Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

池田駅 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 根室本線 9月6日 2014年

2015-04-28 | Weblog
白糠駅から国道38号線を根室本線池田駅を目指して走ります。

約70Km…1時間少々のドライブです。

「池田ワイン城」で旅行ガイドブックにも紹介されている池田町。

そう言えば…ワイン城にはまだ行ったことがありませんでした。
夕張メロン城には行ったことがありますが、夕張酒造に売却されワイン製造などを見学したことがあります。
昨年だったか再び訪れた時には、すっかりクローズ状態でありました。

本日、観賞のハイライト…北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 であります。

レールファンの方々なら「何を今更…」という話題で恐縮でありますが、レールファン初心者の私には最近ようやく理解できたのが、「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」という長~い名称です。
*もとはR107の“クルマ”のブログでありますから、読んでくださっている読者の方々も「何のことやら…」分からないお客様が多いのではないかと思いますので敢えて軽く説明をさせて頂きます。

そもそも、この路線の始まりは1910年より、池田駅から網走駅へと延びる「網走本線?」がその源流であります。

後に石北本線がメイン・ルートとなると、池田⇔北見間の路線はその頭の「池」と「北」を取って「池北線(ちほくせん)」となりました。

国鉄池北線は、先の標津線や名寄本線、天北線などと同様に長大廃止路線の対象となりました。

しかし、池北線は廃止による代替措置として「第三セクター」による運営が決まりました。

その運営会社の商号が「北海道ちほく高原鉄道株式会社」となり、路線名は公募により「ふるさと銀河線」と決定されました。

本日、物凄い期待を持って鑑賞して歩くこの路線名「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」が誕生したわけです。

すでに、ふるさと銀河線は2006年に廃止され、網走線から数えて95年でその歴史を終えました。

本日はそのような歴史の紆余曲折を踏まえての観賞、スタートです。




駅舎前には、このようなオブジェが展示されています。

もちろん、街の象徴のワインを表したものです。

巨大なワインボトルとワイン・オープナーのものであります。

メタリックな外観のそれは、そうとう手を掛けて精密に製作されたもので、美しく輝いております。



広々とした駅前ロータリー 美しく整備され整然とした雰囲気が漂っています。

東京の駅では当たり前の風景となってしまった「放置自転車」なども全く見当たりません。

利用客が少ないともいえるのでしょうが…



ワイン・オープナーのオブジェに近寄ってみます。

ボトルに刺さったワイン・オープナーは良く分かりますが、その周りの「白いサークル」はどのような意味があるのでしょうか?



「池田ワイン城」への徒歩の案内板です。

その向こう、赤矢印が「池田ワイン城」です。

歩いても訳のない距離です。



駅舎前の噴水が、丁度稼動しています。

駅員さんに尋ねたところ、時間によって稼動させているそうです。

噴水の中心を良く見てください。

ワイングラスの形をしているのがお分かりになるでしょう。

*形的にはワイングラス…というよりシャンパン・グラスみたいにも見えますが、ここはワインの街池田町ですからね、ワイン・グラスで宜しいのではないでしょうか。

夜にライトアップしたところはきっと美しいでしょうね。



駅待合所には客の姿は見えません。

たった今、「スーパーおおぞら」が停車していましたが、降車したお客さんは居なかったようです。



池田駅は「社員配置駅」です。

入場券を購入してホームに出てみます。

「入替作業の列車がありますので注意してください」と駅員の方に声を掛けられました。

こちらは根室方面ですね。



こちらが帯広方面となります。



例によって「跨線橋」を渡ってみます。

かなり幅広な通路の跨線橋です。

以前の写真を見ますと、この通路の突き当り正面には「ちほく銀河線」の案内プレートが貼られていました。



跨線橋から、もう一度根室方面を見ます。

やっぱ、北海道の空は大きいですね!



