板橋ビューネ2017参加 SPIRAL MOON the37th session* 森本薫作 秋葉舞滝子演出 河嶋政規、星達也演出補佐 板橋・サブテレニアン 12日で終了
本作はほんとうに短い一編である。ひとりの女性の生涯を数十年に渡って描いた『女の一生』や、数日間の出来事と言えど、やはり長尺の印象がある『華々しき一族』などに並ぶとあまりに短く、分厚い戯曲集から紐とく際に、短すぎてページを探せないなどという冗談のようなありさま。青空文庫でも読めるので、こちらもぜひ。
もうじき入梅の季節の夕暮れ、女手一つで薬局を切り盛りする母親の真紀と、娘あさ子が暮らす家の客間で、あさ子をめぐるふたりの男性と、娘の幸せを願う母の思惑が交錯するさまは、日常会話でありながら哲学的内容を孕み、人生の深淵をのぞき込むように奥深い。1934年、森本薫22歳のときの作とは、感嘆するばかり。
娘には親しくしている若者がおり、母親は彼が娘に好意を抱いていることをよく知っている。しかし娘より一つ年下で、文学やら芝居やらに手を染めているらしい彼は、結婚相手にふさわしくない。折しも良さそうな人が見つかったのを機に、母親は若い彼にやんわり引導を渡し、敏い彼も母の気持ちを察する。
本作の旨みは、この母親と若者のやりとり、そして後半で登場する娘の結婚相手と目された青年医師と、若者のやりとりである。
口調こそ柔らかいが、母親が言いたいのは「娘のために身を引け」であり、若者は傷ついているであろうに、それを表に出さない。青年医師はその会話を聞いていないが、若者と娘について話しながら、彼の心にある愛に気づき、自分の出現(というと大げさだが)が彼の恋を奪ったことを悟りつつも、娘を愛そうとする。
切った張ったや、どろどろの愛憎が渦巻くドラマティックな話ではなく、人々は極めて冷静で、上品にことばを交わす。それなのに戯曲を読むと息づまるようであり、このひとことに含まれるその人の思いはいかほどか、「書かれない心のうち」を読み取ろうと、どんどん心が前のめりになるのである。
残念ながら舞台そのものからこの感覚を得ることはできなかった。森本薫作品の台詞を発することは、こちらの想像以上にむずかしいのであろう。母親役の秋葉舞滝子はさすがの安定感であったが、やはり若手の台詞術、所作事について、もどかしい印象が残る。とくに「あさ子」はむずかしい役どころだ。母と自分をめぐるふたりの男性の思惑を最後まで知らず、「話をさせても他人の調子には頓着なく」というト書きの通り、マイペースである。さらに彼女の癖である「時々片手を上げて指先で両の眉を内から外へ撫でつける癖」を自然に、しかも母親から諫められるものとして見せるのは至難のわざではなかろうか。
畳や障子、テーブルや椅子などの家具や、さまざまな調度品も丁寧に作りこまれた舞台美術で、戯曲に対する誠実な姿勢が感じられる。開演前のアナウンスも15分前、直前と行き届いたものであり、舞台の設定は梅雨前だが、晩秋の季節にふさわしい佳品であった。これまで何度も公演のチラシを見ながら足を運べなかったが、今回の舞台はよい契機となりそうだ。
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