領有権がフランスとドイツの間で行ったり来たりをして、大変な目にあった都市がフランスのストラスブールでしたが、そのストラスブールの町には運河がめぐらされ水位に差を克服するために閘門があって観光船もその閘門を通って行き来をしていました。水運をうまく利用するヨーロッパでは、いたるところに運河があるようで、水位の違う運河間を閘門でつないで船の往来を可能にしているようです。そのような都市の中の一つで、レジデンツが世界遺産に登録されているヴュルツブルグでは、マリエンベルグ要塞を見上げる旧マイン橋のそばに閘門があって、船の行き来にあわせて閘門が動作するさまを間近に見ることができます。
ヴュルツブルグは、ドイツの国境線が東西から内側にくびれている南ドイツの、そのくびれた中央あたりにある都市です。くびれの位置のとしということもあって、交通網の要のようです。日本人が好むロマンティック街道の北の起点にもなっています。日本人としては江戸時代に来日したシーボルトの出身地というつながりがあり、ヴュルツブルグの日本語による観光パンフレットには、シーボルトがデザインされています。鎖国の江戸時代にはオランダ人しか出島に来ていなかったので、シーボルトはオランダ人と思われがちですが、実はドイツ人だったのです。
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世界遺産の町の中央部にあるレジデンツは18世紀に建てられた司教の館で、聖職者の館にしては贅沢で権力の象徴のような建物です。内部は、ガイドツアーでしか見られない部分と自由に見られる部分とに分かれていたようですが、ガイドツアーで見られる部分が圧倒的に豪華です。逆に自由に見られる部分は多少地味ですが、訪れる人も少なく空いていて、時間に縛られずにゆっくりと回れるので、時間のある方には両方を見られることを勧めます。宮殿内は、フランスのベルサイユ宮殿にも負けないような装飾が施されており、2階に上る階段ホールの天井に描かれたフレスコ画は世界一巨大なのだそうです。ヴェルサイユと同様に、建物の後ろには庭園が広がっており、庭園の規模は小さいのですが、裏から眺める宮殿のシンメトリックな姿もきれいです。
レジデンツと並んで観光客が訪れるのが、マリエンベルグ要塞とそのふもとの旧マイン橋です。交通の要という地理的な環境のせいか、要塞の歴史は古く、現存する最古の世紀初頭の遺構が要塞内の教会に残されているそうです。麓から100mほどの標高差を上るのは結構くたびれますが、要塞からの眺めはヴュルツブルグ市内を眼科に見渡せて雄大です。一方の旧マイン橋は19世紀まではマイン川に架かる唯一の橋だったそうで、橋の上にはいくつもの聖人像があり、観光客がこの前で要塞も入れて記念撮影をしています。
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冒頭に紹介した閘門は橋のすぐ上流にあって、近くで見られることもあり、その仕組みが良く分かります。閘門は2つあって、上流のものを閘門1、下流のものを閘門2とします。通常は2つの閘門は閉じた状態で、例えば、上流から船が来ると、閘門間に水を入れて水位を上流側にあわせます。閘門1を開いて船は閘門1を通り閘門間で停船します。閘門1を閉じて閘門間の水を出し、下流の水位と同じにし、閘門2を開きます。船は開いた閘門2から下流に向けて航行します。モターボトのような小さな船がやってきても、この動作をやるわけで、見ていて退屈しません。
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旧市街は、さほど広くはありませんが、たくさんの美しい教会が建ち並んでいて、丁寧な見方によっては1日では回りきれないかもしれません。奈良や京都の寺寺が密集している地区に似た様相です。正面に2つの尖塔を持ち、大きな内部空間があるのが大聖堂で、ちょうど鳴っていたパイプオルガンの響きも素敵でした。同じならびにあるノイミュンスターはピンク色の概観に華麗なファサードが特徴です。これらの教会と空し離れたマルクと広場にはマリエンカペレは、白色の壁面にえんじ色の縁取りのある派手な意匠です。それぞれが個性的で、教会建築の博物館のようです。
