*アンネ・フランク原作 フランセス・グッドリッチ/アルバート・ハケット脚色 丹野郁弓翻訳・演出 公式サイトはこちら 川崎市黒川/劇団稽古場 21日で終了
ユダヤ人少女アンネ・フランクがナチスドイツの迫害を逃れて隠れ棲んだ2年間の生活をつづった日記は、家族はじめともに隠れた8人のなかでただひとり生還した父親のオットー・フランク氏によって1947年に出版された。1955年にはアメリカで劇化され、映画化もされている。
劇団民藝の菅原卓が舞台の台本をいち早く入手して翻訳し、日本で1956年に初演、いらい1700回を越える劇団最多上演演目となった。アンネ役は若手女優の登竜門となり、吉行和子、阪口美奈子、樫山文枝、日色ともゑをはじめ多くの女優を輩出している。
2001年に丹野郁弓が翻訳と演出を引き継ぎ、新しい配役で2011年に再スタートを切った本作が2013年に続いて上演の運びとなった。一般公募によるオーディションでアンネ役を射止めた新人八木橋里紗の母上は、8代目アンネを演じた故・成田美佐子である。
民藝屈指の財産演目でありながら、筆者は今回ようやく上演をみることができた。川崎・黒川の劇団稽古場の客席は、夏休みに入った子どもたちもいて満席の盛況である。
サブタイトルに「プロローグとエピローグのある二幕」とある通り、舞台は1945年11月の遅い午後、ただひとり生き残ったオット―・フランク(千葉茂則)が隠れ家を訪れ、潜伏に力を貸してくれたミープ(飯野遠)、クレイマン(山梨光圀)と再会し、保管されていた娘アンネの日記を手に取る場面にはじまり、そこから1942年にさかのぼって、1944年にゲシュタポに逮捕されるまでが時間の流れに沿って描かれ、そして最後は再び最初の場面に戻って幕を閉じる。
前述の千葉、飯野、山梨に続き、母エディット白石珠江、姉マルゴー平山晴加、同居したファン・ダーン夫妻に吉岡扶敏、細川ひさよ、ペーターに本廣真吾、歯医者のデュッセルに齊藤尊史。まさにベテランから中堅、若手まで適材適所の配役だ。
アンネ役が17代目を数えるだけでなく、1990年にペーター役でデヴューした齊藤尊史が歯医者のデュッセルを演じるなど、劇団の長い歴史のなかで育まれた宝を珠のように愛で、精魂込めて作られた舞台である。
このような作品を演出はこう、俳優の演技はこうといった具合に批評することは非常にむずかしい。かといって感動的な舞台だとひとくくりにすることにもためらいがあって、しかもとうに千秋楽を迎えてしまったこともあって(苦笑)、どうにもことばが出てこない。
2013年上演版のパンフレットに掲載された翻訳・演出の丹野郁弓の「雑記」によれば、2011年の新メンバーの座組みになって初めて、「スタッフ、キャストから戦争体験者がいなくなった」とのことだ。来年で戦後70年になるのだからいたしかたないことである。戦争をリアルな実体験として知る世代はそう遠くない将来、存在しなくなるのだ。
不遜な言い方になるかもしれないが、そのことに対していたずらに心を騒がせるのではなく、むろん綿密、慎重にさまざまな資料にあたり、想像力のありったけを駆使して、何より謙虚にならねばならないが、実体験がなければ作れない、語れないと恐れることはないのではないか。この点はもっと考えを深めて書いていきたい。ひとまずここで終わる。
イスラエル軍によるガザ攻撃はいっこうに収まらず、無辜の市民が殺されて両者はいよいよ憎しみを募らせている。日本では「アンネの日記」や関連書籍が破られる事件が起きた。日々の報道をみるにつけ、それでもわたしたちはアンネのように、「周りは悲しいことだらけだけど、それでも人間の心の中は絶対に素晴しい」と信じることができるだろうか。
舞台は父オットーが娘の遺した日記を抱きしめて、「わたしはアンネに恥ずかしい」と振り絞るような声でつぶやいて幕を閉じる。希望の光が差し込むようなメッセージが告げられて終わると予想していた自分の甘さに打ちのめされながら、非常に重く痛々しい終幕であったことをまだじゅうぶんに受けとめられないでいる。これは父というもっとも身近な人の個人的な悔恨を越えて、いまのわたしたちもまた同じ心持ちにならざるを得ないことを突きつけられたのではないだろうか。
アンネのことを考えるとき、いつも思い浮かぶのが新約聖書の「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネによる福音書12章24節)である。アンネは戦争によって理不尽に人生を断ち切られた。しかし遺した日記は世界中に広まり、数えきれない人々に読み継がれ、多くのものを与えつづけている。結んだ実のひとつが民藝の舞台『アンネの日記』であり、それをみた自分もまた何らかの実を結びたいと祈り願うのである。
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