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英仏の卑劣な破壊と略奪が無ければ、円明園は間違いなく世界遺産の一つになっていたでしょう(中国)

2018-07-15 08:00:00 | 世界の町並み
 長くイギリスの東インド会社の拠点となり、第2次大戦後にマレー連邦としての独立を経て、人種問題からマレーシアとたもとを分かったのがシンガポールでした。イギリスの支配下のシンガポールは、イギリスの他の植民地との間で、アヘンや茶葉、天然ゴムなどの中継貿易地として栄え、中継貿易の拠点の体質は現在も続いています。そして、シンガポールを経由したアヘンによって引き起こされたのがアヘン戦争、それに続いてイギリスの清朝の侵略が続きます。やがて、アロー号に対する臨検に言いがかりを付けた英仏が清朝に攻め入って皇帝が北京から逃げ出すまでになったのがアロー戦争です。この時、北京の郊外にあって18世紀初頭に作られた庭園の円明園も徹底的に破壊されてしまいました。今回は、廃墟となった現在も、残された石の列柱などが美しい円明園跡を紹介します。

 
 円明園跡は、北京市街地の北部、世界遺産の頤和園(いわえん)の東側に位置しています。周辺には民家はまばらで、多くの大学がキャンパスを構えているようです。広さは2km四方ほどで、頤和園の広さにはかないませんが、内部を歩き回ると広すぎて疲れます、ただ一部の区間にはトラムが走っていて助かります。円明園の南東には綺春園が東には長春園があり、広義の円明園はこの総称で、現在の公開施設もこの範囲です。

 
 
 
 
 アロー戦争で略奪と破壊が行われたので、木造建築物は全く残っていませんが、燃えることが無かった石の構造物がかろうじて残っています。そう、円明園には木造の中国宮殿に加えて、洋風の庭や建物がありました。長春園の北には海晏堂と呼ばれる洋風宮殿と庭園とがあり、現在みられる石組などは、その残骸で、一部を除いては瓦礫状態です。保存性が良いのは、万花陣で、中央にドームを持つ洋風の東屋が建ち、その周りには石造りのメーズ(迷路)が取り囲んでいます。この迷路は現在でも遊ぶことができ、いがいと脱出に苦労します。ただ、これらの風景を見ていると、中国の北京に居ることを忘れローマやトルコの遺跡を見ているようです。これらの残骸を除いては、緑が続く公園で、これだけを見ていると、かつてここに離宮が存在したとは考えられません。

 この円明園は、比較的最近まで廃墟として捨て置かれましたが、近年になって復元するか現状のまま保存するかの議論が起こり、一部の建物を復元するプロジェクトが立ち上がっているようです。破壊行為があってから160年ほども立っていて、おそらく破壊前の図面や写真はほとんど残っていないのではないでしょうか。海晏堂は銅板がに描かれているようですが、建物の傷まで再現したワルシャワ旧市街のようにはいかないでしょう。最近の文化財の復旧では、色々な資料を参考にしてコンプータ・グラフィクスで再現映像を描くことができるようになっています。それかといって、実物を再現することなく、VRだけ、というのも味気ないですが。


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