの間で、血縁関係が明らかになるのかもしれません。ただ、このDNA型鑑定は犯罪捜査に利用される割に、不明な点も多く、偶然の一致の確率など、母集団の数が少なくて検証できていないのだそうです。指紋の方は、コンピュータによる認証が進み、鍵の代わりや、戸籍として使われたり、出入国管理を短時間で通過できるなど犯罪捜査以外にも使われます。生体認証は、生体そのものの特徴で個人を特定しますが、生体にチップを埋め込まれるのは御免です。


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