Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

新富駅跡 深名線 9月1日 2016年

2017-03-31 | Weblog
新富駅跡は「何も無いジャンル」に属する初心者泣かせの鉄道遺構です。

国道275号線脇に駅への導入路があるのですが、JR北海道バスのバス停標識柱以外にランドマークがなく、うっかりすると通過してしまいそうです。

写真は国道から深川方面を見ています。

左手にJR北海道バスのバス停がありその小路を入ってゆくと駅跡となります。

それにしても、ホントに何もありません。

何も無さ過ぎる…



オデ君を国道脇に路駐して徒歩で向かいます。

細い道路を強引に入って行き、その先で転回出来ないとバックで国道に出なければならないので、危険回避のためです。

かなり道幅は狭いです。



JR北海道バス停留所標識柱ですが、昨年見たときよりだいぶ“首”が倒れてしまったように見えます。

2015年新富駅の記事はこちらから。




駅への導入路を歩き始めます。

昨年より道路が整備されていて安心度高いです。(*藪嫌いオジサンコメント)



樹木に覆われたその中に建物が現れました。

人の住んでいる気配は全くありません。

ネット上の記事を見ますと「新富集荷所」という記述があります。

この辺りで集荷所といえば、畑で収穫されたそばの集荷所でしょうね。



道路からその集荷所を見ます。

もちろん、これ以上は近付きません。



道路の突き当りには畑が広がっています。

この辺りが駅跡になるのでしょう。

黄緑色に見える作物がおそらく“そば”なのでしょうね。



青空の下、広がる畑。

それ以外、何もありません。

夜とか独りではむちゃくちゃ怖いでしょうね。

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政和駅 深名線 9月1日 2016年

2017-03-30 | Weblog
第三雨龍川橋梁と政和温泉駅跡とを適当にすっ飛ばしてやってきたのは 政和駅です。

原野に戻ってしまい駅遺構が何一つ残っていない駅跡より、こうして駅舎がしっかり残っている政和駅のような遺構に初心者の私はテンション上がります。

政和駅舎は赤い屋根が青空に映えています。

夏季だけ営業されていたというレストランは3年間通いましたが営業中の姿を見ることもなく、いまは年間休業の様子です。

駅舎本体はこうして使われ、人の手が入ったことで意外と良好に見えます。

切り妻屋根の棟は定規で引いたように稜線がピシッと決まっています。

先の鷹泊駅舎の荒廃ぶりとは対照的であります。



駅舎入り口建具はアルミサッシに入替えられています。

昨年は入り口全面にコンパネが貼り付けられていましたが、本年は一枚が撤去され人の出入りがあるようです。

2015年政和駅の記事はこちらから。



屋根を見ますと…積雪の落下を食い止める「雪止め」が雪の重みに耐えかねて損傷し入り口横にぶら下がってきています。



駅舎横は雑草が繁茂しています。



ホーム側の付け庇部は居住部に改造されてアルミサッシの窓が取り付けられています。

雑草が覆いかぶさるように繁茂し、藪嫌いなオジサンはこれ以上近づけません。



庇前も盛大に夏草が繁茂しています。

昨年の写真と比較すると本年はまだ除草作業前のようです。



ホームから路盤跡に出て、深川方面を見ます。

「政和コミュニティーセンター」が見えます。



名寄方面を見ます。

