中国の歴代皇帝が天帝に祈った場所が天壇でした。古代から宗教の力は強いらしく、絶大な権力を持つ皇帝ですら天の神に祈らねばならなかったのでしょうか。古代の中国では、インドの仏典を求めて、苦難の道を往復した玄奘の話は西遊記になるほど有名です。玄奘が招来した仏典を基に編纂された大蔵経が高麗に伝わり経典を印刷するために木版が韓国の山奥のお寺に残されています。今回はその高麗八萬大蔵経を保存している伽耶山海印寺(ヘインサ)を紹介します。
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海印寺は韓国の南東部の伽耶山という山並みの中にある寺で、最寄りの都市は大邱になります。ただ、この大邱から路線バスで西にひた走って1時間半ほどもかかる山の中です。大邱の市街地を通り抜け、田園風景の中を走り、緑の中を国立公園になっている伽耶山に上っていきます。海印寺のバス停近くに博物館があって、お寺を訪問する前に予習ができます。そこから、お寺まではダラダラ上りの坂を15~20分ほどで、やっとお寺の総門のような伽耶山海印寺の扁額がある門に続いて一柱門のあるところでまで到着です。現在は駐車場からこの門のところまで有料のシャトルバスが上がってきているそうです。上りはきついのですが、緑の中を渓流があって、なかなか散歩に気持ちの良い道です。
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高麗八萬大蔵経を納める八萬大蔵板殿はさらに階段などを上ったお寺の一番奥で、足に自信のない方は辛いかもしれません。は横に長いもので、上下にガラリが切ってある開口部があって、湿度を一定に保つようになっているようです。版木を納めるラックは、土間の上に上下を開けて組み上げられ、こちらも温湿度のコントロールをしやすくできているようです。観光客の影響で湿度が上昇するのを防ぐためでしょうか、内部には入れず窓越しの拝観となります。クフ王のピラミッドに入られる1日の人数を制限しているのと似ています。版木は13世紀初頭に彫られ、そろそろ800年が経とうかというものですが、木でありながら、外見からはさほどそっくり返っているようには見えません。
お寺自体はたびたび葛西に遭い、9世紀に創建されたころから残っているのは石塔ぐらいで、建物は19世紀初頭の再建なのだそうです。ということは、お寺に災難があった時には、版木を持って避難させたのでしょうね。信仰心のなせる技でしょうが、あれだけの数で重さもあるでしょうから、避難は大変だったのではないでしょうか。一方、わが国では、一本の木から木造仏が作られたころには、背中から内部をくりぬく内ぐりと呼ばれる技法が採られました。木が割れることを防ぐだけでなく、仏像の重さを軽くして火災などの時に持って逃げやすくするためとも言われています。
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斜面に建つお寺なので、一番高いところに建つ八萬大蔵板殿からは、ところ狭しと建てられた建物が這い上がって来る様子が解ります。屋根の甍の波と周りの緑がいいハーモニーを産んでるようにも思います。遠足の子供たちと遭遇して、なんとも騒々しかったのですが、その一団が去った時に聞こえてきた風鐸の音が山奥の静けさを増幅させていました。本殿にあたる大寂光殿は八萬大蔵板殿の手前にあって、その手前の中庭の中央には創建から伝わっている石塔があります。韓国の慶州にある世界遺産の仏国寺にある石塔と似た印象です。建物入口の怪談の両脇には木場を向いた虎のちょうこくがあり、怖いというよりユーモラスな感じすらします。
海印寺にあるお経の版木は、当然ながら活字ではなく、1枚ずつ個別に彫られたものです。大変な労力がかかったものと思いますが、活字を拾って印刷する手法と違って、誤字や字の向きが横転したり天地返しになることは無かったのではないでしょうか。活字印刷では大量の活字のストックが必要で、活字を拾う作業も大変なため、最近は名刺印刷で細々と残る程度で、ほぼ絶滅状態だそうです。ほとんどの印刷は、ディジタル製版によることとなり、字がひっくり返った誤植は無くなりましたが、原稿を入力するときの誤変換による、とんでもない表現をよく見かけるようになりました。ただ、ここにきて印刷によるほんの出版が減って、電子出版が増えてきたように思いますが、誤変換の問題は解決されてはいないですね。
