世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

小さなはしけで渡ったメコン川も面白かったのですが、シーパンドンのホテルの部屋から見るメコン川の朝焼けは格別でした(ラオス)

2024-10-27 08:00:00 | 世界の町並み
 前回はタイの最北端に近いチェンマイの町を紹介しました。このチェンマイはタイで第2の都市で、タイ国内からだけでなく関空から直行便も飛んでいる国際都市です。タイの北部で国境を接しているラオスからも空路がありますが、今回と次回に分けてチェンマイへの空路はありませんがラオスの最南端のシーパンドンを紹介します。

 シーパンドンはラオス野最南端で南側はカンボジアと国境を接しています。アクセスの拠点になるのは、北に160kmも離れたパークセーで、こちらにはラオスの国内便だけでなくベトナムのホーチミンやカンボジアのシェムリアップからの空路がありますが、国際空港と言ってもチェンマイ空港と比べるといかにも田舎の空港といった感じがします。シーパンドンにはパークセーの町からメコン川に沿って南下します。世界遺産のルアンパバーン、首都のビンチャンを流れれ来たメコン川がパークセーを通り、カンボジア国境との間に壮大な滝を形作っていますが、この滝については次回に紹介します。コロナの前は、パークセーから船中で2泊するクルーズ船が運行されていましたが、筆者は車による1泊2日のツアーで世界遺産のワットプーを組み合わせた現地ツアに乗っかりました。海のクルーズと違って揺れる心配がない川船に乗りたかったのですが、コロナによる観光客減少で無くなってしまいました。

 
 
 クルーズ船には乗れませんでしたが、行程の都合で橋のかかっていないところでメコン川を横断することになり、カーフェリーに乗船しました。この船はカーフェリーと書きましたが、ワゴン車が2台やっと乗れるほどのちいさな渡し舟で、かなり危険な乗り物だったのでしょうが面白い経験でした。小さな船を2台並べて板を渡して、その上に人間や車を乗せ、操舵室は小屋組みをした一段高いところにありました。

 
 
 
 川を渡った後は、行けども行けども田舎の一本道がシーパンドンまで続いています。途中に少数民族のクラス村があってts値よりをしました。高床式の住居の舌では、咲いた竹を加工して籠などが作られていました。また、観光客相手でしょうか、東南アジアなどでよく見かけるココヤシの実を和ってココナツジュースを売る光景も見られました。


 

 田舎道を走った後に着いたシーパンドンは町の様子が一変します。一大観光地で、リゾートホテル風のホテルも多くたっています。筆者が宿泊したのは、メコン川の西岸に面したホテルで、雄大なメコン川がよく見える部屋でした。夕食で外出の時に三田夕焼けは、町並みの上に少しの茜空でした、日の出前の朝焼けはすごかった。空もメコン川の川面も真っ赤に染まった景色が部屋の窓から眺められるのは、すごい贅沢な気分でした。

 朝焼けも夕焼けも、太陽の光が地表近くの長い距離を通ってくるときに、波長の長い赤い光が散乱を受けにくいために赤く見える現象です。雲があると湖の赤色を反映してさらに華やかな夕焼けや朝焼けになるのですが、シーパンドンの朝は快晴で雲一つありませんでした。しかし、雲の代わりにメコン川の川面が赤色を反映する役割を果たして豪華さを演出していました。この散乱を受けにくいという性質を利用して、遠くの山などの写真を撮るときに利用されたのが赤外線フィルムで、もちろん仕上がりはモノクロですが、遠くの景色がくっきりと撮れました。波長が長いということは散乱を受けにくい利点はあるのですが、小さなものを見分ける分解能においては、逆に波長が短いほど有利になります。電子顕微鏡やIC素子のパターン描写では光より波長の短い電子線が使われるのですが、朝焼けの写真を撮った撮像素子は電子線でパターン描写をして作られたものでしょうね。

山陽電鉄の網干駅の北側には、南側の古い町並みとは違う、どこか懐かしい民家が点在しています

2024-10-20 08:00:00 | 日本の町並み
 前回は伊豆箱根鉄道の大雄山線の名前の元になってい大雄山最乗寺を紹介しました。この大雄山線は大雄山道了寺の参詣のために1921年に小田原からの線路が惹かれましたが、1956年になって大雄山駅の手前500mの所に新しい絵k時としてフジフイルム前駅が開業しています。フジフイルムの足柄工場の開設は1935年ですから、だいぶ遅れて駅ができたわけです。足柄工場はフィルムの国産化を目指して設立された製造拠点で、フジフイルムホールディングスになる前のフジフイルムの登記上の本社となっていました。このフジフィイルムは、現在では押しも押されぬ世界的な企業ですが、創業時は大日本セルロイド(ダイセル)の小粥氏でした、フィルムベースとして当時はセルロイドだったからかもしれません。このダイセルの前身の日本セルロイドの創業工場があったのが網干です。今回は、以前に紹介した工場のあった、山陽電鉄の網干駅の南側ではなく、駅の北側を紹介します。