路盤は赤矢印の辺り…森の切通しのようなところを通っていたのでしょうか。



捨てられている廃材…枕木のように見えます。

これ以上近付きませんが…



駅舎を一回り観賞してきました。



国道に接続する駅前の道路。

「鉄道廃線跡を歩くⅦ」に掲載されていた写真には幌加内町開基70周年記念塔が写っていました。

それも撤去され、乗降客で賑わう風景は今は脳内イメージで再現するよりありません。

レールファンに目覚めるのがもう少し早ければ、ライブで見られたのに残念です。

その写真に写る政和駅舎はかなり疲弊した状態でした。





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第三雨龍川橋梁 深名線 9月1日 2016年

2017-03-29 | Weblog
雨煙別駅跡から国道を名寄方面に走ると右手にグリーンにペイントされたトラス橋が見えてきます。

まるで現役のような美しさです。

オデ君を停めて国道脇から撮影したのがこの写真です。

交通量は少ないのですがトラックなどがかなりのペースで走行していますので路肩に居ても注意が必要です。


2015年 第三雨龍川橋梁の記事はこちらから。




橋梁の手前は写真のように小公園になっています。

2014年に初めて訪れた際には花壇に綺麗な花が沢山植えられていたのが印象的でした。

2014年 第三雨龍川橋梁の記事はこちらから。



ベンチとテーブルが置かれている横を通って進みます。



第三雨龍川橋梁に付いての説明パネルも変わりがありません。



本年で3回目となる訪問です。

2014年初訪問の時にはかなり興奮しましたが、3回目となると淡々と観賞させていただいている…そんなオジサンです。

第三雨龍川橋梁、政和温泉駅跡 については2014年、2015年 の記事を読んでいただくのが宜しいかと思います。

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雨煙別駅跡 深名線 9月1日 2016年

2017-03-28 | Weblog
雨煙別とはいつもの北海道新聞社刊「北海道 地名 分類 字典」によりますと…

雨煙別(うえんべつ、空知・幌加内町の字、川、駅名)ウエン uen・ペツ pet=悪い・川 と説明されています。

なんとも素敵な響きの地名ですが、勿論語源はアイヌ語でそれに漢字を当てています。

雨煙別駅跡は国道から少し外れた場所にあります。

駅入り口にある農業倉庫は、昨年訪れた時より整備されたような気がします。

入り口のシャッターもきっちり閉められています。

2015年雨煙別駅跡の記事はこちらから。



雨煙別駅跡周囲は、携帯不感地帯…いわゆる“圏外”であります。

国土交通省のカラー空中写真を見ますと、「よくここに駅を作ったなぁ~」と思うほどの場所であります。

しかも開業当初から一般駅として営業、なんと列車交換可能な駅であったようです。

いったいここでどのような産業が営まれていたのでしょうか…

今はその面影は全く感じられません。



駅跡への導入路を進みます。

昨年は画面中央に立ちふさがる草薮に阻まれて?その先には進めませんでした。

「やる気スイッチ」が見付からなかったとか、気力がなかっただけとも言えますが…

東北地方風土病として恐れられる「ツツガムシ病」

昔読んだマンガ「釣りキチ 三平」に登場しビビリまくった記憶があります。

長袖、長ズボン、首にタオル は、藪漕ぎの基本中の基本です。(*一応、虫除けスプレーも気休めにやっていますが…)

