因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団印象第16回公演『妻月 さいげつ』

2011-11-03 | 舞台

*鈴木アツト 作・演出 公式サイトはこちら 新宿タイニイアリス 13日まで (1,2,3,4 5,6,7,8,9,10,11)
 現代や近未来をファンタジックに描く鈴木アツトが、今回はじめて「時代物」を書いた。
 公演チラシには物語の内容が淡々と記されている。
 昭和24年の冬、復員した男が家に帰ると、数年前に戦死の誤報があったために、待っているはずの妻はすでに・・・。
 戦中戦後を扱った映画やテレビドラマで似た設定のものはいくつかみた記憶がある。
 ほんの60数年前、この国で現実にたくさんあったであろう悲劇。誰が悪いのでもなく、戦争を恨むことすらできず、ただただ運命だと受け入れた人々が大勢存在したのだ。

 タイトルの『妻月』は「さいげつ」と読む。
 夫が戦地から帰るのを待つ歳月、再婚し、子どもをもうけて新しい生活をはじめた幸せな歳月、戦死したはずの夫が帰還してからの歳月、そして昭和が終わり、平成も23年を過ぎた今から、当時までの歳月。昭和24年という明確な設定があり、出演俳優は着物に草履で座り芝居が多いが、あの時代をそのまま精密な作りでに再現するものではない。

 そのせいか、みているうちに舞台設定が終戦後であることが、次第に意識から消えていく。
 空襲で焼け焦げた遺体を踏み越えて(踏みつけて、だったか)生き抜いてきたことや、「傷痍軍人」、「慰安婦」という台詞が若い俳優から発せられて、「そうだった」と揺り戻されるが、あの時代を生きてきた人々の生のことばとして確かな手ごたえを得るところにまでは、残念ながら至らなかった。

 性格の異なる兄と弟が妻である女性をめぐって諍う様相は、戦争が原因とはいえ、彼らがずっと幼いころから心の底にしまいこんでいたさまざまな鬱屈が吹き出しているともみえるし、前述の傷痍軍人に対して、徴兵を逃れて自由に生きてきた兄が抱く複雑な心境や、それを見抜く女中(と思っていたら実は・・・)とのやりとりには、当時と現代をつなげる回路がありそうだ。

  これはあくまで自分の想像で、かん違いであったら申しわけないのだが、本作は金哲義が作・演出をつとめる劇団May (1,2,3,4,5) の舞台に触発されているところが多いと察せられる。金の作品を「時代物」と認識したことはないが、血と祖国という非常に重く痛々しいことを、数十年の歳月の流れのなかで一気に描きだす舞台は、ずっしりとした大河ドラマ級の重みがある。
 鈴木アツトは、今回どうしてあの時代を描こうとしたのか。あの時代から現代までの歳月をどう表現したいのか。客席に何を伝えたいのか。劇作家の思いや視点のありかを、しっかりと客席に届ける上で、あともう何歩か欲しいというのが率直な印象である。
 龍田知美とべク・ソヌの名コンビに加え、青年劇場の石橋美智子も前回に続いて舞台を和ませ、引き締めて安定感がある。
 鈴木アツトと印象のこれまでの歩みにおいて既に得ているものをさらに活かし、これから作りたいものは何か、それを作るには何が足らないか、どうすれば作れるかを検証する時期にあるのではないか。

 本公演は今夜が初日で、13日まで上演される。劇団印象の公演のなかでは、期間が長い。
 千秋楽までに舞台が変わっていく可能性も大いにあり、また本作で挑んださまざまなことを次回作に活かし、新しい世界が構築されることを願っている。

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