 
 
 網干という駅はJR山陽本線にもあり、車両基地があって大阪方面から網干行の電車も多く見かけます。しかし、網干町の中心街はJR駅の南3km程で私鉄の山容電鉄の網干駅近傍で紹介するエリアもこちらになります。山陽電鉄の本線は姫路から出ていてますが、神戸方面から姫路に向かって大きく北に曲がる飾磨からそのまま西に直進するのが網干線で飾磨との間の単線を3両編成の電車が往復しています。以前に紹介したダイセル異人館は、網干駅の南側にあって、明治末期に建てられた下見板張りの外国人技師住宅が2棟建っています。そのうちの1棟はセルロイド資料室として公開されていて、黒いキューピー人形が置かれています。周辺には陣屋跡など古い町並みがあって、すでに紹介済みです。

 
 
 
 今回紹介するのは、駅の南の町並みほど古い町並みではありませんが、駅の北側500m程のところに点在する土蔵造りの民家です。ほとんど話題にもならない野でしょうが、どっひりとした白漆喰塗りの家屋や、板壁の家屋など、なかなk趣があります。また、漆喰で塗られた白壁の塀も、ところどころが崩れていたりして愛嬌があります。このような風景は、かつては日本のどこでも見られたようにも思いますが、今では希少価値となり、懐かしさをおぼえる風景になりました。

 セルロイドというのはニトロセルロースと樟脳から作られる世界最初の合成樹脂と言われていますが原料に高分子のセルロースが使われていることから現在では半合成樹脂と呼ばれています。原料のニトロセルロースは綿花役として大砲に火薬としても使われたもので、セルロイドは燃えやすいという欠点が付きまといました。また、ニトロセルロースが元のセルロースと硝酸に戻ってしまう劣化もあって、便利だけれど欠点も多い材質でした。かつての映画フィルムはセルロイドが使われていたため、フィルムライブラリーに保存されている情報を後世にどのように伝えるかが問題になっているそうです。電子データ化するのがよさそうですが、大変な手間がかかりそうです。ただ、電子化しても記録された情報の保存性はよくなるでしょうが、未来において映像データの圧縮アルゴリズムなどが変わらないという保証はなく、記録はあっても再生できなくなる恐れは十分にありそうです。

ルアンパバーンのメインストリートのサッカリン通りは1km程の長さに数多くの寺院がひしめいて、それぞれの寺院を区別するのが難しいのですがどれも美しい(ラオス)

2024-10-13 08:00:00 | 世界遺産
 前回と前々回は新しく登録された世界遺産を2件紹介しましたが、相変わらず世界遺産の数では世界の一二を争うのは中国のようです。その中国の南にあって、近年は中国資本による中国への鉄道が開通したのがラオスです。世界遺産の数は文化遺産が3か所で、中国と比べようもありませんが、数ではなく美しさや独自性で貴重な文化遺産です。鉄道で流入してくる中国に押し流されないか心配ですが、今回と次回とは町並み全体が文化遺産となっているルアンパバーンを紹介します。

 ルアンパバーンの地名は昔はルアンプラバンと言ってましたが、現在はラオ後の発音に近いルアンパバーンになっています。かつての表記はタイ語に起因しているのだそうです。ラオスの首都のビエンチャンからメコン川を400kmほどさかのぼった、ナムカーン川がメコン川に合流するあたり、半島のような地形のところが町の中心部です。空港はナムカーン川の向こう側で、小さな空港ながら4か国に向けて国際線が飛んでいるのは世界遺産のおかげかもしれません。15年前訪問した時には鉄道が無い国でしたが中国資本によりビエンチャンを起点にルアンパバーンを通って中国の昆明まで通じています。しかし、ビエンチャンもルアンパバーンも鉄道駅は町から遠く、せっかくビエンチャンからルアンパバーンに2時間で行けても、駅へのアクセスで無駄な時間を費やしそうです。

 

 ルアンパバーンの中心街は幅が南北に300m程の半島状の場所に集中しており、主だったホテルや寺院それに食堂や土産物屋もこのエリアに集中しています。極端に言えば、この辺りはホテルや寺院の間に民家が建っているといった図式です。ただ、例外的に巨大な涅槃仏を安置するベトナム様式のワット・パバートタイだけは、中心街から西に2.5km以上も離れており暑い中を歩くのは辛くツクツクによる移動になります。市街地からここまでくると、さすがに民家も減り、人通りも無くってのんびりした田舎風景になります。このワット・パーバタイは17世紀に創建の寺院ですが、19世紀に火災に遭い現在の建物はその後の再建だそうです。涅槃物はトンネルのような堂の中に少々窮屈双の収まっていました。

 
 