北海道でも「ダニ媒介脳炎」による死亡例が報告されていて、用心深いオジサンは草薮には極力近寄らないようにしています。



草薮を越えると広いスペースが広がります。



さらに進んでみます。

ペイントされたような方形のコンクリートがあります。

駅舎入り口の敷石かな?などと想像します。



何となく路盤が延びているように見えます。

こちらが深川方面になります。



そしてこちらが、名寄方面となります。



そして同じ場所から振り返って駅導入路方面を見ます。

これまでの写真でお分かりのように、草薮を抜けて駅前のスペースに立ち竦んで殆ど動いていないのがお分かりだと思います。

よくよく「草薮ビビリー」なんですね。



草薮を抜けて見たものは、“路盤らしきもの”“敷石らしきもの”以外には何も発見することは出来ませんでした。

廃線・廃駅初心者のオジサンとしてはこの程度で仕方ないでしょう。

無事にオデ君が待つ農業倉庫前まで戻りました。


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上幌加内駅跡 深名線 9月1日 2016年

2017-03-27 | Weblog
幌加内駅から営業キロ数で3.1Km の距離に上幌加内駅がありました。

僅か3.1Kmの距離ですが、幌加内の集落とはすっかり景色が変わり、辺りには殆ど集落は見えません。

国土交通省のカラー空中写真を見ますと、きっちりと矩形に造成された畑をなぜか斜めに突っ切っている深名線と国道が写っています。

2015年上幌加内駅跡の記事はこちらから。



上幌加内駅の遺構はこのような環境にポツンと残されています。

仮乗降場としてスタートした小さな駅でした。

はるかに規模の大きかった幌加内駅跡のモニュメントよりも、なぜか想いを惹かれるのは、それが「作り物」ではなく、「本物」だからなのかも知れません。



昨年は工事車両が作業中でしたが、本年は始めて訪れた時と同じようにひっそりとしています。



駅跡遺構も以前と少しも変わりがありません。

ホームは短いウッド・デッキ風のもので、それは長い間の風雪によって殆どが朽ちてしまっています。

駅名標のフレームとそれに「停車場接近標識」が取り付けられています。

この標識は駅構内にあるものではなく、停車場構内の外に設置され、もうじき停車場だと運転手に注意喚起を行うためのものです。

駅施設を撤去する際にこちらに持ち込んで設置したものなのでしょう。



オデ君が路駐している場所は毎年同じ場所のような気がします。

線路は国道に平行に真っ直ぐ延び名寄方面に向かいます。



裏側?からも観賞します。

ここから見る遺構は鉄道に興味の無い方にはただの廃材にしか見えないでしょう。



廃駅後とはとても思えない小さなモニュメント。

駅名標フレームと停車場接近標識、鉄のフレームとわずかに残った木材、たったこれだけですがなぜだか存在感はとても大きいです。



画面中央に向かって深名線の路盤が延びているように見えます。


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幌加内駅跡 深名線 9月1日 2016年

2017-03-24 | Weblog
幌加内は幌加内駅を中心として広がる大きな集落を形成しています。

幌加内駅舎は深名線廃止後も地域の集会所として利用されていましたが、2000年火災によって焼失してしまいました。

2015年幌加内駅跡の記事はこちらから。



相対式ホーム、貨物側線、ストックヤードを備える規模の大きな駅でしたが今はそれらはすっかり撤去され、今はこの小さなモニュメントがひっそりと残されるのみです。



幌加内駅跡の観賞…2014年から回を重ねる度に「適当」になっていくことが自身でも分かります。

「すぐ飽きちゃう」性格が出ています。

画面右端には「幌加内駅跡」と彫られた「庭石」が写っています。

うっかり正面から撮影してくるのを忘れました。

以前でしたら“真っ先”に撮影していたのですが…



道路を隔ててモニュメントの先には広大な空き地が広がっています。

ここにはかつて駅の鉄道施設、ストックヤードなどが設置されていたのでしょう。




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新成生駅跡 深名線 9月1日 2016年

2017-03-23 | Weblog
鷹泊駅、沼牛駅と見応えのある遺構を堪能しました。

次にやってきたのは「新成生駅(しんなりうえき)」です。

北海道新聞社刊「北海道 地名分類字典」によりますとその地名の由来は…

“1912年に山形県成生村からの農民集団移住地”と説明されています。

