因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『オレステス』

2006-09-20 | 舞台
*エウリピデス作 山形治江訳 蜷川幸雄演出 シアターコクーン 公式サイトはこちら。
 同道の家族に「ところで蜷川さんの演出って、どういうところがいいの?」と聞かれ、とっさに「藤原(竜也)くんが出るから」と答えてしまう自分に愕然とした。そういえば他の人にも同じことを聞かれる。蜷川幸雄演出のどんなところが魅力的で、何を見たくて高い料金も惜しまず(いや惜しいのだが)チケット予約に苦労しながら劇場に行くのか。見終わったあと、何が心に残り、影響を受けるのか。考えなくてはならないのに、避けていたような気がする。いったいあの金網には何の意味が?とか(2003年『ハムレット』)、舞台上の顔写真が気になって集中できないとか(2004年『ロミオとジュリエット』)思いながらも、とにかく藤原竜也の懸命な演技をみればもう何も言うまい!と思ってしまうのだった。

 さて以下はいわゆる「ネタばれ」なので、これからご覧になる方はお読みになりませんよう。
 今回の演出には疑問点が多い。まずは舞台に本水を使った雨が降ることについて。打ちのめされたみじめなエレクトラ(中嶋朋子)の心情や、俳優に肉体的な負荷を与え、極限状態におくことで舞台の緊張を高める意図があるのだろうが、雨音のために台詞が聞き取れない箇所がしばしばあり、これでは何のことやらわからない。俳優の想像力を喚起するための本水が、観客の想像力を奪ってしまっているのではないか。実際に雨を降らせなくても、俳優はその表情や姿によって、演じる人物がどれだけ辛いか、苦しんでいるかを表現してほしいし、観客もそれを感じ取りたいと思うのである。
 次にラストシーンにおける「ビラまき」について。この作品は死刑判決を受けたオレステスとエレクトラのきょうだいが、起死回生をねらって反逆を企てたところに突如アポロンが現れて神託をくだし、強引に話をまとめてしまう。そのご都合主義的なところには正直あっけにとられてしまうのだが、蜷川はここで黒覆面の男たちにアメリカ、レバノン、イスラエル、パレスチナ各国の国旗と国家の印刷された大量のビラを客席に向かって撒かせたのである。爆音、銃声に混じって国家が聞こえ、数千年の昔から連綿と続く戦争、復讐の連鎖を示したものと理解した。安易なハッピーエンドにはさせないという蜷川の意思表示であろう。
 しかし、ここで話を一気に国家間の現実に持っていくのはいかがなものだろうか。戦争やテロに発展する以前の、ひとりの人間の心に巣食う憎しみのことをもっと突きつめて考えたい。オレステスとエレクトラは生みの母を憎み、殺した。殺害という行為に至る前に、ふたりはのたうちまわるほど苦しんだはずだ。実の母を憎んでしまう自分たちの運命を呪い、いっそう激しく母を憎んだだろう。あなたを愛せれば自分たちは幸せだったのにと。
 アポロンの神託が下っても、二人のきょうだいは決して心から安堵し、幸せになれるとは思えない。本作の結末については山形治江訳の戯曲『オレステス』の巻末に詳細な解説と考察が掲載されており、当時の時代背景や作者エウリピデスの心情まで汲み取った考察は大いに参考になった。それだけに今回の演出にはもどかしい印象が残る。

親が子を殺し、子が親を殺す事件が頻発している現実に、わたしの感覚はある意味で麻痺している。かといって安易な希望はいらない。絶望でもかまわない。古代ギリシャの昔から続く人間の心の憎しみをもっとみせてほしい。

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1 コメント

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TB&コメント、どうもありがとうございます。 (butler)
2006-09-28 11:19:40
TB&コメント、どうもありがとうございます。

雨音の功罪は色々とありますが、私は比較的好意を持って観られました。
エレクトラとオレステスの姉弟は、終始声を張り上げて心の痛みを吐き出さざるをえない状況にあり、物理的にその状況を作り出す効果があったと思います。
ギリシャ悲劇には一言たりとも疎かに出来る言葉は無いはずですから、それが聞き辛かった部分があったことは、確かに残念ではありましたが…。

11月の新国立の鈴木忠志さん演出のギリシャ物、是非ご覧下さいね。

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