シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

福山城(松山城):最北&最後&道内唯一の日本式城郭

2024-09-14 | お出かけ

〔前回からのつづき〕8月のお盆明けの週、北海道に社用があり行程途中の松前町の宿に泊まることにした。

北海道最南端に位置する松前町は、江戸時代に最北の城下町として栄え、現在も松前城をはじめとした当時の面影を感じる史跡が多く残っています。北海道唯一の城下町松前で、風情あふれる街並みや松前神楽などの伝統文化にふれてみませんか。(出典:松前町公式観光サイト)

事前にさらっと情報も得たこともあり、せっかくなので福山城(松山城)を観たいものだと考えていた。チャンスは宿(温泉旅館)に着いてから日没まで。おかげさまの好天でラッキー。

宿に着いて部屋に荷を置き、フロントで行き方などを確認する。この時間は既に門が閉まっているが、周りから眺められるとのこと。夕飯は日没後の時間帯を指定し、観光マップを頂いて夕方散歩に出かけた。


マップの右下(南東)辺りから坂道を上がると搦手二ノ門へ。お~立派。


その先の門からお城(天守の内部は松前城資料館)に入れるようだが、営業時間外で締まっている。この時点で17:30頃。
塀沿いに回ろうとしたが高低差もあってなかなか難しく、行き着いたのは裏側(北側)の広場。立ち入れないが天守は近い。夕陽を浴びて眩しい。


この後、北側の神社や複数のお寺などを見てから、再びお城に戻る。
塀越しのお城と本丸御門(国指定重要文化財)。門の石積みが緻密で綺麗だった。


何とか正面側から見れないものかと、スポットを探す。やっとそれらしく見えたのは、石垣の上の狭い通路で格子の隙間から。樹の枝葉が被るけど仕方がないな。


〈福山城(松山城)の歴史〉
1854(安政元)年、幕府に築城を命じられた13代藩主:松前崇廣により、新城「福山城」竣工。日本最北に位置する、最後の日本式城郭となった。
1941(昭和16)年、木造天守と本丸御門、東塀は国宝に指定。
1949(昭和24)年、飛び火により天守と東塀が焼失。
1960(昭和35)年、鉄筋コンクリート製の天守が完成。現在は親しみを込めて「松前城」と呼ばれ、再建した天守は松前城資料館としてオープンしている。

天守が焼失した後、町民の願いもあり、募金活動による寄付金や町費で復興天守が完成した。
お城はその歴史的価値はもちろん、城下町のシンボル。外観は焼失前の姿をできる限り忠実に再現しているという。再建したときは、皆さん嬉しかっただろう。

まだ明るいので、海まで足を伸ばし景色を眺め、海沿いの道路から福山城を見る。(ズームで記録)


翌朝、部屋の窓の(内側)障子を開けたらお城が見えた。前夜は閉めっぱなしで気付かなかったけど、お城ビューの部屋だった。


↑画の左側坂道は昨日上ったところで、屋根は搦手二ノ門かな。手前の連なる瓦屋根はお城に関係なく、駐車場に併設する休憩所&トイレで「ヒストリーオアシス」という。ちょっと立派。

〔つづく。次回は寺町風景など〕

 

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