そして、こちらが帯広方面となります。

丘の上の「池田ワイン城」が見えていますよ。



跨線橋を渡って2番線、3番線ホームに来てみました。

ふるさと銀河線の痕跡でもないかと見回します。



3番線ホームから根室方面を見ます。

路盤はかなり広くて、線路を撤去して出来たスペースのようにも見えますが…



ここは何となく見覚えがあるような気がしました。

右手に見える倉庫のような建物…

そしてホーム右手、パイプで組まれたバリケード部分…

ここの切り欠き部分に「ふるさと銀河線」の車止めが設置され車両が停車していた画を見たことがあります。



入替え作業の終わった帯広行き車両が1番線ホームに戻ってきました。

大好きな「キハ40系」首都圏カラーのと北海道JRカラーのとです。



先ほどの跨線橋を再び渡ります。




出発待ちの列車を跨線橋から眺めます。



乗車するお客さんが見当たらないのが気になります。



サボは「帯広」が掲げられています。

クルマで走りますと「帯広」と「池田」は僅かな距離です。




駅前ロータリーと駐車スペースの中間くらいにある公衆トイレ…です。

綺麗なステンドグラス風の窓にびっくり…

思わず写真撮っちゃいました。

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白糠駅 根室本線 9月6日 2014年

2015-04-28 | Weblog
釧路を出発して38号線を30~40分ほど走ると、根室本線「白糠駅」に到着です。

2013年には「上茶路駅跡」を観賞に訪れています。

*上茶路駅跡の記事はこちらから。

その時にはまだ「廃線巡り」にはさほど興味がありませんでしたので、白糠線起点駅の「白糠駅」はスルーでした。

せっかく駅前を通るので、白糠駅に立ち寄り観賞していくことにしました。




駅周辺はまだ霧が残っていて、朝の陽射しを拡散し辺りの景色を柔らかいパステル・トーンにしています。



駅前のロータリーにはタクシーが客待ちの停車をしています。

注目はその車種です。

北海道の構内タクシーにもハイブリッドの「プリウス」が使われる時代になったのだなぁ~と感動します。

運転手さんの会話が聞こえてきました…「以前は満タンで○○までしか走らなかったけれど、今度は無給油で戻ってこられる…」みたいな話題でしたよ。

会社の営業車でも燃費は重要なファクターなのですね。




待合所は綺麗に清掃されています。

学生さんらしき客が一人ベンチに座っていました。




白糠駅は「業務委託駅」となっています。

北海道では子会社の「北海道JRサービスネット」など数社に駅業務などを委託しているそうです。

社員はJR社員と同じ制服を着用しているので、利用客からはその違いは分かりません。

ということで、窓口で“マルスシステム(MARS : Multi Access seat Reservation System)”の入場券を購入します。

8:31 発行となっています。



ホームの壁にはこのように駅名が表示されています。

う~ん…デザイン的な意図が良く分かりませんでした。



ホームから「西庶路駅」方面を見ます。

2~300mほど先は霧で霞んでいます。



こちらは「古瀬駅」方面となります。

見通しはこちらの方が良さそうです。



跨線橋を渡ってみます。

跨線橋を見たら取り敢えず“渡ってみる”のがお約束です。

内部は改装された様子で、窓の建具などは“アルミサッシ”に置き換えられています。

天井はやはり船底の形状をしています。



その痕跡は殆ど見られませんが、おそらく草むらのように見えている辺りが、白糠線の路盤であったのではないでしょうか?



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雄別炭礦鉄道 8722号機 釧路製作所 9月6日 2014年

2015-04-22 | Weblog
いつものように早朝に目が覚めます。

ホテルの窓から釧路駅前を見ます。

真っ白な霧が辺りを覆っていてロータリー前の建物が霞んでみえます。

本日、最初の目的物件は、釧路製作所に展示されている「雄別炭礦鉄道 8722号機」です。

なぜか釧路の物件の観賞は効率が悪いんです…毎年訪れているのにですね…

8700形は明治末期の蒸気でイギリスの“ノース・ブリティッシュ・ロコモティブ社”で製作され輸入されたものです。

これは従来の蒸機の輸送力を増強する為に、欧米の蒸機を輸入しその技術を導入する為の措置だったようです。

その技術はのちの国産旅客用蒸気の一つの金字塔「8620形」となって開花します。

8700形は“2C”の軸配置の蒸機です。

先輪が2軸、動輪が3軸 の軸配置となります。

この蒸機は当時“過熱式”ボイラー形式が主流となる中で、“飽和式”のボイラーを持つ蒸機であります。

これは、“過熱式”ボイラーの特許をドイツがもつ関係からイギリス製の8700形は“飽和式”を採用していました。

本来ならば、最新鋭の蒸機を輸入して輸送力の増強、技術力の向上を目的とするためには、当然“過熱式”ボイラーを装備した蒸機を選定するのが当然ですが、このあたりは日英同盟の外交関係にあった英国との政治的な絡みがあったようです。