前駅に比べ初心者泣かせ、ハードルの高い遺構です。

スタートが仮乗降場としての駅ですからその規模は小さく残された遺構も殆どありません。

頼りになるのはWikiに掲載されている「カラー空中写真」くらいです。

2016年新成生駅跡の記事はこちらから



JR北海道バス「新成生停留所」前にオデ君を路駐し辺りを見渡します。

初めての場所ではないので「見慣れた風景」でもあります。

オデ君の鼻先に見えるアスファルトの補修跡…その辺りが路盤跡なのかも知れません。

廃止後20年以上が過ぎ、道路整備で線形も変わっているようですから、そのアスファルト補修跡もあまり当てにはなりません。



少し歩いてオデ君の方向を振り返ります。

この道道の先は国道275号線となります。



道道と交わる“東四線”という町道に立ちます。

残念ながら、この場所に立っても当時の路盤をイメージ出来ないのが、悲しきレールファン初心者のオジサンです。



そして道道を横切って延びる町道“東四線”名寄方面を見ます。

カラー空中写真に見る深名線の路盤は、この道道を斜めに横切って左手へ延びていきます。

地理院地図に掲載されている地形図と現在の道路線形は若干変化しているのがわかります。




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沼牛駅 深名線 9月1日 2016年

2017-03-21 | Weblog
沼牛駅は駅舎、ホーム、路盤などが絶好のコンディションで保存されています。

これほどのコンディションを維持する為には大変な労力と情熱とが必要です。

この駅に込められた想いを語る資格は私にはありません。

沼牛駅の保存に付いてはこちらをご覧ください。

深名線廃止後、民間に譲渡された駅を個人で守ってきた個人オーナーの方の記事が掲載されています。
以下はその本文中から…「沼牛駅がある下幌加内地区で農業を営む坂本勝之さん(74)。坂本さんは、約20haのそばの作付けを行う以外にも、そばの自家製粉、さらにそば打ち最高段位(全麺協・五段位)を有する「そばのプロフェッショナル」です。そんな坂本さんが、実は「沼牛駅」を約20年間にわたりお一人で守り続けてきたのです。 『昔から慣れ親しんできた沼牛駅舎が、廃止とともに姿を消すのは名残惜しい、なにかの形で活用できるまで自分が出来る範囲で保存していこう。そう思い立って、今日まで保存維持をしてきました。』」




赤矢印は、国道275号線から見た沼牛駅です。

駅を取り囲むようにあるのはそば畑のようです。

駅への道路は畑を避けているように、その入り口が分かりづらく、大回りしています。



2014年、2015年と訪れた時には人の気配はありませんでしたが、本日は「軽トラ」の先客があるようです。

2015年沼牛駅の記事はこちらから。



屋根にはブルーシートが掛けられ補修作業中のようであります。

駅舎の入り口庇には駅名標が掲げられています。

特徴的な「牛」の字もそのままです。



入り口の建具には「沼牛駅 保存修繕」のチラシが貼られています。

その下には「振込み用紙」が用意されていました。

1枚、ファイルに挟んで持ち帰ります。

*後日東京の郵便局から送金しました。大した額ではありませんが毎年こうして駅姿を観賞させて頂いているお礼のつもりです。



外壁の補修で出た廃材でしょうか…それともこれから再利用される材なのでしょうか。

無造作に置かれています。



ホームと一直線に延びる路盤。

除草作業が行われていてレールの代わりにクルマの轍があります。



以前は崩れかかっていたようなホームの縁石もキリッとしています。

バラストもしっかり残っています。



建具に貼り付けられていたベニヤ板が撤去され、「駅感」が一層際立ちます。

凛々しい姿で存在感が湧き立ちます。



個人所有者の方が20年間に亘り守り続けてきた駅舎がこうして多くの方々の支援を受けて復活します。

歴史ある文化財に対する理解は増してきています。

そのために20年間という時間が必要だったのでしょう。

沼牛駅は北海道開拓史の重要な文化財としてこれからも大切に保存されてゆくでしょう。



先客は補修作業の下見をする職人さんだったようです。

最初、挨拶した時に先方さんは私を打合せに来た「同業者」と思ったそうです。

ま、よくよく観察すればこんな「チャラチャラ」した職人さんは居ないと思いますが…





職人さんはなにやら熱心に「メモ」を取っています。

必要な工事や材料を記録しているのでしょうか。



2017年夏に訪れる時にはさらにキリッとした駅姿を観賞することが出来ることでしょう。



一駅違いの「鷹泊駅」の荒廃ぶりと「沼牛駅」の愛されぶり…いったい何が違うのでしょう?

