シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

行田市:忍城

2015-05-21 | お出かけ

前回の埼玉県熊谷市の「妻沼聖天山」に行った後は、同県行田市の「忍城(おしじょう)」に立ち寄ることにした。(5月3日)
映画『のぼうの城』で有名になった所だが、未だ訪れたことはなかった。

近くの駐車場は20台位ほどだった。入ると満車だったが、ちょうど1台の車が出た。(前日の織姫神社でもしばし待ったら空いた)連日ラッキー。

関東7名城に謳われた忍城は文明年間(1469~86年)の初め頃に築城され、上杉、北条氏との戦いにも落城せず、石田三成の水攻めにも耐え、戦国の世を生き抜いた名城。別名「忍の浮き城」。↓は現地の案内板。


入口に向かうと「行田市郷土博物館」の看板。そして博物館の建物。お城はどこに?

後で分かったことだが、行田市郷土博物館は、かつての忍城本丸跡地に1988年に開館。その周辺が忍城址公園として整備されていた。

趣きのある鐘楼があった。鐘は、殿様が伊勢桑名より忍へ移封となった際に桑名より持ってきた鐘を模したもの。(本物の鐘は博物館内)


東門を出ると、堀にかかる橋がある。(と書きつつ、画は橋から見た門)


土塁と城壁は当時を摸したものか。


広場のような所から御三階櫓を眺める。左側の2階建て通路は博物館につながっており、博物館から櫓(展示室、展望室)に入れる。


小さい門を抜け土塁の外側を角角しながら歩いていくと、視界が開けた。位置的には敷地の南東側で目の前はお堀。御三階櫓が良く見える。藤棚の下のベンチはベストポジションだ。と思うのだが、何故かここに来る人は少ない。

御三階櫓(ごさんかいやぐら)は、幕府への配慮から天守とは称さなかった「実質上の天守」のことで、忍城の御三階櫓は明治6年に解体され、昭和63年に再建されたもの。

屋根の上にあるのは鯱鉾のようだがけっこう大きそう(と思って撮っておいた↓)。Webサイトによると鯱鉾の大きさは1.8mで、日本最大級の大きさという。


場内の櫓に使用されていた石垣が置かれていた。このような形に削り出すだけでも大変そうだ。

ところで、御三階櫓や鐘楼、門、橋などは元々あった所に復元したわけではない。
忍城は沼の中に本丸、二ノ丸、三ノ丸、櫓、曲輪、米蔵・勘定所、いくつかの門などがあったのだが、それらはそれぞれが島であり橋で結ばれていた。その後、時代の流れで沼は無くなり開拓されたので、残っているのは本丸跡地のみ。
初めてここを訪れた方は、ぐるっと回って「城なのに狭いな~」と思うでしょうな。

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忍城を出発してしばらく進むと『さきたま古墳公園』の看板。お疲れで且つ帰宅してからも忙しい妻は、帰りモードで決して良い顔をしなかったが「少しだけ」と立寄った。

埼玉古墳群は、9基の大型古墳からなる全国有数の大型古墳群のようだ。案内図を見て、近くを回る。

二子山古墳』は、埼玉古墳群のほぼ中央にあり、長さ138m、埼玉古墳群の中で、そしてかつての武蔵国の中でも最大の前方後円墳のようだ。
水上にたたずむ光景を見たかったのだが、浸食作用で外周の崩落が激しいため埋め戻されていた・・・。


丸墓山古墳』は、直径105mで日本最大の円墳。墳丘の高さは約19mで埼玉古墳群で一番高い。しかも登ることができる。

これも後で知ったことだが、忍城を水攻めするために石田三成が陣を張ったのがこの古墳の頂上とのこと。古墳を含む半円形の石田堤は28km。よくも作ったものである。
以上、忍城つながりで追加しておこう。

コメント (2)
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