*北村想作 千葉哲也演出 公式サイトはこちら 新国立劇場小劇場2月2日まで
1979年名古屋で初演された本作は、80年代小劇場演劇の起爆剤であると同時に、高校生からプロまでさまざまなカンパニーによって再演されつづけ、昨年の東日本大震災と福島第一原発事故以来各地で上演が続いている。「再演やまぬ現代演劇の古典」(2011年8月24日朝日新聞)であると同時に、いつ上演されても古びた印象はなく、みるたびごとに違う顔をみせる不思議な作品だ。軽妙でとらえどころがなく、しかし恐ろしいような悲しいような、いわく言いがたい気持ちにさせられる。
核戦争ですべてが廃墟と化した街に、リヤカーを引いた旅芸人のゲサクとキョウコが流れ着く。空に余りもののミサイル弾が飛びかうなか、不思議な芸をする謎の男ヤスオが現れて、3人の珍道中がはじまる。
演出家として着実で力強い歩みをみせる千葉哲也が本作をどう作るのか、堤真一、橋本じゅん、戸田恵梨香の3人が、3.11を経た2012年の『寿歌』をどうみせるのか、年明け最も期待の高まる舞台のはずだったのだが・・・。
自分はこの作品をたしか2回はみている。いまは解散したカンパニーの燐(りん)と、加藤健一事務所の公演だ。いずれも15年から20年近く前のことである。ちなみに後者は3月に『ザ・シェルター』と2本立ての再演を行う。
細かいところには笑えたが、作者が何を言おうとしているのか、本作がなぜ繰り返し再演されているのか、舞台をみただけではすぐにわからず、戯曲やもろもろの関連資料を読んではじめてようやく手がかりがつかめたのである。舞台の印象だけでは理解できず、自力では手のつけようがなかった。
全員が兵庫県出身の俳優3人であるが、舞台での関西弁はまだこなれておらず、非常にシンプルだった公演チラシの衣装は色とりどりである。
今回の公演のために新たに書き下ろされたプロローグにも困惑した。
これらが直接の要因かどうかはわからないが舞台に集中できず、期待していた手ごたえは残念ながら得られなかった。かといって、「手ごたえずっしりの『寿歌』」というものも想像できず、そもそも自分は何を『寿歌』に期待していたのだろう。作るほうもむずかしいが、みる側にとってもじつに厄介な作品だ。気負えば肩すかしをくい、気楽にのぞめば路頭に迷う。
これまでみた千葉哲也の演出作品の印象は、戯曲の読み方が的確であり、「こう作りたい」という方向性を明確に観客に示すものであった。それが今回は伝わってこなかった。単純な言い方をすると、舞台は盛り上がっていたけれど、取り残された気分なのである。
今回の公演は震災前から上演が決まっていたとのことだが、そのときと今とでは社会の状況も人々の心のうちも大きく揺れ動いた。「あの日」の前には戻れない。そして3.11は現在進行形で、いまだに続く災禍であり課題なのだ。何度も言い聞かせたことだが、今一度心に刻もう。
さてこうなると3月の加藤健一事務所の公演が恐ろしくもあり、楽しみにもなってきた。
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