鷹泊駅も所有者は居るはずです。

「沼牛駅」の愛され方は、オーナーさんの駅への愛情とお人柄がそのまま表れているのかなぁ~と感じました。

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鷹泊駅 深名線 9月1日 2016年

2017-03-17 | Weblog
鷹泊駅は深名線遺構中でも営業時の雰囲気を色濃く残す初心者には大変嬉しい駅跡であります。

2015年鷹泊駅の記事はこちらから。



国道入り口には、「道道693 鷹泊鷹泊停車場線」という標識があります。

この道道693号線は起点を鷹泊ダムとし終点を鷹泊駅とする5.6kmの道です。



駅舎前から国道方面を見ています。

緩く左にカーブしている道は白い建物が見える辺りで国道に接続します。

先程の道道標識はその建物の先にあります。



厳しい北海道の風雪に耐え満身創痍の佇まいの駅本屋です。

メンテナンスの手も入らず、このままいつまで持ち堪えられるのか…



駅本屋から離れた場所に残骸が見えます。



以前はもう少し形が残っていましたが、今はすっかり倒壊してしまった「トイレ棟」です。



妻面壁も状態が悪くなってゆきます。



窓の建具を守る為に貼られた合板も剥がれてきています。

壁の横板もダメージを受けて下地が露出しています。



ホーム縁石は残っていて、そこがホームであったことが分かります。



路盤に下りてみます。

除草作業は行われているようで、立ち入るのに躊躇するほどの草薮状態ではありません。

しかし…用心深いオジサンはしっかり長靴を着用しています。



路盤から駅本屋を見上げます。

相変わらず付け庇は危うい状態です。



積雪の重みでいつかは倒壊してしまうのではないでしょう。

このスペースは深名線営業時、腕木信号機を操作するレバーフレームが設置されていた場所でしょう。



こちらの妻面の壁も相変わらずの状態です。

剥がれてしまった壁材のその中には断熱材が見えています。



駅本屋を一回り観賞してきました。

トイレ棟の崩壊はビックリしましたが、その惨状に比べると駅本屋は良く持ち堪えている…という印象です。

この先、何回駅本屋を観賞できるでしょうか…


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下幌成駅跡 深名線 9月1日 2016年

2017-03-16 | Weblog
下幌成駅跡は目標となるランドマークが乏しく私のような初心者にはハードルの高い遺構であります。

画面中央から右手に延びる農道がかつての深名線路盤であったようです。

北海道新聞社刊 「北海道の鉄道廃線跡」では下幌成駅に付いての記述はありません。

ネットに掲載されている記事を見ましても、今日農道として使われているそこが路盤であったようです。

また、Wikiに掲載されている国土交通省のカラー空中写真の国道275号線から路盤までの距離といま目の前の農道までの距離は、感覚的に一致します。



赤矢印で示したのが路盤跡と思しき農道です。



道道のアスファルト修復跡を見ましても、ここに踏切があったことを想像させます。

ただ…路盤と道道が交差する部分の傾斜がきつすぎるような気がします。

道道が拡幅される時に盛土がされたという記述もありますが、それなら今も残る道道の補修跡は無いはずなのですが…

オジサンの初心者的知識では説明できません。



道道を横切り左手へ延びるはずの路盤は消失しているように見えます。



踏切跡に立ち、国道方面を見ます。

青看には右方向が「美深 幌加内」 左手に「碧水 沼田」と記されています。


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幌成駅 深名線 9月1日 2016年

2017-03-15 | Weblog
幌成駅跡は国道275号線、名寄方面に向かって左側、緩いカーブのところにあります。

かまぼこ型の建物が2棟ありスクラップ回収センターと機械修理工場の看板がそれぞれ掲げられています。

ここ幌成駅跡に訪れるのは3度目となります。

スクラップ回収センターはともかく、機械修理工場入り口は大きく開け広げられていて、いかにも作業中の雰囲気です。

しかし…駅跡を見せていただくのに一応声掛けしようとするのですが、誰も出てくることはありません…3回とも同じです。



手前の建物がスクラップ回収センター、奥が機械修理工場です。

オデ君を路駐して歩いて駅跡へ向かいます。

画面左端に見えるのが緩いカーブを描く国道です。



機械修理工場の横を歩いて幌成駅で使用されていた「ダルマ駅舎」に近付きます。

駅舎前に置かれた建機がいかにも機械修理工場の雰囲気を盛り上げます。



修理工場の入り口はこのように全開オープン…です。

いかにも作業中な雰囲気なのですが、どなたも出てくることはありません。



幌成駅ダルマ駅舎はこの機械修理工場の事務所か休憩所として使われているようです。

壁面のペイントはパリパリに無数の亀裂が入り、錆びに覆われています。

民間に払い下げられメンテナンスが成されていないからこのような惨状なのかと思いがちですが…

このような状態のダルマ駅舎は宗谷本線など営業路線の駅にも見ることが出来ます。



裏側に回ってみます。

鉄板で作られた大型の焼却炉があります。

焼却灰などを見ると現役で使われているようです。



ダルマ駅舎のその向こう側には広いスペースが残されています。

路盤はこの辺りにあったのでしょうか。

背の高い木があるその向こう側には一段低くなって道路があります。

テキストとしてお世話になっている「北海道の鉄道廃線跡」をみますと、「幌成駅跡には何も残されていないが、近くの工場内に駅舎に利用していたリサイクル列車があった」と記されています。

