草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

危険極まりない磐越道の夜間トラック無料化

2011年02月08日 | 政局

 民主党政権は、トラック業界に恩を売るつもりなのだろう。こともあろうに国土交通省は、今年度の高速道路の無料化の実験区間として、郡山から西の磐越道を指定するのだという。信じられないのは、夜間のトラックであることだ。6月から12月までの期間にわたって、午後10時から翌日の午前6時までが無料となる。今でもその区間は、新潟などと東京を結ぶ路線として、大型トラックが我が物顔に走っている。今後はなおさら混雑することになるだろう。大型トラックの大半が新潟から関越道を利用するのではなく、磐越道を通るようになるからだ。いくら冬の時期を避けたとはいえ、12月に雪が降ればスリップの危険が高まる。一番危惧されるのは、猪苗代と会津若松の区間である。勾配が急なために、普通でも運転がしにくい。さらに、会津地方は四季を通じて霧が発生しやすい。別名「霧が窪」と呼ばれているのは、そのためである。会津盆地に入った途端に視界が見えなくなり、それでハンドル操作を誤るという事故が起きている。それを真剣に考慮したのだろうか。普通車が走行できないような交通事情になれば、首都圏からの観光誘客にも影響が出かねない。明日にも民主党の国土交通部門会議で正式決定されるというが、そんなことになれば、事故が多発することだけは間違いない。

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見苦しいだけの保守政党同士の争い

2011年02月08日 | 政局

 日本の保守政党は、憲法改正の一点で大同団結をすべきだろう。昭和30年11月15日、自民党が誕生するまでは、保守政党は権力闘争にあけくれていた。戦後の保守政党は、政友会の流れを汲む日本自由党が昭和20年11月9日、民政党の流れを汲む日本進歩党が昭和20年11月16日に、それぞれ結成された。昭和21年4月の総選挙で日本自由党が第一党となり、5月22日に第一次吉田茂内閣がスタートした。鳩山一郎が追放になったために、首相に就任したのは吉田茂であった。昭和22年3月31日には、日本進歩党は、芦田均らの日本自由党脱党組や国民共同党、農民党の脱党組みと一緒になり、民主党を結成した。昭和22年4月の総選挙の結果、社会、民主、共同の三党連立による片山哲首班の内閣が実現したが、石炭国管法案をめぐって民主党が分裂。その袂を分ったグループが日本自由党と合同して、民主自由党を名乗った。昭電疑義によって、三党連立政権は崩壊し、昭和23年9月19日、第二次吉田内閣がつくられた。それからもう一度民自党と連立をめぐり、民主党は分裂し、その連立派と民自党で自由党をつくった。そこから自民党結成までの道のりは、平坦なものではなかった。妥協と裏切りの血みどろの戦いが繰り広げられたのだった。民主党政権を一日も早く倒すためには、そんなドタバタ劇をしている時間はないはずだ。

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