政権を維持したいだけの民主党は、今度は公明党に擦り寄ろうとしている。岡田克也幹事長は、子供手当というのではなく、児童手当の拡充でもよいというのだ。それはまさしく、子供手当を撤回するのと同じことだ。どうせ毎月一人当たり2万6千円というのは無理だろうから、そこを落としどころにしたいのだろう。しかし、一番の目玉政策がそうであれば、マニフェストの大幅修正ではないか。岡田幹事長を原理主義者と呼ぶのは、買いかぶり過ぎだろう。実際にやっていることは、無原則な妥協だ。選挙のときに国民と約束したマニフェスト履行せずに、権力にしがみついているというのは、あまりにも恥知らずである。そんな民主党を国民が怒っているから、支持率がどんどん下がるのである。日本人というのは、ぶざまな身の処し方を好まない国民性がある。西行の歌に「今の我も昔の人も花みてん心の色はかはらじものを」というのがある。美醜の感情は時代を超越しているのである。権力を維持したいがために、根本政策をかなぐり捨てるのは、あまりにもいい加減であり、国民を愚弄することだ。どうして出直しをする勇気がないのだろう。約束を守れないのであれば、新たなるマニフェストを出して、国民の信を問えばいいだけなのに。
2月26日の昨日の夜、会津若松市七日町、渋川問屋の憂国の間で「渋川善助を追悼する会」を開催した。主催は会津草莽隊で、会津ばかりではなく、福島市や青森市などからの参加者もあった。全員で「昭和維新の歌」を斉唱したりで、かなり盛り上がったが、甥にあたる渋川問屋社長の渋川恵男氏から一枚の写真が見せてもらうことができた。そこにはアジア主義の巨頭頭山満と一緒に、渋川の妻絹子が写っていた。2・26事件が起きた昭和11年の7月12日に渋川は銃殺の刑に処せられたが、悲しみにくれる家族のことを思って、その翌日あたりから頭山が夫婦して、渋川の生家である渋川問屋に滞在したのだった。澤地久枝の『妻たちの2・26事件』では「同志将校の結婚写真に写っている渋川夫人は、黒瞳の大きい豊満な顔立ちである」と描写されていたが、その写真を見てみると、その通りのふっくらとした顔つきの美人であった。彼女は渋川とともに、2月26日の決行前である2月23日、湯河原の伊藤屋に泊まり、別館に滞在中の牧野伸顕の動静を偵察している。昭和9年に結婚したばかりの新妻にもかかわらず、夫と一緒に飛び回っていたのである。渋川問屋は現在では料亭となっているが、建物は当時のままであり、渋川の寝起きした部屋が、憂国の間と名づけられたのだ。渋川善助を語るにあたっては、愛妻絹子のことも忘れるべきではないだろう。