Wikiのカラー空中写真を見ると、駅の位置は深川方面少し戻った辺りのようです。



路盤があったのは写真中、褐色の草色の辺りではないでしょうか。(*焼却炉があるところ)

右手のグリーン・ベルトとなっている部分は営業時もそのまま草地のスペースだったように見えます。




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宇摩駅 深名線 9月1日 2016年

2017-03-14 | Weblog
宇摩駅は宇摩仮乗降場としてスタートした小さな駅です。

国道275号線を名寄方面に走ると、右手に宇摩小学校跡に建てられた公民館。

そして国道脇にはJR北海道バスの「宇摩公民館前」停留所があります。

国道の左手の民家の細い道路が宇摩駅への入り口となっています。

初心者のオジサンでも迷うことの無いロケーションです。



公民館が建つその場所はかつての「宇摩小学校」跡地です。

標柱が残る敷地入り口には、宇摩小学校の沿革が記された立派な石板が建立されています。

学校の成立ちは明治1年「宇摩簡易教育所」から幾度かの改称を経て昭和22年に「宇摩小学校」となったとあります。

この石板には校舎所在地変遷略図中に「宇摩降車場」も描かれています。



敷地内の公民館、停留所、石板のロケーション。



オデ君を公民館のスペースに駐車して、国道を横断して宇摩駅跡へ行きます。

この細い道が宇摩駅への入り口です。



正面に見えるこんもりとした草地の手前に路盤があります。

画面右手に資材が積み上げられている辺りに、待合所が設置されていたようです。



路盤跡に立ち深川方面を見ます。

ホームは路盤の左側にあったようで、仮乗降場駅に良く見られるウッド・テラス風の簡素なホームだったようです。



こちらが名寄方面となります。

まだ路盤跡がはっきり判別できるほど残されています。



同じ場所から振り返って、国道方向を見ます。

画面右端にグリーン色の壁の宇摩公民館が見えています。


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多度志駅跡 深名線 9月1日 2016年

2017-03-10 | Weblog
多度志駅跡は集落の中心にあります。

ここには昨年も訪れていて迷うことなく到着です。

駅入り口には写真のように「道道429号線」「多度志停車場線 多度志町弥栄町内」というプレートがあります。

初心者にはこのプレートはありがたいです。

2015年の多度志駅記事はこちらから。



駅入り口の道路、この先は道道98号線に接続し左折すると上多度志駅方面となります。



この先は国道275号線に接続します。



オデ君が停まっている辺りが、駅前のスペースだったようです。

その先に見えるブッシュに駅舎があったのではないでしょうか。



駅舎があったのはたぶんこの辺だと思います。



いかにも路盤跡に見えるスペースです。

こちらは名寄方面となります。



そしてこちらが深川方面となります。



路盤横には雑草に埋もれていますが、何となく「ホーム跡」と言えなくもない“盛土?”



「そうかなぁ~」などとはおもうのですが、このブッシュに分け入って探索する勇気は無いのです。

遠くで眺めているだけ。



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分校のそば屋さん もみの木庵 3月4日 2017年

2017-03-08 | Weblog
大多喜町のそば屋さん

町興しの一環として地域のボランティアさんたちによって運営されているようです。

営業が…1週間のうち土曜日、日曜日の二日のみ というのもいかにもな感じです。

住所は「千葉県夷隅郡大多喜町会所154」となっています。(Tel 0470-85-0255)

