世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

八木の町並みは、曲がった道路に沿ってしっとりとした家並みが続いていました

2015-07-19 08:00:00 | 日本の町並み
 完成が明治期となり最後の城郭建築と言われている園部城のあるのが南丹市の園部でした。この南丹市は4町が合併してできたこともあり東京23区と同じ広さですが、その4町の中で最も狭い町であったのが八木町です。今回は、その旧八木町について紹介します。

 
 旧八木町は京都市外の北西15kmほど、八木駅までは京都駅から山陰線で30~35分ほどの距離です。前回紹介の園部と同様に山陰道の城下町でした。園部城が明治期に改修されたこととは逆に、こちらの城はキリシタン大名や明智光秀とのからみで、江戸時代始めの頃に廃城になってしまったようです。江戸期には、山陰道だけでなく、京都に通じる桂川の水運の基地としての役割も高かったようです。

 
 
 隣の旧園部町とは同じ街道沿いの城下町なのですが、町の顔はちょっと違うようです。園部でも旧街道は、少し曲がっていて見通しは良くないところが想像を掻き立てる効果がありましたが、八木の街道はやや狭くて、もっと見通しが利きません。曲がっている先には、道の正面に茶色の町並みが立ちはだかるように見えるのがなかなかいいのです。

 
 
 園部の町並みが、商店街に飲み込まれたようで、古い家並みも商家の名残が多いように思いますが、八木では普通の民家が多かったように思います。このために人通りも少なくって、ちょっと寂れた感じもしましたが、訪れたのが夕刻だったからかもしれません。ただ、しっとりした感じが高く、車の往来にもあまり気を使う必要は無くって、しばらく留まっていたい町並みの一つでした。ちらほらとある商家は真新しいものではなく、ちょっとレトロなものがあったり、逆に古い構えの造り酒屋があったりします。

 八木と聞くと、昨年に大規模な土砂災害の遭った広島の八木地区を思い出します。この地区は、人口増加に伴って都市化し開発が行われたようで、旧地名は蛇落地悪谷というものだったそうです。旧地名が表すように、そもそも人が住むような場所ではないというか、住んではならない場所であったのが、地名を変えて開発が行われたように思います。悪いイメージを払拭するためでしょうが、警鐘が改名で無視された感じです。この例では、多少の悪意が感じますが、都市部では解りやすくするためとの大義名分の下に、その地域の歴史を物語る地名が、無機質な名前に改変されました。たしかに、配達などでは場所が解りやすくなり効率は良くなったのでしょうが、これだけGPSを利用したナビが進んだ現在では、由緒正しき地名に戻してはとも思います。


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