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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『トントコトン』studio salt第5回公演

2006-05-23 | 舞台
*椎名泉水作 大西一郎演出 相鉄本多劇場
 これも「横濱リーディング」に触発されて足を運んだ。外部演出家による公演は今回が初めてとのこと。

 たとえば自分が一家の主婦だとしよう。夫は失業中で姑は寝たきりである。夫の二人の弟がパラサイトしていて、一人は弱そうなボクサー、もう一人はクスリ漬けで家族に内緒で借金をしている。誰も家事や介護を手伝ってくれない。単純に見ればこれは大変な不幸で、こんな状況に置かれたら心身疲れ果てて家族仲も険悪になり、お先真っ暗のどん底気分になるだろう。しかし何を辛いかと感じるかは人によって違うので、案外平気で暮らしていけるかもしれない。幸せも不幸も単純ではないし、傍目にどう見えようとほんとうのところはわからないのだから。

 『トントコトン』の舞台は、まさにこのような家庭である。題名は寝たきりの姑が用事があるときに枕元の太鼓を叩く音のこと。不幸の見本のような状況にも関わらず、二時間足らずの上演中見るのが辛いとか、やりきれないという感覚にはまったくならなかった。困ったのは、それがプラスの印象ではないことである。たとえば長男の妻(高村圭)の造形である。ぐうたら亭主(麻生0児)とはいささか不釣り合いな、若くてなかなか可愛らしい美人さんである。それはいいとして、彼女が終始あっけらかんとしている(もっと適切な表現はないだろうか。もどかしい)ことに、救われたというより、ちぐはぐな印象がつきまとった。明るい働き者で、気だてもよいのであろう。しかし入浴サービスのヘルパーに自家製のグロテスクな栄養ドリンクを喜々として毎回勧める様子は尋常ではない。もちろん単純に暗い表情をしてくれればいいというわけではなく、そう簡単に心情が読める造形ではつまらない。しかし「この人のほんとうの心はどこにあるのだろうか」と身を乗り出して読み取ろうという気持ちになれないのである。

 三兄弟は母のお告げを信じて庭を掘り続け、インチキシロアリ駆除業者や怪しげな借金取りもいつのまにか一緒にお宝探しに加わり、最後は庭から温泉が噴き出した・・・この舞台から一人の悪人も出なかったことに、ひとまずは安堵するも、「舞台をみた」という手応えは得られなかった。作り手と観客が同じ時間を同じ場所で過ごす。そのときにだけ生まれる一度限りの交わり。それを豊かにするためにはいろいろな要素が必要なのだが、今回は何かが足らなかった、あるいは自分が感じ取れなかったのであろう。
 

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