ここを知るきっかけは、都内で家族が営業している店(そば店)に来店したお客さんから名刺をいただいたことでした。

「ここでボランティアでそば打ちを教えている」ということでした。

せっかく頂いた名刺を頼りに、ドライブがてらに出掛けてきた訳です。

千葉のガレージから大多喜町までは約1時間半くらいの道程です。

しかし…大多喜町に到着してから迷いに迷って予定時間の倍くらいの時間を要してしまいました。

そもそも…住所の勘違い。

「大多喜 町会所」と思い込んでいました。

「大多喜に着いたら「町会所」を探せば簡単じゃん!」なんて…

しかし、正しい住所は「大多喜町 会所154」なんですね。

なんと「会所」という住所地名だったのです。

なぜそのような思い込みをしたかというと…現地衛星写真を見るといかにも廃校を町の集会所として利用している風に見えたものですから…。



今も学校の風情のままの“校内”です。

老川小学校旧会所分校というのがこの学校の名称のようです。

北海道でもそうであるように人口減少、少子高齢化などによって、廃校となった会所分校。

ボランティアの方々によって「もみの木庵」「そば打ち体験教室」が運営されています。

そば打ち体験には事前予約が必要で今回は見送りましたが、いつか参加してみたいものです。



「そば打ち体験教室」は体育館っぽい場所で3名1テーブルくらいでボランティアの方が指導しています。

ここで、うちの店のお客さんも「そば打ち体験」の指導をされていました。

私達に気付くと部屋に招き入れてくれて見学させてくださいました。



注文したそばは「教室」で食します。

まだ子供達が通っているような教室には、当時の掲示物が残されています。



こちらが、もみの木庵の「手打ち田舎そば」です。

家族がそば屋を経営している環境にありながら、オジサンの少年期、「世界中の食べ物の中で一番嫌い」なのは「蕎麦」でした。

それが今では毎朝、毎日食べても美味しい大好きな食べ物となりました。

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うちのカレラ君 カタログ Porsche Classic Originale

2017-03-06 | Weblog
何かの雑誌でチラ見して「ほぅ~日本語版があるんだ…」と、早速カレラ君がお世話になっている千葉のディーラーさんに電話をしました。

生憎、担当の営業さんには直接お話できなかったのですが、店頭在庫は置いていないのでまずは入金してそれから発注するとのこと。

翌日、近くの銀行で送金しようとしたのですが、たかだか¥1782 の送金手数料が¥500ほどもするので、価値観が釣り合わず中止しました。(同行なら手数料は無料なのですが…)

たまたま、翌日土曜日に大多喜町に蕎麦を食べに出掛け、「おっ!帰り道に寄ってみるか…」と、ディーラーさんに立ち寄りました。

なんと、ラッキーなことに「これまで店頭在庫を置いてなかったのですが問い合わせが多く、昨日入荷しました!」とのこと。

早速、購入してきました。

封筒はエンジンの製図をモチーフとしたデザインでいかにもメカ好きの琴線をくすぐります。

シールスタンプを模したグリーンのラベルでシールされています。



封筒を開けるにはシールを点線に沿って破り本体を取り出します。

表紙には、Porsche の象徴でもある空冷フラット(*多分シックスだと思いますが…)の製図が印刷されています。

本項にはタイプ587/1の2リッターエンジン と説明されています。



表紙は2mm厚のボール紙が使われています。

お陰でかなりガッシリとした作りとなっています。

カタログにはPEFC森林認証プログラム(Programme for the Endorsement of Forest Certification Schemes)によって認証されたPEFC認証紙が100%使用されているそうです。



最初のメニューページ。

本項はこのような構成となっています。

“2016 01”というナンバリングが施されている…ということは“02”が発行されるということでしょうね。

パーツカタログとしては勿論、“読み物”としてもなかなか楽しめる内容です。

因みに…このカタログの対象モデル、996(うちのカレラ君)までです。

996は半端に古いモデルですし、ポルシェ・ファンには嫌われているモデルでもありますから、相手にされていないかなぁ~などと思っていました。

巻末には各モデルの生産台数が記されています。

996の総生産台数は…175,262台となっています。

その前モデル 993は…68,881台 桁違いとは正にこのことですね。

この数字を見ても、996と986が今日のポルシェ繁栄の礎であったことが分かります。

カタログの該当モデルをお持ちのオーナーさんも、ポルシェ・ファンの方も楽しめる内容でお薦めです。


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