*金哲義作(劇団May(1,2,3,4,5,6,7)鄭光誠演出 公式サイトはこちら 新宿タイニイアリス 19日まで
沢井正棋が自身の名を冠にした公演において、ご本人はバリバリの主演である。HPに本公演実現までのいきさつが記されているが、筆者は寡聞にしてまだお若い俳優とお見受けする沢井さんが、これまでどのような活動をしておられたのか知らなかった。劇作家や演出家に働きかけて作品を決め、資金をつくり、劇場を決めてキャスティングをし、スタッフの手配や稽古場の確保など、することは山のようにあったはず。筆者はただただ金哲義の作品をみたいと足を運んだのだが、ひとりの俳優の思いが紆余曲折を乗り越えて今日の舞台に実を結んだことを祝福したい。
朝鮮学校の生徒たちと喧嘩を繰り返す少年(沢井)は、朝鮮人の両親とも心が通い合わず、やさぐれた日々をおくっている。唯一のよりどころは子どものころから可愛がってくれた祖父である。スミコと名乗る彼の母がどうして日本に来たのか、父とどうやって出会い、家族を成したのか。過去の解き明かしを縦軸とし、ふたりを結びつけた祖父の思いが横軸になり、さらに敬一と友だち、彼らに敵対する朝鮮学校の男子生徒がからみながら力強く描きだされる2時間である。
この2年あまりですっかり金哲義と劇団mayのとりことなった自分は、芝居の流れや構造が示される序盤において、「この役はmayさんならあの俳優さんだな」といった「may視線」でみてしまうところがあったが、舞台が熱を帯び、客席に向かって凶暴なまでのエネルギーを発する後半になるにつれ、だんだんその意識が遠のいていった。
民族の血と祖国を重苦しく感じながら、それを受け入れるのも拒絶するのもむずかしい。主人公や周囲の人々が激しくぶつかりながら、その激しさを上回る情愛でいっそう結びつき、歩き出すさまは、いつもの在日のはなしだと決してひとくくりにはできない。
劇作家金哲義にとっては書いても書いても終わらないことであり、在日韓国人を名乗る人、在日朝鮮人を名乗る人など、立場や考え方は断絶と歩み寄りを繰り返す。どちらがぜったい正しいわけではなく、ぶつかっても寄り添っても、どうしようもない痛みと悲しみを生む。そしてそれは他国を侵略して蹂躙した日本の罪をもあぶりだしてゆく。
金哲義の筆致は日本に対する恨みや憎しみといった方向性をもつものではないが、舞台をみる筆者は逃れようもなく、自分の国の罪を思わずにはいられないのである。
答はそう簡単にみつからず、これからどこへゆくのかはわからないが、重苦しい物語がやがて温かく結ばれる終幕は希望の光が射し、とくに今回は沢井正棋プロデュースという企画において新しい風を巻き起こすものであった。
劇作家に書きたい、伝えたいことがあり、それを舞台にしたいと願う制作者や演出家、俳優の方々があって目の前の舞台をみることができる。客席の幸せをいっそう強くかみしめる午後のひとときであった。
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