こうした経緯で輸入された8700形は東海道・山陽などの本線で活躍しました。

大正から昭和にかけて本州で活躍した8700形は次々と廃車となり、8721号機、8722号機が北海道雄別炭礦鉄道に譲渡され、1970年には8721号機が廃車処分となり、8700形蒸機はこの「8722号機」のみとなってしまいました。

そして、現在はこうして「釧路製作所」に静態保存されています。



8722号機は「釧路製作所 本社工場管理棟前」に保存・展示されています。

企業の敷地内に展示・保存されている…というアドバンテージは勿論あるでしょうが、愛情深く保存されていることが伝わってくるような展示です。

2014年9月14日は土曜日でありました。

工場は休業のようで人影はありません。

事前に電話であらましは伺っていたので管理棟の2階に向かいますが、やはり社員の方の姿はありません。(…っていうか、そもそも訪問時間が早すぎたのでしょうか?  データを見ますと撮影を開始した最初のショットが7時30分頃になっています)

仕方が無いので管理棟を出て、8722号機のところに戻ると社員の方がチャリでやってきました。

「8722号機を見学させて頂きたいのですが、受付の方がいらっしゃらなかったものですから…」と、来意を伝えると、その方は「どうぞ、ご覧になってください」と明るく答えてくださいました。

とても感じのよい対応で嬉しかったです。

そのあと、数人社員と思しき方々が出社してきましたが、こちらを見て「おはようございま~す」と挨拶をしてくださいます。

会社の社員教育が行き届いているのを感じます。

とても気持ちの良い会社です。

株式会社 釧路製作所 は、「橋梁、製缶、クレーン他鉱造物の設計・製作・施行」を行う会社であるとホームページ上に記述されています。

いつものように「公式側」から観賞を始めます。



8722号機の前には雄別鉄道雄別本線の「新釧路」の駅名標が展示されています。

すごく綺麗にペイントされた駅名標で「新品」のような出来栄えです。

フレームにはなぜか「鳥」が二羽止まっています。

何か意味があるのでしょうが、鳥の品種は全く分かりません。



駅名標の隣には近代化産業遺産「8722号車のあらまし」と命題された説明パネルが展示されています。

8722号機の説明は釧路製作所のホームページにも掲載されていますので、こちらから。



8722号機の前には古レールも展示されています。

刻印は…Cammell社のものではないかと想像するのですが…

しかし、最初の文字がどうも“C”ではなくて“D”に見えてしまうのです。





正面のショットはいかにもクラッシックな「明治のSL」の雰囲気です。

煙室扉はフラットでいかにも“ウエスタン”な印象です。



8722号機前の「来客車」用の駐車スペースに駐車中のオデ君が写っています。

ラインを跨いで舐めた駐車をしていますが、こんなにはみ出しているとは…ちょっと酷いですね。

駅名標の横には「キタキツネ」のオブジェも展示されています。



ランボード上の補機類も昭和の近代蒸機に比べるととてもシンプルです。

オイルポンプは一部配管が取り外されているようにも見えます。



丸く可愛らしい蒸機ドームとその横には安全弁と汽笛とがフライパンみたいなベース上にセット状態になっています。



キャブ窓もいかにも明治の蒸機を思わせるクラッシックなデザインです。

磨き上げられたナンバープレートは「形式8700」の表記も加わるタイプです。



キャブの中も観賞できるようになっています。

ゲージ類も完備しています。

目立つのは、右上にある真新しいゲージです。

ゲージの単位は、Kg/cm となっています。

後から追加されたゲージなのか、新品に交換されたものなのかは分かりませんでした。



テンダー部です。

小樽総合博物館に展示されている「しずか号」のテンダーに似ている気がしました。

後で…「そっか…」と納得しました。

オリジナルの8700形のテンダーは4軸でしたが、これだと東北本線で運用する際に「転車台」に載らないため、後に3軸のテンダーを国産化して製造したためです。

オリジナルの雰囲気を損なわない上手なデザインですが、そのような経緯を知ると、ボイラーとテンダーとのデザインの繋がりに違和感を感じるのですから勝手なものです。

ボイラー部はリベットを多用した製造を物語っている姿をしていますが、後に製造されたテンダー部は「溶接技術」を使った製造のためでしょう、リベット頭などはほとんど見られない“ツルッ”とした外観となっています。




