世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

おはなはんの大洲や内子座で有名な町に比べて知名度はやや下がるかもしれませんが、重伝建地区の卯之町は古い町並みが冷凍保存されてます

2020-06-21 08:00:00 | 日本の町並み
 予讃線の松山と宇和島の間の街並みの大洲と内子とを紹介してきましたが、今回はもう一か所を追加して卯之町を紹介します。

 卯之町は、かつては宇和町の中心地でしたが、町村合併によって現在は西予市に属しています。予讃線の伊予大洲と宇和島の中間よりかなり宇和島寄りに位置しますが、直線距離ではほぼ中間になります。八幡浜を経由する予讃線が三角形の二辺を回るように遠回りをしているためで、この区間は大洲と宇和町とを直線で結ぶ高速道路を走るバスの方が早くて便利です。実はこの高速道路は江戸時代の宇和島街道の名残で、卯之町は街道の宿場町として栄えました。幕末には八幡浜出身の蘭学医の二宮敬作が町者として開業をし、シーボルトの娘のイネを引き取って医学を教えて産科医に育てた町としても有名で、先哲記念館にその状況が紹介されています。

 
 
 歴史のある卯之町ですが、国道などは町の中心地から離れた南側に造られ、中町などかつての町の中心地区は時代から取り残されてしまったようです。時間が止まったようにな町並みで出会う人も多くありません。町の全体を眺めるには、先日殿先哲記念館の北東の裏山の上にある愛媛県歴史文化博物館まで登るとよくわかります。博物館は愛媛県の歴史文化についての展示がされていて、建物も一軒の価値があり、特にエントランスから眺める吹き抜けの空間は圧巻です。ただ、愛媛県全体をカバーする博物館が松山ではなく卯之町にあるのかはわかりませんでした。

 
 
 
 
 
 
 さて重伝建地区の町並みですが、古民家が集中するのは先哲記念館から西北西に延びる中町で、300mほどの通りは、出格子や白壁の民家がびっしりと並んでいます。この中に、江戸時代に創業という旅館があり、数多くの有名人が宿泊したようで、建物もお庭も重みがありましたが、2度目の訪問の時には休業していました。旅館に加えて通りの中央あたりには民具館があり、赤いポストと出格子が美しい建物です。

 
 
 
 民具館の横の右手に入って坂を上ると突き当りが光教寺でその手前の左手には、明治に町民の寄付によって建てられたという小学校の開明学校の校舎が建っています。松本にある開智学校に比べると、かなり小ぶりですが重文指定になっています。学校と言えば、中町を通り過ぎて右手に山すそを北に入ると旧宇和町小学校の校舎を利用した宇和米博物館があります。米に関する展示が行われていますが、元となった木造の校舎は長さがなんと109mもあります。廊下の端に立つと、もう片方は霞んでいるように感じます。この長い廊下を利用して、毎年開かれるのが雑巾がけレースがあり、四つん這いで109mを駆けぬけるのはかなりハードでしょう。

 
 
 先哲記念館を南に行くと鳥居門という立派な長屋門が残っています。江戸末期に庄屋の鳥居半兵衛兼利という人が藩の許可を得ずに建て、身分不相応との理由で左遷された問いわくつきの門だそうです。この門を通り越して中町の通りの南側の通りを行くと、古民家はまばらになりますが、その中に高野長英の隠れ家という建物が残っています。蛮社の獄で投獄後に逃亡した長英が潜伏した場所で、かくまったのはイネに医学を教えた敬作です。

 シーボルトは、実際にはドイツのヴュルツブルグの出身でドイツ人でしたが、オランダ人と偽って長崎から日本に入国したことは有名です。江戸時代にはパスポートは当然無いので、本人の言うことを信じるしかなかったのかもしれません。顔かたちで、ヨーロッパ人の出身国を識別するのは無理だったでしょうから、オランダ語を話す人がオランダ人だったのでしょう。パスポートと言えば、久しぶりにイミュグレーションを通ったら、顔認証なんで、中国でもそうでした。最近話題になったのが、新型コロナのためにマスクをしていて認証が可能かということでしたが、問題なく本人と確認できるようです。


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