草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

優柔不断な指導者は失脚を余儀なくされる

2011年02月12日 | 思想家

 権力闘争というと、ソビエトで起きたスターリンとトロッキーとのことが、よく引き合いに出される。お人好しのトロッキーに対して、スターリンは手段を選ばなかった。山口昌男の『歴史・祝祭・神話』のなかで、1924年1月21日、レーニンがこの世を去った後の二人の動きを取り上げている。転地療養に南方に向かう列車のなかで、スターリンからの電報でレーニンの死を知ったトロッキーは、すぐにモスクワに取って返すべきであったのに、それをせずに保養地スークムで時間をつぶしてしまった。スターリンが電話でトロッキーに向かって「葬儀は土曜日。いずれにせよ来ないでいい。治療を続けられるようにすすめる」と言ったので、馬鹿正直に参列しなかったのである。実際は日曜日に葬儀が行われたので、十分に間に合ったのだが、陰謀に引っかかったのだ。これによってレーニンの後継者は、スターリンに確定したのだった。トロッキーが優柔不断であったために、レーニンが一番嫌っていた人間の手に、権力が渡ったのである。反対派を抹殺するというのが政治だといわれる。レーニンの死によって、トロッキーが絶望したことが、判断を誤まらせることになったのだろう。菅首相も見るからに覇気がない。それでは小沢一郎を排除できるわけがない。政治家が不安になったり、絶望すれば、その時点でもうおしまいなのである。

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2・26事件と純直な男らのこころざし

2011年02月12日 | 思想家

 権力を握っていたり、金にまみれた人間が、テロについて云々するのは、お門違いもはなはだしい。小沢一郎は何を勘違いしているのだろう。テロリストは、失うべきものを持たない人間たちなのである。小沢のように、警察や検察に御用になるのを恐れてもいないのである。全共闘世代の歌人である道浦母都子は『無援の抒情』のなかで、「男らのかの如月のこころざし純直なりて雪に溢れぬ」と詠んでいる。小沢のごとき人間に、彼らの志の高さと、挫折した悔しさが分かるはずがない。今日から明日にかけて、東京にも雪がつもるといわれる。雪を蹴散らして、首都中枢を占拠する軍隊も、もはやこの日本には存在しない。米国の傭兵と化した自衛隊は、天皇陛下から栄誉の大権も与えられないのである。それでも、三島由紀夫が主張した道義的革命という思想は、最近になって再認識されつつある。国のかたちが破壊されようとしているからだ。2・26事件の首謀者として処刑された磯部浅一は「天命を奉じて暴動と化せ」と叫んだ。そして、彼は「戦場は金殿玉ロウの立ちならぶ特権者の住宅地なり」とまで言い放った。世の中が堕落すると、純直な若者が決起するというのが、今までの日本の歴史なのである。

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