シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

十日町市:瀬戸渓谷、津南町:砂防堰堤・連絡暗渠 

2019-05-17 | 家族・帰省・イベント

5月3日(金)から2泊3日で帰省してきた。
初日の3日は、十日町市松之山(旧松之山町)を経由して実家に行くことにした。
朝7時前に出発。東松山ICからの関越道は特に渋滞はなく、湯沢ICで降り、R17を下ってR353へ。このルートは初めて通る。

一山越えると清津川が見えてくる。清津峡へ行く脇道を通り過ぎ、長いトンネルを抜けると『瀬戸渓谷』の案内。清津峡には何度か訪れているが、瀬戸渓谷ってどんな所だろう?と思って立ち寄ってみた。

国道から脇道を下っていくと清津川にかかる橋(清津橋)があり、渡ったところで車を止めて橋の上から眺める。下流側をみると渓谷という感じではない。


しかし、上流側を見ると、V字の渓谷がドーンと。
エメラルド・グリーンの清流が穏やかで、清津峡の柱状節理の渓谷美と荒々しい川の流れとは雰囲気がかなり異なる。


谷の片側には、通行止めになっているが遊歩道というか狭い道路がある。その先を見ると、岩盤をくりぬき覆いかぶさるような崖、さらにトンネルも。


それを見て想い出した。この光景は初めてではない。子ども(小学生?)の頃、清津峡に行く際にはここを通ったはずだと。すごい道だな~と驚いた記憶があるのはここだった。
ということは、先ほど抜けてきた長いトンネルができたので、使わなくなった道路ということになるのか?気になったのでWebで情報を拾ってみて納得した。
 ・並行するトンネルが完成し昭和59(1984)年に開通
 ・旧道化後は瀬戸渓谷歩道として利用された
 ・しかし、次第に荒廃し通行止めになった


瀬戸渓谷を後にして、さらに清津川沿いに下る(清津川は信濃川に合流)。
昨年の夏に訪れた東京電力の信濃川発電所が見えてくる。
ここから信濃川を渡って松之山に向かうのだが、このルートも初めてかも。

しばらくすると、左側に変わった構造物が見えてきた。なっ何~!?形状は円柱で備蓄タンクのようでもあるが何だろう?と思ったら駐車場があったので立ち寄ることに。


駐車場に説明板があった。これによると、2011年3月12日に発生した長野県北部地震(最大震度6弱)により、山腹斜面が崩壊。土砂は積雪を巻き込んで土石流となって流下し、延長約100mに渡って国道353号を埋塞した。その翌月には、地震により緩んだ地山に融雪や降雨が浸透した事による2回の拡大崩落が発生し、国道より上流側には最大厚15mの土砂が堆積したという。


つまり、これは土石流の対策として造られた砂防えん堤だった。
Webでも確認すると、砂防えん堤は3種類の構造でできており、円柱状構造物はこれを連続で配置する『鋼製セル式えん堤』というもの。長尺鋼矢板などの鋼材で(円状に)外枠を築造し、土砂を中詰めする構造で、中詰土砂は崩落した土砂を有効利用しているそうだ。勉強になりまっす。


さらに、同所から振り向くと、国道を挟んだ先の方にも何やら妖しげな構造物があった。なっ何だ~コレ!?(↓はズームで)


見回すと、国道の反対側(砂防えん堤から少し下った所)にも山肌が一部人工的になっている所があった。


後日、調べてみようと、Googleマップで航空写真を見ると円いものが2つある。そして構造物をクリックすると『東京電力信濃川発電所 連絡暗渠』と表示された。信濃川発電所は途中で見た(昨年8月には訪れた)ものだ。あ~そういうことかと納得。

信濃川中流域の水力発電所は、黒部ダムのように、高い山に挟まれた峡谷に巨大なダムを建設して急流をせき止めその落差を利用して発電するもの(ダム式)ではなく、河岸段丘を発達させた盆地の中をゆっくり流れる川を低い堰堤・ダムで塞き止めて取水し、発電所まで長距離の導水管で送水して有効落差を稼いで発電するもの(水路式)。
この暗渠は、西大滝ダム(長野県飯山市)で取水し、東京電力信濃川発電所(津南町)まで約21kmもの長さの導水路の一部で流量を調整する目的もあるのだろう。

今回は松之山が寄り道目的だったし、実家へは夕方には着きたかったので、遠目で我慢して松之山に向かった。砂防堰堤も連絡暗渠も、また機会があれば間近で見たいものだ。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アカガネサルハムシ、クロス... | トップ | 十日町市:美人林・松之山温泉 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

家族・帰省・イベント」カテゴリの最新記事