国産3軸テンダーに誇らしく掲げられたナンバープレート。

固定ビスの頭がプラスなのはご愛嬌なのでしょう。



3軸テンダーの足回りが良く見えているショットです。

イコライザーなどは昭和の近代蒸機と代わらない構成になっているように見えます。



明治とか大正の古い蒸機の方がキャブの居住性が良さそうに見えます。

近代の蒸機になるにつれて、ボイラーは巨大になりそれにつれて人間のいるべきスペースは圧迫されていくように感じます。

その時代の設計思想なのでしょうが、生産効率や性能効率が優先で人間の快適性などは殆ど無視のような姿勢を感じます。

2C形式の軸配置が良く分かるショットです。

明治~大正の動輪はスポーク動輪が多いですが、これが本当に格好良いです。

先輪までもスポークですからね。

スポーティー?で軽快な感じです。

昭和の近代機の多くの生産効率重視のディッシュタイプのものよりずっと素敵です。

スポーク動輪のものは生産性も悪いでしょうし、バランス調整なども難しそうですね。



キャブ屋根の庇は…バランス的にオリジナルの庇を延長したのではないでしょうか?

そして、ランボードがキャブ中央辺りからカーブを描くデザインは、8620形や9600形などの大正の蒸機に受け継がれています。



10 1/2 距離標が展示されています。

静態保存機を見て歩いていると、このような脇役的小道具として距離標を一緒に展示しているケースが意外と多く感じられます。




一回りして正面に戻ってきました。

何となく「サッパリ」した感じに見えるのは…ヘッドライトが無いからかも知れません。

JTBパブリッシング社刊「栄光の日本の蒸気機関車」という書籍には8700形の記述があり、イラスト的図面も掲載されています。

そちらには「ヘッドランプ」がしっかりと描かれています。

オリジナルにはきっと「ヘッドランプ」は装備されていたのでしょね。

同じページの写真の8700形 8723号機にはヘッドライトは装備されていませんでした。




8721号機、8722号機が雄別炭礦鉄道に引き継がれたわけですが、8721号機はその後解体廃棄処分となり、残ったのはこの8722号機ただ一両となりました。

9月は秋刀魚の旬の季節です。

美味しい新鮮な秋刀魚の刺身と唯一残された8700形 8722号機の観賞は大変満足度の高いものでした。

ご馳走様でした…ん?



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オデ君 フロント・ガラス交換 4月19日 2015年

2015-04-20 | Weblog
千葉のガレージに「桜」を見に行った帰り道…東関道を成田方面へ走っていますと大栄PAの手前辺りで、フロントガラスに「ピシッ」「ピシッ」「バシッ」…と3回飛び石の音が響きました。

「く~っ…ガラスやっちまったかな~」と思いながら、大栄PAに入りフロント・ガラスを点検します。

ルーフに近い辺りに2箇所…表面が凹むようなキズを発見。
しかし、これくらいなら前方視界には全く影響はなく、車検時にも問題は無さそうです。

「やれやれ…」と再び本線を走り始めます。

視界に「キラッ」と光るものが入りました。

「えぇ!」チラッと見ると15cmほどの長さの断面が光って見えました。

「そ、そんなぁ~」

PAでは気が付きませんでしたが、左ピラーの端からしっかり割れています。

これは完璧にダメ!です。

「はぁぁ~」1万円札が10枚くらい飛んでいくのが脳裏に映りました。

最後の「バシッ」が致命傷となったようです。

いつもお世話になっている近所のホンダの販売店に連絡をして担当のセールス氏に事情を説明します。

フロント・ガラスを交換するに当たり、3つの選択肢を提案してもらいました。

①フロント・ガラスをホンダ純正パーツを使って修理する。
 パーツ代だけで軽く10万円を超えます。工賃は約5万円ほどです。

②フロント・ガラスは純正品ではなくサード・パーティーの新品を使用する。
 総額で10万円ほど。

③フロント・ガラスはネットで中古品を探して修理する。
 費用は工賃5万円+見つけたガラス代(多分1~2万円)
 ただし、中古品の場合シーリング不良など後で水漏れの可能性も否定できない。
 勿論、その保障も出来ない。

