世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

石炭とニシンとで潤った小樽は、それらの遺産が観光資源となって今も多くの観光客を集めているようです

2020-12-06 08:00:00 | 日本の町並み
 佐賀県との県境に廃線で使わなくなった昇降橋が保存されているのが福岡県の西端の大川でした。人の移動が鉄道から自動車に移り、全国的に廃線が加速し、特に九州や北海道では顕著のように思います。北海道で最初に開通した鉄道は、幌内炭鉱の石炭運搬のため幌内ー札幌ー手宮を結ぶもので、明治初期の開通でした。函館本線開通後も南小樽を起点とした手宮線として、生き残りましたが1985年に廃止されました。今回は、手宮線の廃線跡が残る小樽の運河地区周辺を紹介します。

 
 
 手宮線は廃線になってから35年にもなりますが大部分の路線敷きが保存されています。レールは当然、踏切や信号機などのほか色内仮乗降場は休憩所として駅舎が復元されています。もちろん列車は来ないので踏切には遮断器はありませんが、東南アジアの鉄道のように、ひょっこりディーゼルカーが現れそうな気がします。レールが残っているからということで、LRTで復活という案もあるのだそうです。

 
 
 
 
 手宮線の終点の桟橋駅跡を北端として南に延びるのが小樽運河で、小樽港のに扱いが増えたため艀が倉庫群に直接横づけできるように大正時代に開削された運河です。戦後には小樽港に埠頭が整備され、運河としての使命を終え、倉庫群ともども再開発計画で埋め立てられる可能性がありました。、しかし運河沿いの歴史的な景観の保存運動が起こり、紆余曲折はありましたが現在のような独特の景色残され観光の目玉となりました。

 
 
 小樽運河周辺は石炭の積出港がきかけとして栄えましたが、大正期からはこれに加えてニシンの豊漁によって多くの銀行が集中するようになりました。ピーク時には25項に達したようで、北のウォール街と呼ばれたこともありますが地元ではこの表現はほとんど使われなかったそうです。現在は3行が残るのみだそうですが、閉店となった銀行の建物の一部は博物館など再利用され、小樽の景観を保っているようです。

 
 
なかでも旧三井銀行小樽支店は2002年に閉店されましたが2016年から内部公開されています。貸金庫の部屋は、4隅に45度に設定された鏡があって、鏡の向こうに自分の背中が見られます。不審者を監視するためだそうですが、並行する鏡の間に入ると、無限に遠くが見えるのと似た減少です。またロビーには巨大なステンドグラスが飾られていますが、これは18世紀にフランスで作られ、ベルギーの教会に献堂されましたが、1994年に協会が取り壊されることになったため、取り外されて小樽にやってきたそうです。

 かつての銀行の建物はどれもいかめしく権威の象徴のようなものが多く、かつては辰野堅固いあや金吾が得意とした分野だったようです。ちゃちな建物では、お客が安心してお金を託せなかったからかもしれません。しかしネット銀行をはじめディジタル通貨など、権威の象徴が目に見えなくなってきています。ただ、権威の象徴の建物の必要性はあまり感じませんが、ネットを利用したお金の動きには、安全性で疑問があります。暗号は絶対ではないし、内部犯罪に無防備な仕組みでは全面的に信用はできません。


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