因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

アル☆カンパニー新春詩のリーディング『(お)もろい夫婦/宝物』

2009-01-10 | 舞台
*平田俊子作 平田満構成・演出 公式サイトはこちら 川崎市アートセンター 11日まで
 平田俊子の詩を平田満、井上加奈子、重松収、横尾香代子の4人の俳優が読む試み。2006,2007年にSPACE雑遊で上演した『(お)もろい夫婦』を改訂し、新しく『宝物』を加えて2部構成にしたそうで、自分は今回が初めてだ。考えてみると「リーディング」と銘打った公演は数多いが、それは大半が戯曲を読むもので、「詩」のリーディングは初めてかもしれない。詩はひとりがひっそりと読む(黙読)するイメージがあり、実際自分は平田俊子の作品をそのように読んできた。俳優が読む「詩」はどんな舞台になるのだろう。
 『(お)もろい夫婦』は平田俊子の実体験に基づくもの。作者自ら「実録モノ」としているだけに、詩の形式は落語調だったり文語体の草紙風だったりするが、現実味があって生々しく、ぞくぞくするほどおもしろい。なるほどこれは俳優が声に出して読み、動いてみたくなるだろう。だが2部の『宝物』になると、ほんとうに「詩」を読むために集中を持続させることが途端に難しくなった。

 ちょうど阿刀田高の『チェーホフを楽しむために』(新潮文庫)を読んでいて、トルストイがシェイクスピアを批判していたことを例にしながら、小説と戯曲の違いを思考している箇所がある。それと同じように、詩と戯曲にも違いがあるのではないか。詩を読むことと、詩の世界を舞台で演じることには違いがあって、それが具体的にどう違うかはうまく書けないのだが、戯曲のリーディングのように、戯曲じたいが持つ力に俳優がその身を委ねるのと同じものを詩に求めるのは難しいのではないか。数編の詩をひとつの舞台に作るのだから、通常の戯曲のリーディングに比べて、より確かな構成と的確な演出が必要になる。目で読んだものを声に出してみたい、その様子を舞台に乗せて観客と時空間を共有したいという気持ちは伝わってくるが、構成・演出の平田満が思い描いたものと、実際のステージから受ける印象とのあいだには微妙なずれがあるように思う。

 開幕のとき、出演俳優が勢揃いして平田満が「明けましておめでとうございます」と挨拶すると、客席も何だか普通にうち解けて「おめでとうございます」と返し、平田が「いや、そんな」と恐縮する場があって、平田満のお人柄というか、この舞台への気持ちが伝わってきて和やかな開幕となった。年配の観客が多く、通路もほぼ一杯の盛況である。地味だが手作りの温かさがあり、2009年の芝居はじめは静かに始まった。帰路の乗り換え駅のスーパーでお惣菜を買ってみる。知らない町の初めての店は、物珍しくて楽しい。リーディングは作る方もみる方も難しい。けれど魅力的だ。それはなぜか?もしかするとこれは新年に与えられた最初の演劇的課題なり。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 因幡屋1月の課題 | トップ | wonderlandクロスレビュー『... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事