旧市街は歩いても回れる広さですが、低床で連接車両の路面電車が走り回っていて、路線が旅行者にも把握しやすので手軽に利用できます。乗車するのに、長いエスカレータで地下に降りてゆくということも無ありません。ドイツの都市には路面電車のあるところが多く、どこかの国のように車の通行の妨げになるからとの悪者扱いの様子もありません。ドイツは巨大都市が少なく、人口が分散していて、都市部の車の通行量がさほど多くないからかもしれません。しかしながら、そのような人口の需要母体で日本と比べて安い乗車料金を維持できているということは、日本のシステムのどこかがおかしいように思えてなりません。
鎖国時代の日本にとってヨーロッパの最新情報をもたらしたシーボルトの存在は大きかったといえるでしょう。ヨーロッパに対してはキリスト教徒は無縁であると称したオランダとしか付き合わず、蘭学がヨーロッパ文明であった状況で、ヨーロッパの医学を代表とする情報を伝えたのはドイツ人だった、というのも妙です。世界中の情報が一瞬のうちにネットを通じて流布する時代ですが、権力者にとって困る情報も流れることは、ある意味で、判断材料が増えて良いことかもしれません。ただ、これだけ自由に情報が流れているように思える世界ですが、権力で情報の流れを阻止している国が多いのも事実のようです。ただ、自由に情報が得られる国々でも、自由というのは妄想なのかもしれませんが。
ヴュルツブルグは、ドイツの国境線が東西から内側にくびれている南ドイツの、そのくびれた中央あたりにある都市です。くびれの位置のとしということもあって、交通網の要のようです。日本人が好むロマンティック街道の北の起点にもなっています。日本人としては江戸時代に来日したシーボルトの出身地というつながりがあり、ヴュルツブルグの日本語による観光パンフレットには、シーボルトがデザインされています。鎖国の江戸時代にはオランダ人しか出島に来ていなかったので、シーボルトはオランダ人と思われがちですが、実はドイツ人だったのです。
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世界遺産の町の中央部にあるレジデンツは18世紀に建てられた司教の館で、聖職者の館にしては贅沢で権力の象徴のような建物です。内部は、ガイドツアーでしか見られない部分と自由に見られる部分とに分かれていたようですが、ガイドツアーで見られる部分が圧倒的に豪華です。逆に自由に見られる部分は多少地味ですが、訪れる人も少なく空いていて、時間に縛られずにゆっくりと回れるので、時間のある方には両方を見られることを勧めます。宮殿内は、フランスのベルサイユ宮殿にも負けないような装飾が施されており、2階に上る階段ホールの天井に描かれたフレスコ画は世界一巨大なのだそうです。ヴェルサイユと同様に、建物の後ろには庭園が広がっており、庭園の規模は小さいのですが、裏から眺める宮殿のシンメトリックな姿もきれいです。
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冒頭に紹介した閘門は橋のすぐ上流にあって、近くで見られることもあり、その仕組みが良く分かります。閘門は2つあって、上流のものを閘門1、下流のものを閘門2とします。通常は2つの閘門は閉じた状態で、例えば、上流から船が来ると、閘門間に水を入れて水位を上流側にあわせます。閘門1を開いて船は閘門1を通り閘門間で停船します。閘門1を閉じて閘門間の水を出し、下流の水位と同じにし、閘門2を開きます。船は開いた閘門2から下流に向けて航行します。モターボトのような小さな船がやってきても、この動作をやるわけで、見ていて退屈しません。
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鎖国時代の日本にとってヨーロッパの最新情報をもたらしたシーボルトの存在は大きかったといえるでしょう。ヨーロッパに対してはキリスト教徒は無縁であると称したオランダとしか付き合わず、蘭学がヨーロッパ文明であった状況で、ヨーロッパの医学を代表とする情報を伝えたのはドイツ人だった、というのも妙です。世界中の情報が一瞬のうちにネットを通じて流布する時代ですが、権力者にとって困る情報も流れることは、ある意味で、判断材料が増えて良いことかもしれません。ただ、これだけ自由に情報が流れているように思える世界ですが、権力で情報の流れを阻止している国が多いのも事実のようです。ただ、自由に情報が得られる国々でも、自由というのは妄想なのかもしれませんが。