*久保田万太郎 作 公式サイトはこちら (活動レポートに詳細) 文学座アトリエ 27日で終了
鵜澤秀行 演出『暮れがた』、黒木仁 演出『一周忌』に、福田善之 作 鵜澤秀行 演出 坂部文昭一人芝居『草鞋をはいた』を加えた3本立ての企画。
3月末というのに何という寒さ。開演前に演出の鵜澤さんから客席にご挨拶があった。昭和20年『女の一生』初演のときのこと。鉄かぶとや防空頭巾をかぶった人たちが劇場に行列を作り、空襲警報で何度も中断しながら上演を続けたこと・・・。そうでしたね。これは既に知っている話である。しかしこれまでとは違う感覚をもってしみじみと聴き入った。戦争中といまとを簡単に比較することはできないが、衣食住満たされず、生き死にがかかっていたときになお舞台を作りたい、みたいと思う人の気持ちを考えた。心を落ち着かせよう。
坂部文昭の一人芝居は、三味線(エイコ)と切り絵が加わって上質な語りものの味わい。
10分の休憩ののち、『暮れがた』が始まった。明治末、浅草三社祭りの二日め、ある商店の店先でのほんの1時間ばかりの物語だ。店のおかみを演じる赤司まり子の流れるような台詞に惚れ惚れと聴き入る。久しぶりに訪れた客が、かつて羽振りがよかったものの、次の商売がうまくゆかないことに気落ちして何度も酒を断るのを、「そうおっしゃらず」と呑むようにしきりに勧める。柔らかく根気よく、決して執拗ではないけれど、どうしてそこまで呑ませようとするのかと戸惑うが、「苦労は苦労、お酒はお酒ですよ」(語尾は少し違ったと思う)と、遂に客に杯をとらせる。何をどういうふうにとまではわからないけれど、おかみは人間の、人生のことをよくよく知っているのだと思う。杯が進んで客は気持ちが明るくなり、浅草に留まることを決めたのだから。
舞台に姿も台詞もすっかり溶け込んでいる俳優さんがいる一方で、どこかしっくりせず、ぎくしゃくした感じの俳優さんもあって、出番が少ないだけに余計ぎこちなさが目立ってしまうのは致し方ないのだろうか。本作でもまったく、あるいはほとんど台詞がなく、短く出入りするだけの役だったり、たとえば他の作品なら『釣堀にて』の釣り堀で働く小女や、『ふりだした雪』の蕎麦屋の女中であったり、どこがどうと具体的に言えないし、「身体性」の違いとまで言うと大仰だが、「在り方」の違いというと別な意味で深くなってしまう。
2本めの『一周忌』では、饒舌な人物とほとんど聞き役のやりとりが結構長く続く。ほとんど一人語りに近く、達者な台詞まわしであるがいささか作り過ぎにみえ、後半登場する姉役にも似たような印象をもった。本作には肌や下着を見せずにすいすいと着物を着換える場面があり、昔なら誰もができたことなのだろうが、いまでは神技である。
文学座のアトリエに来るのは数年ぶりになるが、来るものを包み込むような雰囲気は変わらない。おもてとは違う時間が流れていた。久保田万太郎の世界。これからも年に一度でいいから是非続けていただきたいと思う。知らないものを知り、忘れていたものを思い出すために。
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