 
 多くの寺院の中でルアンパバーンの象徴的な寺院は岬の最東端に近い16世紀創建のワット・シェントーンです。本堂はルアンパバーン様式と呼ばれる雄大なもので、湾曲した屋根は東側が三重に西側が二重に折り重なり、それぞれの屋根が途中の傾斜が変わる部分でも折り重なり、合計九つの部分から構成されるという複雑な形をしています。ファサードの装飾も豪華できらびやかです。

 
 
 
 
 
 
 
 ワット・シェントーンの南側から東西に延びるサッカリン通りがメインストリートで、道路の両側に次々とお寺が現れ、早朝の托鉢もこの通りの西寄りでお紺われます。寺々の外観はおおむねワット・シェントーンに似て反りのある旧な勾配にある屋根の下に、きらびやかな装飾を施されたファサードを持っている寺院が多く見られます。これらの寺院の多くは早朝や日没後にライトアップされ、暗闇の中に浮かぶ建物も幻想的で美しい姿です。堂の内部に安置された仏像は、ほぼ例外なく黄金に輝く金銅物で、日本との文化の差を感じます。境内に船が飾られている寺院もありますが、この船も黄金で装飾されていました。この寺院が軒を接して連なるのは、プーシーの丘と国立博物館に挟まれた部分で終わり、通りの名前も変わります。

 ルアンパバーンは15年前と今年の2度訪れましたが、15ねんの間に観光客が増えたことに驚きました。15年前は田舎の空港だったルアンパバーン国際空港も立派な建物に変わった見違えるようでした。15年前は、東南アジアでアメリカ人が最も行きたい場所だったそうですが、現在の評価はどうなっているのでしょうか。のんびりした環境に、美しい建物などが建っているのが良かったのかなーと思いますが、驚いたのは町中にネットカフェーがたくさんあって、欧米人と思しき人たちであふれていて、紙屑文明から逃げられない人々に異質な感じを受けました。ただ当時はスマホがはびこっていなかったので、異質な空間はネットカフェの中だけで、現代のようにスマホと一緒に現代病を引きずって歩いてはいなかったんですね。

箱根とは山を隔てた東側には、境内に天狗が履いたという巨大な下駄が置かれている大雄山最乗寺があり、晩秋のモミジも見どころです

2024-10-06 08:00:00 | 日本の町並み
 
 前回は首都圏に近いミシュラン3つ星の高尾山を紹介しました。現在はハイキング気分で気軽に登る山ですが、かつては天狗の住む修験道の修行の山だったようで、その名残の天狗の面や銅像が建っています。同じように天狗の像やお奠供が履いたという巨大な下駄が置かれているのが神奈川県の大雄山です。こちらはケーブルカーは無いので自分の足で歩く必要がありますが、モミジの頃は天狗の顔、顔負けに境内が真っ赤に染まります。今回は東京からも近い大雄山最乗寺付近を紹介します。

 
 
 
 
 大雄山は、小田原から伊豆箱根鉄道の大雄山線に乗って終点まで、そこからバスで3kmほど行った終点から標高差60mほど上った所が本堂になります。この道の両側は杉並木で近くの箱根旧道を思い起こします。ハイキング気分で上っていきますが、最後が急な石段で少々しんどい気分です。高尾山薬王院と同様にこちらの寺も国指定の文化財は残されていませんが、神奈川県唯一の多宝塔は一見の値打ちがありそうです。お寺は14世紀に創建され関東での通幻派と屋ばれる宗派の一大拠点で、通幻派は土木事業で民意をつかんだとされています。最乗寺は地元では道了尊と呼ばれ、バスの終点の名前も道了尊となっています。この道了禅師もこの地で土木事業を行ったそうです。

 
 
 
 さて天狗の像ですが、山内に3体の天狗像が置かれています、大天狗像は山ずしの姿、子天狗像はくちばしを持つ烏天狗の像、そして3体目は道了尊が天狗に化身をしたといった姿で作られています。高尾山とは異なるのが天狗の履いているという下駄で、2か所に置かれています。一か所は大小さまざまな下駄が所狭しと置かれていて、小さなものは通常の人間でも履けそうな大きさです。もう一か所は一対だけなのですが、世界最大の下駄と言われる巨大なもので、人間の背丈ぐらいもあったでしょうか、重さもずいぶんとありそうで、天狗でも履いて走り回れるか疑問ですね。

 現代人は下駄をはかなくなりました、カラコロといったノイズのために下駄での入館を禁止するところまであります。天狗は一本歯の下駄を履いて野山を駆け回ったともいわれていますが、一本歯ではありませんでしたが通常の下駄で大山を登山をしている人がいました。この下駄は、靴などと比べて健康に良い履物であると言われています。外反母趾や水虫とは縁遠い履物のようで、自然をねじ伏せるのではなく、自然と協調する東洋文化の象徴のようなもののひとつでしょうか。現代の日本でも、コンピュータやIT技術で自然をねじ伏せる文化が大勢を占めていますが、自然と協調する文化も残してほしいものです。ただ、静かな環境のところに大音響でカランコロンと雑音を振りまくのはごめんこうむりたいですが。