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女子大の構内で見学には敷居が高いのですが旧島津侯爵邸は見どころいっぱいです

2018-07-22 08:00:00 | 日本の町並み
 駒場公園の中心的な存在が旧前田侯爵邸の洋館と和館でした。江戸時代から明治に移行する時には、江戸時代の藩主は華族として特権を与えられ、旧江戸屋敷の場所に豪邸を建てたようです。現在、その一部は、某ホテル・チェーンが買い取って、ホテルの一部として使われていたり、旧前田侯爵邸のように公的団体の所有になっていたり、大使館として使われている建物もあります。その中に、女子大の建物として使われているのが旧島津侯爵邸です。今回は、旧前田邸に続き旧華族の邸宅の一つである清泉女子大学の本館を紹介します。

 
 清泉女子大学は、五反田駅の東に延びる広い通りを400mほど行って、北に曲がり坂を上りきったところの左手に正門があります。周辺は、住宅密集地ですが、大学の構内だけが緑豊かな小高い丘になっています。

 この場所は、江戸時代には伊達藩の江戸下屋敷があり、明治になって島津家の所有になりました。伊達藩の時代に建てられた家屋が老朽化したために、鹿鳴館の設計で有名なジョサイヤ・コンドルに設計依頼をして建てられたのが、現在の旧島津侯爵邸です。設計依頼は明治年間でしたが、設計変更や明治天皇の崩御などで完成は大正4年だったそうです。その後、島津家の窮乏で日本銀行の手に渡り、戦後はGHQの管理下で紹興の宿舎だったそうです。その後、横須賀にあった清泉女子大が、昭和37年に日本銀行から買い取って、移転し現在に至っています。

 
 
 
 旧島津邸は、女子大の構内なので、自由には見学はできず、ガイド付きの見学会を申し込んで参加するなどの手続きが必要です。旧島津邸の本館は、正門を入って、坂を上ったところにあり、左手に奥庭に面したバルコニーのある正面玄関が、右手は他の建物に向かって伸びています。同じジョサイヤ・コンドルの設計のためか、バルコニーの雰囲気は旧岩崎邸の洋館に似ているように思います。

 
 
 
 内部は、廊下も階段も赤いじゅうたんが敷き詰められて、重厚な感じです。窓にはめ込まれたステンドグラスはアールヌーボ様式で、なかなか素敵で、島津家の紋章の丸に十字も見えます。チャペルもあって、シンプルな感じがするのは、おそらく、元からあったものではなく、居室をチャペルに改造したのではないかと思います。

 
 玄関の前の庭は、芝生と楓(ふう)の木があるだけで、広い空間が、ちょっと贅沢なかんじもします。庭の中央あたりの楓の木は、シンボルトゥリーのような感じで高さが20mほど、樹齢は推定200年だそうです。伊達藩邸であったころに植えられたもので、小高い丘に植えられた木は高尾もみじと呼ばれ有名であったそうです。また、庭の奥にはミッションの女子大らしく手を広げたキリスト像がありました。

 ジョサイヤ・コンドルは、いわゆるお雇い外人で、イギリスから24歳で来日し、鹿鳴館の設計などと共に、東大の前身の工部大学校で教鞭をとってました。24歳というとマスターの2年生という若さ、西洋建築の先進国からといっても信じられない若さです。コンドルが設計した建物は、旧島津邸以外にも、旧岩崎邸、旧古河邸、旧諸戸邸などかなりの数が現存しています。それも、そのはずで、ほとんどのお雇い外人が、数年でさっさと母国に帰ってしまったのに、コンドルは日本舞踊の御師匠さんと結婚をして日本に住み着いちゃったのです。とこrで、コンドルの読み方は、オランダ語風で、本来はコンダと発音されるべきだそうです。江戸時代の蘭学のなごりでしょうか。ジョサイヤの方もオランダ読みにするとヨシヤってところでしょうか。綴りが同じでも、国が違えば発音が違い、同じ国でも綴りが似ていても、全く違った音など、コンピュータによる読み上げ用の辞書を作るのは大変な作業だったのでしょうね。


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