*鐘下辰男作 西川信廣演出 公式サイトは こちら 12日まで 紀伊国屋サザンシアターTAKASHIMAYA
1909年、ハルビン駅で前韓国統監伊藤博文を暗殺した安重根(アン・ジュングン)が収監された旅順監獄が本作の舞台である。97年夏のアトリエ公演、再演いずれも出演の数人の俳優は、22年の歳月を経て中堅、ベテランとなって作品の核を形成し、脇を固める。一方、初演当時は小さな子どもであったろう若手が加わり、劇場も大きくなって、堂々たる再演の運びとなった。自分の初演の記憶は、安重根役の関輝雄の静謐な佇まいと、日本人通訳と安との朝鮮語のやりとりが、朝鮮語であるという前提で、日本語のそれに変わっていく巧みな作劇であった。
初演時、通訳を演じた瀬戸口郁が、再演の舞台で安自身を担う。通訳は佐川和正である。通訳の青年は安に対して恐れを抱きつつ、懸命に会話を試みる。寡黙な安もやがて応じるようになり、穏やかな交わりが生まれる。粗暴な看守長(得丸伸二)や、外務省の役人(細貝光司)に媚びへつらう典獄(大滝寛)とちがい、通訳は安の心身を気づかう思慮深い青年だ。しかしその一方で、母と兄の秘められた関係や、兄の戦死で正気を失った母を持て余し、ある行動に及ぶ。母に存在を否定された悲しみを抱え、監獄医(若松泰弘)にも母のことをひた隠しにしている通訳が、死刑を待つだけの身でありながら、泰然自若とした安との会話につかの間の安らぎを覚える様相はまことに皮肉であり、救いでもある。
いかにも「あるある」の設定の人物は、ありきたりであざとい造形に陥ることが少なくないが、今回はそれぞれの持ち場で微妙な色合いの造形を見せる。外務省の若造の言いなりで、結果部下から侮られる典獄は、通訳の母が迷い込む場面で人柄の良さを控えめに見せ、刑事(横山祥二)は短い出番にもかかわらず、出すぎず引きすぎず、この舞台に必要な役割を的確に捉えた造形である。エリートであることが嫌味に見えない外務省役人の貫禄や、監獄の仕事に葛藤を覚えながら従うしかない看守たち(常住富大、池田倫太郎)も、それぞれ屈託を抱えていながら、時おり典獄や看守長より図太く見えたり、何を考えているのか測りかねる様子など、当時における「現代っ子」の匂いをさせるなど、みどころが多い。
重苦しい内容の舞台であるが、終演後のロビーは明るく賑々しく、気持ちのよいものであった。舞台から手ごたえを得たことの充足感がそうさせるのだろう。
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