世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

江戸時代には鷹狩りの場所であった駒場ですが住宅街の中に異次元空間も残ります

2011-01-16 08:00:00 | 日本の町並み
 街道沿いの家々の前に作られた細長い庭が独特の風景を作り出し、柳宗悦が「宿場全体が、見事な作品」と絶賛をした宿場町が郷原でしたが、その、柳宗悦が民芸運動の集大成として建てたのが日本民藝館です。今回は、民芸館や隣接する駒場公園いったいを紹介します。

 日本民藝館や駒場公園は、京王井の頭線の駒場東大前駅から線路沿いを西に、東大教養部と駒場キャンパスに挟まれた一郭にあり、民芸館が線路に近く、その北側に駒場公園が広がります。現在は、周辺には低層住宅が密集する場所ですが、1936年に民芸館が会館した当時は水田の広がる郊外だったようです。ちなみに隣接する東大教養部は江戸時代の鷹狩りの中心的な場所だったようで、山手線の外側は江戸市中ではない田舎だったのですね。

 
 日本民藝館は、柳宗悦の自宅に隣接して木造白壁の2階建てで建てられ、全国から集められた民芸品が展示されています。外壁には大谷石が貼られ、城漆喰の壁とあいまって蔵を思わせる作りです。展示品も興味が尽きませんが、民芸館の建物自身も日本の伝統美を表しているようです。通りを挟んだ、かつての柳宗悦の自宅も再建されて、栃木から移築された長屋門ともども民芸館の西館として位置づけられ、つきに数度公開されているようです。ただ、長屋門の後方に東大駒場キャンパスの建物が覆いかぶさるように迫っているのが、少々興ざめです。

 
 この民芸館の隣の駒場公園は、旧加賀藩主の末裔であった前田利為侯爵邸の跡になります。本郷にあった旧加賀藩の江戸屋敷の土地を東大に譲り代替地として得たのが駒場であったようで、1929年に現在も残る洋館が建てられています。軍人であった前田利為が事故死した後は、他人に渡りましたが、米軍の接収などを経て現在は目黒区の所有となったいます。一時期は近代文学博物館として利用されていましたが、現在は閉館されており、土日祝日に内部が公開されています。

 筆者が訪問したのはウィークディだったので、洋館の内部を見ることはできませんでしたが、外部から眺めるだけでもなかなか見ごたえのある昭和初期を代表する建物でした。鉄筋コンクリート製ですが、外壁を覆うスクラッチタイルのために、石造りの雰囲気をかもし出しています。壁の一部には奇妙な動物の装飾などもあり、かつて内幸町などにあったビルの壁面を飾っていた動物を思い出します。内部を見られなかった洋館ですが、現役であった頃には、室内には数多くの美術品が飾られていたとのことで、大名の末裔というのはお金持ちだったのですね。

 民芸館には名も無い職人が作った数多くの美しい日用品が飾られています。現在でこそ芸術家というカテゴリーが存在しますが、絵画や彫刻の一部を除いて作者の名前が明らかでない美術品のほうが多いようにも思います。仏師の名前が残されている仏像についても、リーダーの名前が冠されているに過ぎず、実際は工房のようなところでグループで作成されたのであろうといわれています。IT分野でも、システムが巨大化した現在では、発明や開発はグループで行われることも多いようですが、後世に名前が残されるのは通常リーダーのみのようです。名前は残らなくても、自分の生み出したものが後世に伝えられることで技術者としての生きがいが満たされるのでしょうか。


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