公明党との取引材料に、民主党は菅直人首相の首を挿げ替えてもよい、と言ったとか。政権維持のために、後釜に前原誠司外務大臣を据えたいのだろう。前原の妻が創価学会の会員ということで、公明党が協力してくれると思っているからだ。しかし、前原がいくら保守派ぶってみても、永住外国人の地方参政権の付与法案に賛成しているように、まやかしでしかない。表紙を取り替えても、中身はサヨク政権のままなのである。もはや政権のたらい回しではなく、国民に信を問うしかないのである。尖閣諸島沖での衝突事件でも民主党政権は、最初だけ大言壮語したが、すぐに腰砕けになってしまい、決断力のなさを露呈した。マキアヴェッリの言葉に「弱体な国家は、常に優柔不断である。そして決断に手間どることは、これまた常に有害である」(『政略論』)というのがある。優柔不断の民主党政権のままでは、日本の弱体化はどこまでも進んでしまう。外交的には、アメリカだけでなく、中共やロシアからも侮られ、内政的には、財源なきバラマキで行き詰まっている。無駄な抵抗は止めて、さっさと解散総選挙に踏み切るべきだ。仮に前原を担いだとしても、結局は同じことを繰り返すだけであるのは、誰の目にも明らかだ。
小沢一郎はやけくその造反劇の黒幕となって、民主党をぶちこわそうとしている。失うものがない小沢が強気なのは理解できるが、菅直人首相の覇気のなさは尋常ではない。小沢と一蓮托生に思われたくなかったのであれば、断固として国会の証人喚問を実行すべきだったのだ。それで党が割れて政界再編の引き金となっても、菅政権は続投を許されただろう。政治家はここ一番というときに、勇気を持たなければならないのである。それができなかったのは、菅がサヨクだからだ。日本のサヨクは、1956年のスターリン批判と1991年のソビエトの崩壊という、二つの大きな試練にさらされた。とくにソビエトの崩壊は決定的であった。その後もサヨクであり続けた者たちは、その時点で行き場を失ったのである。亡霊となったサヨクが政権の座にあるほど、日本の不幸はない。「同志よ固く結べ」(作曲ユダヤプロレタリア闘争歌、訳詩飯渕啓太郎)という革命歌がある。サヨクというのは「われらは若き兵士プロレタリアの」といった歌詞を繰り返す、あのもの淋しい曲でも口にしているのがさまになるのであって、政権を担うだけの力量はないのだ。民主党政権が誕生し、菅のようなサヨクが首相となったのが、そもそもミスマッチだったのである。