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海印寺は韓国の南東部の伽耶山という山並みの中にある寺で、最寄りの都市は大邱になります。ただ、この大邱から路線バスで西にひた走って1時間半ほどもかかる山の中です。大邱の市街地を通り抜け、田園風景の中を走り、緑の中を国立公園になっている伽耶山に上っていきます。海印寺のバス停近くに博物館があって、お寺を訪問する前に予習ができます。そこから、お寺まではダラダラ上りの坂を15~20分ほどで、やっとお寺の総門のような伽耶山海印寺の扁額がある門に続いて一柱門のあるところでまで到着です。現在は駐車場からこの門のところまで有料のシャトルバスが上がってきているそうです。上りはきついのですが、緑の中を渓流があって、なかなか散歩に気持ちの良い道です。
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高麗八萬大蔵経を納める八萬大蔵板殿はさらに階段などを上ったお寺の一番奥で、足に自信のない方は辛いかもしれません。は横に長いもので、上下にガラリが切ってある開口部があって、湿度を一定に保つようになっているようです。版木を納めるラックは、土間の上に上下を開けて組み上げられ、こちらも温湿度のコントロールをしやすくできているようです。観光客の影響で湿度が上昇するのを防ぐためでしょうか、内部には入れず窓越しの拝観となります。クフ王のピラミッドに入られる1日の人数を制限しているのと似ています。版木は13世紀初頭に彫られ、そろそろ800年が経とうかというものですが、木でありながら、外見からはさほどそっくり返っているようには見えません。
お寺自体はたびたび葛西に遭い、9世紀に創建されたころから残っているのは石塔ぐらいで、建物は19世紀初頭の再建なのだそうです。ということは、お寺に災難があった時には、版木を持って避難させたのでしょうね。信仰心のなせる技でしょうが、あれだけの数で重さもあるでしょうから、避難は大変だったのではないでしょうか。一方、わが国では、一本の木から木造仏が作られたころには、背中から内部をくりぬく内ぐりと呼ばれる技法が採られました。木が割れることを防ぐだけでなく、仏像の重さを軽くして火災などの時に持って逃げやすくするためとも言われています。
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斜面に建つお寺なので、一番高いところに建つ八萬大蔵板殿からは、ところ狭しと建てられた建物が這い上がって来る様子が解ります。屋根の甍の波と周りの緑がいいハーモニーを産んでるようにも思います。遠足の子供たちと遭遇して、なんとも騒々しかったのですが、その一団が去った時に聞こえてきた風鐸の音が山奥の静けさを増幅させていました。本殿にあたる大寂光殿は八萬大蔵板殿の手前にあって、その手前の中庭の中央には創建から伝わっている石塔があります。韓国の慶州にある世界遺産の仏国寺にある石塔と似た印象です。建物入口の怪談の両脇には木場を向いた虎のちょうこくがあり、怖いというよりユーモラスな感じすらします。
海印寺にあるお経の版木は、当然ながら活字ではなく、1枚ずつ個別に彫られたものです。大変な労力がかかったものと思いますが、活字を拾って印刷する手法と違って、誤字や字の向きが横転したり天地返しになることは無かったのではないでしょうか。活字印刷では大量の活字のストックが必要で、活字を拾う作業も大変なため、最近は名刺印刷で細々と残る程度で、ほぼ絶滅状態だそうです。ほとんどの印刷は、ディジタル製版によることとなり、字がひっくり返った誤植は無くなりましたが、原稿を入力するときの誤変換による、とんでもない表現をよく見かけるようになりました。ただ、ここにきて印刷によるほんの出版が減って、電子出版が増えてきたように思いますが、誤変換の問題は解決されてはいないですね。