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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

4×1h project「Play#0」

2008-09-20 | 舞台
 脚本をリーディング形式で上演する「Reading」に始まり、全作品を観劇した観客の投票によって決定した演目が今回の「Play#0」となった。公演チラシにプロデューサーの菊地奈緒(elePHANTMoon)の挨拶文が掲載されており、「短編小説のように楽しめる短編演劇を」が本公演のテーマであるという。柿喰う客の中屋敷法仁の『ひとさまにみせるもんじゃない』と、快快(小指値改め)の篠田千明の『いそうろう』の2本立てで、演出はいずれも時間堂の黒澤世莉。渋谷ギャラリールデコ、公式サイトはこちら 28日まで。

☆本日開幕したばかりの公演です。このあたりからご注意くださいませ☆

 2本めの『いそうろう』がおもしろかった。2人の女性がルームシェアをして暮らす部屋で起こった諍いが描かれる。正面に大きな板があり、そこに貼られた白い紙に2人は部屋の様子をマジックで描きながら、お互いの行動やそのときの気持ちを検証するかのように会話が進む。

 ももか(大川翔子)の部屋に、いちこ(百花亜希)が一緒に住むようになる。からだは小柄で華奢だが、大川翔子の声は大変響きのよい低音で、ストレートのボブヘアに切れ長の目が印象的。対する百花亜希はくしゅくしゅのパーマヘアにくるくるした瞳が可愛らしい。見た目も性格も対照的。何でもきちんとしていたいももかと、口では「やるやる」と言いながらだらしのないいちこでは、揉めるのも致し方ないと思われる。2人はこぼしたアイスコーヒーをそのままにしたとか、「自分でドラフトでも買って飲めよ」などと些細なことで大喧嘩をする。お互いの言動の揚げ足を取り、済んだことをよくもまあそこまで恨みがましく覚えているものだ。笑うのも悪いようで呆気にとられてみつめながら、それでも醜悪に見えないのは、2人の女優の若さと瑞々しさゆえだろうか。


 ルデコが小さな空間であることにはだいぶ慣れたつもりではあったが、今日はことさらに舞台と客席が近く感じられて最初は大いに戸惑った。しかし表の光も入り、車道や電車の騒音も聞こえる空間(敢えて遮らない作りにしたのだろうか)に身を置いてももかといちこを見ていると、だんだん不思議な心持ちになってくる。この2人がどうなったのか、ほんとうのところはわからない。目の前で繰り広げられている激しいやりとりは現実ではなく、「もしあのときこうだったら」「あのとき自分はこんな気持ちだったんだ」という想像や願望かもしれない。時間を元に戻して過去の出来事を再現することはできない。激情にかられて書きなぐった紙を白紙には戻せず、破れた紙は元通りにはならない。言わなきゃよかった、逆にもっと言ってやるんだったということもある。人は1人では生きていけない。誰かと交わることなしには人生は成り立たない。日々は後悔と過ちの繰り返しである。

 それぞれ所属、主宰する劇団をもつ演劇人がお互いの作品をリーディングで競い合いながら上演する、意欲的な試みだと思う。衝突や混乱や挫折もあるだろうが、手応えもきっとあるはず。初日を見た限りではまだ試行錯誤の印象があったが、千秋楽までにさまざまな変化が起こることを予感させる。願わくは短編小説から骨太で濃厚な長編が生み出されることを。
 

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