世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

茶色と白との町並みの中に建つ信用金庫の龍野支店の建物も茶色と白にまとめられていました

2013-12-15 08:00:00 | 日本の町並み
 獅子文禄の「てんやわんや」の舞台になった町が愛媛県の岩松でした。かつては河川港として栄えた町でしたが川が運ぶ土砂で埋もれて港の機能は失われています。船による物の運搬は、現在でも重量物の場合には圧倒的に有利で大きな河川の多いヨーロッパでは、大型の船が川を遡上しています。我が国では、現在ではほとんど見かけなくなりましたが、陸上の運搬が困難であった明治初期までは、川を船で運搬することが盛んに行われました。このため、物の集散地や物造りの拠点は舟運が利用できる川沿いの場所が多いように思います。今回は、これらの町の中から、揖保川の舟運を利用した醤油や素麺作りで栄えてきた龍野を紹介します。

 
  
 龍野は、近隣の町との合併して市の名前がカナ表示の「たつの市」となりましたが、醤油で栄えた地域は漢字表記の龍野町になっています。兵庫県の西の端に近く、姫路からJR姫新線で20分ほどの本竜野が最寄り駅になります。山陽本線に龍野駅がありますが、龍野町からは随分と離れた揖保川の下流で、かつての龍野市には属していませんでした。合併によって、たつの市の一部になりましたが、龍野駅で下車したのでは醤油のふるさとまでは4km以上も離れていて歩いて行くには少々遠い距離です。ただ、本竜野駅で下車をしても、古い町並みの残る場所までは、揖保川を渡って15~20分ほど歩くことになります。

 
 古い町並みは、龍野城の城下町が核となっていて、鶏籠山の麓に城跡が残っています。現在の龍野城跡は、鶏籠山にあった山城を江戸期に麓に移築した平山城の跡で、山上にも本丸跡が残っているようです。町並みは、東を揖保川に残りの三方を山に囲まれた500m四方ほどの閉じたエリアで、その狭い場所に土蔵造りや格子の並んだ町家や、醤油の醸造所などが高い密度で並んでいます。ただ、うすくち醤油の最大の醸造所の東マルの主力工場は、揖保川の対岸の駅寄りに引っ越してしまっています。パイプラインやタンクが並ぶ近代的な工場ですが、周りには並木沿いに綺麗な疎水が流れていて、醤油も水が原料の一つなのだと思わせます。


 
 
 
 古い町並みの中にある、新しく造られた信用金庫の建物も、周りの町並みに合わせて、白壁の土蔵造りに木の古風な看板が掛けられていました。この信用金庫は別として、町並みを形成する建物は、江戸時代から明治期に建てられたものが多く、なかなか壮観です。中でも最も古いものは江戸中期の18世紀のもので、土蔵に至っては江戸初期の墨書のあるものが残っています。200年以上も前の民家や350年前の土蔵が残されているのは数少ないのではないでしょうか。

 
 古い木造家屋の中にあって、ヒガシマルの記念館は大正から昭和にかけてと新しい建物ですが、レンガタイルの外壁が古風な町並みに溶け込んでいます。木のこげ茶色と、レンガの明るい茶色とが同系統のせいなのでしょうか。しかし、明治期に建てられた木造洋館は淡いブルーの下見板張りであったり、ベランダに並んだ真っ白の柱であったりと、渋系ではないパステル系の色合いですが、こちらも程よいコントラストをかもし出しています。

 龍野で造られる淡口醤油は、原料の小麦を浅煎りにするなどして、濃口醤油と比べて薄い色合いに仕上げたものです。料理の色合いを大切にする関西、特に京料理に用いられ、食材の色を損ねない調味料として欠かせないものです。醤油は、日本生まれの醗酵調味料ですが、現在では海外での重要も増え、輸出だけでなく、現地生産も行われているようです。日本のものが、世界標準となった例の一つですが、ケータイなどの分野では日本標準は、世界標準と異なり、ガラパゴスといわれることも多いようです。このガラパゴスは、ネガティブに使われますが、必ずしも世界標準が優れているとは限らないようです。国際会議の場などで、ある国の会社に都合の良い方式が多数派工作や圧力などで、技術的に劣る方式でも国際標準となることも多いように思います。わが国では、某メーカーのスマホが人気でデファクトスタンダードのようにみなされています。しかし、スマホの概念は今から10年以上も前からあって、実現技術もけっして新しいものではありません。識者の中では、ガラパゴスと言われるスマホのほうがすぐれているという意見が多いのも事実です。


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