goo blog サービス終了のお知らせ 

因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団桃唄309『三つの頭と一本の腕』

2007-11-21 | 舞台
*長谷基弘戯曲・演出 公式サイトはこちら こまばアゴラ劇場 12月2日まで
 稽古場見学から4日後の初日の舞台をみる。驚いた。わずか数日でここまできっちり仕上がっているとは。後半部分を繰り返し検討していた様子から、「七転八倒」「産みの苦しみ」を越えた、おそらく死にもの狂いの頑張りがあったと想像する。劇場に入ると気のせいかしら、微かにお香の匂いがして、時おりチリリンと小さな鈴の音が聞こえる。開幕前のひととき、深い闇の中にいるような不思議な静けさが身を包む。

 民話や地方の習俗を収集研究するアマチュアのグループがあり、その中のひとりが謎の死を遂げた。彼の足取りを追いながら過去を回想する形で物語は進む。正方形の舞台の周囲に竹垣や小さな橋(屋内用らしい)があるくらいで、ほとんど裸舞台に近い。そこに登場人物がめまぐるしく出入りする。何もない空間が山道、旧家の座敷、グループの集会所などに次々と変っていく。過去の回想場面で、わきに座った人物は「そうそう、あのときは~」的な台詞をはさむところもあって、過去を検証している現在という視点も加わった構成がおもしろい。福島県のある町が舞台で、旧家の本家と分家の確執に友情や男女の愛が絡んだ複雑な話で、台詞のやりとりは相当にめまぐるしく、流れについていくのに必死になる。

 どうして舞台を作るのか。演劇という方法を選んだのはなぜなのか。ちょっと気恥ずかしくなるほどの、でも非常に重要なことを改めて考えた。たとえばこの物語を映像にするなら、過去と現在をきっちり分けて示すことは容易だろうし、みる側もわかりやすい。舞台でも時間の流れに添ったベタな作りも可能だろう。しかし桃唄は舞台において敢えて過去と現在が錯綜する手法を取った。作り手とみる側双方にとって緊張を持続する体力と柔軟な想像力が要求されるのである。稽古場では見られなかった場面も含めて最初から通してみて、「こういう話だったのか」と納得したが、まだまだ自分の中で消化されていないところもある。本作には「高校生版」もあり、地元福島県の高校生が出演する。登場人物の一人が高校生だったころの話だそうで、こちらもみればもっとこの作品を深く味わうことができそうである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« メジャーリーグ+庭劇団ペニノ... | トップ | 落語会成功!『ちりとてちん... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

舞台」カテゴリの最新記事