長田育恵脚本 扇田拓也(ヒンドゥー五千回)演出 劇団公式サイトはこちら シアタートラム 29日まで (1,2,3)
せたがや文化財団が主催する「シアタートラムネクストジェネレーション」の企画は、その名のとおり有望な次世代の劇団を多くの公募から選抜して上演するものだ。開演前の空気は期待よりも不安が大きく、張りつめたものが漂っているが、終演後のロビーはいつになく晴れやかで、てがみ座の舞台を祝福する人たちでいっぱいであった。
江戸川乱歩の妻・隆子(りゅうこ。本名は隆)が、原稿が書けずに失踪した夫の行方を追って浅草を訪れる。そこで出会った傀儡師と人形たちの芝居によって、過去の自分たちの物語をみる。長田育恵の戯曲がすばらしい。虚実が入り混じりながら、乱歩という名をもつ夫に対する妻の溢れるような愛情と悲しみが惻惻と伝わってくる。この戯曲が舞台になったところをみたい!2010年秋、王子小劇場での初演を見逃してからずっとそう願ってきた。
高い天井をいっぱいに使って大掛かりなセットを組み、奥行きも活かした力強い演出だ。舞台美術といい、衣裳といい、たいへんな手間と労苦があったのではなかろうか。観客とはまことにわがままでないものねだりなもので、これをみると王子小劇場の舞台がどのようなものであったのか、ますます知りたくなるのだ。
戯曲と劇場、俳優の演技。さまざまな要素のバランスをとるのは、こちらが想像するよりもむずかしいのだろうか。舞台をみながら何かもうひとつしっくりしない感覚があって、それは戯曲を夢中で読んでいたときにはなかったものだ。
たとえば、たいへん細かい箇所なのだが、物語の冒頭は舞台に緋色の緞帳が下りたまま、舞台前方のごく狭いスペースで演技が行われる。乱歩が置いていった原稿(連載休止の詫び状)を編集者がまたぐのである。本作はさまざまな空間が行き来するこしらえであるから、細長いスペースであっても、広さや奥行きをイメージしてみるべきなのだろうが、彼は乱歩の原稿をずっと待ち焦がれていたのに、床に原稿があるのに気づかないどころか、またいでしまっては・・・と引っかかった。それから終幕に若き日の隆(りゅう)が平井太郎(のちの乱歩)からの手紙を受け取り、たたまれた手紙を左がわから開いて読んでいたように見えたのだが、どうであったのだろうか。縦書きの手紙(ですよね?)は右から開いて読むのが自然だと思う。それとも左右など関係なく、開きかけた手紙、開いたところにあの和歌が書かれてあったのかしら。
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