シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

秋山郷『結東の石垣田』

2013-08-22 | お出かけ

「竜ヶ窪」「ひまわり畑」を見た後は、「秋山郷」へと足をのばした。(8月16日)

秋山郷は、中津川(信濃川の支流)上流、苗場山と鳥甲山に挟まれた国道405号沿いに点在する、新潟県:津南町と長野県:栄村にまたがった12の集落の総称。

江戸時代の越後の文人・鈴木牧之の「秋山記行」により、広く知られるようになった。現在は平家の落人伝説の里として、また温泉と日本の原風景の残る秘境として知られる。

秋山郷ドライブ観光は、下の地図(越後秋山郷のサイトから抜粋)でなぞると、上のR117と書かれた方から下に向かい、途中分岐する右側の道路を行き、県境に近い前倉橋からは左側の道路を使って戻るルート。


この辺りの中津川は渓谷である。従って川沿いに平地は無く、川面からかなり登った所に道路が通っている。基本的に山裾であり平地は少ない。

今回取り上げる『結東(けっと)の石垣田』は、上図の中心から少し左上の所。
かたくりの宿の近くに駐車場があった。石垣田には車での乗り入れ禁止。ここから歩くことになる。

徒歩10分の看板あり~熊出没注意の看板も!~坂道の先は峠のよう。その先は・・・

      

カーブを曲がると、いきなり眼前に石垣田が!初めて見る光景だ。


下から眺めると、山城の石垣のようでもあるし、山村住居の遺構のようでもある。


普通の棚田は実家の方にも多いけど、わざわざ(?)石垣を積むことはない。


秋山郷一帯は土の中に石が多く、水田には向かないし開墾が困難な土地だった。
しかし、明治の中期、飢餓対策のために、この石を切り出して石垣を築いて水田を造り、水は上流から水路を引いた。秋山郷の村人は必死の思いで水田を造り上げた。

長い年月をかけて築かれた石垣田は、全国的にも貴重な存在で、何段にも組まれた城壁のようなその景色は大変美しく、全国農村景観百選に選定されている。

先人の辛く過酷な開墾のおかげで・・・立派なものである。


上から見るとゆがみのある石垣。その場所場所に合わせた・・・手積みなんだな。

地震や雪害など自然災害の被害も多いであろう。補修する人材は充分なのだろうか。


石垣田の背景は、「屏風岩」と呼ばれる岸壁。厳しい自然環境だ。

 

石垣田に向かう道路の脇に『水田環境 調査鑑定地区』という看板があった。「特A」「A」と水田環境鑑定士の認定番号が記されている。

このような看板は初めて見る。これは?調べてみると、

水田環境特A地区とは、「米・食味鑑定士協会」によって資格認定された水田環境鑑定士が、実際に現地へ赴き、水田やその付近の生物調査、水質検査などを行い、その厳しい基準をクリアした地区のみが指定される。

「水田環境鑑定士」は、水田の安全を鑑定するだけでなく、その景観の美しさを記録し、今、本当に求められている、「豊かなお米・安全なお米」と消費者を結ぶ役割を担っている。

石垣田を引き継ぎ、守り、さらに次世代に継ぐために頑張っている方達の努力が「特A」に表れている。石垣田を開墾した方々もさぞ喜んでいることだろう。

『結東の石垣田』訪れてよかった。

コメント (4)
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