以上の3点であります。
*③は私が提案したもので販売店の提案ではありません。

結局、②の方法を採択しましたが、見積もり金額から1割近く値切らせて頂いちゃいました。

しかも作業中の写真撮影もお願いしてしまいました。

販売店にしてみれば、RA-8のオデッセイを12年以上も乗り続け、しかも22万Kmと「超過走行車」の客ですから、いい加減うんざりしたことでしょう。
しかも「30万Kmは行ける!」といっているのですから、困った客です。



破損したフロント・ガラスを除去?撤去?取り外すための作業の前処理、養生作業です。

プロの作業はこの養生作業が徹底していて、素人の作業と大きく異なる部分でもあります。



ちょっとフォーカスが甘くて分かり辛いですが(作業中に写真撮影をお願いしておいて文句は言うべきではありません…)赤矢印の部分が飛び石が当った所です。

あと2~3cmずれていればピラーに当ってペイントが剥がれるくらいの被害で済んだでしょうが、今更仕方がありません。

横の矢印が当初破損したときの破断面の長さです。

走っているうちにその傷が徐々に長くなり、自宅に到着した時には発見時の倍くらいの長さになったのには驚きました。



そう言えば…オデ君のボンネットって開ける機会はすっかりなくなったなぁ~

一番働き者のオデ君ですが、エンジンルームは汚れっぱなしです。

ちょっと恥ずかしい。



フロント・ガラスを取り外す際にはこのガーニッシュも撤去しなければなりません。

自分ではまず取り外すことの無い部分ですから、機会があったらクリーニングもしたいところです。



フロント・ガラスとボディーとの間のウェザー・ストリップを取り外しています。

フロント・ガラスのエッジが見えてきました。



ウェザー・ストリップがすっかり除去されたガラス周り…



ルーフとガラス部分です。



ボディーとガラス部分の接着剤等をSST(Special Service Tool)を使って除去しています。

このようなSSTもプロならでは…で、素人がいちいちこのようなSSTを用意するのはキツイです。



取り外したフロント・ガラスです。

赤矢印の部分が修理前の破損で、その先の割れは取り外している際に傷が広がったようです。



すっかりフロント周りがサッパリとしたオデ君です。



特に説明はありませんでしたが、想像すると…ガラスを設置した時の下地に当る部分のスポンジを張りなおしているとことではないでしょうか?

シーラーも綺麗に除去されています。



ここもSSTを使ってシーラーを除去しているところでしょうか?



ガラスを載せる下地の準備が整ったところでしょうか?



こちらは新品のガラスを準備しているところでしょう。



車検や定期点検のシールも貼り直されてあります。



結構複雑な形状を見せるウェザー・ストリップです。

この形状で雨などの浸入を抑えているのですね。



ボディーにガラスを乗せてほぼ作業完了の図です。



取り外したパーツ、ワイパーなどを装着して最後の仕上げに入っているようです。

SSTを使ってきちんとした手順で進められる作業はさすがプロの仕事です。

オデ君は1週間ほどホンダさんに預けてありましたが、実際の作業は1日も掛からないそうです。

作業時間を訊ねた時に「1日もあれば十分です」との回答。

「そんなに簡単に作業できるのですか?」と更に訊ねました。

「そんなに難しい作業ではありませんから…」のことでしたので、「そんなに簡単なら、工賃はもっと安くしてもらっても良いですね。」などと言ったオジサンは、きっと嫌われていると思います。

「過走行オデ、いい加減にしろよ!」なんてね。

気持ちの良い作業と、満足の行く作業代金、写真撮影などの対応、とても満足しております。

出来れば新車のオデッセイを購入して販売に協力したいところですが、30万Kmの目標のためもう少し猶予をください。

お世話様でした。


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釧路駅 9月5日 2014年

2015-04-17 | Weblog
本日は釧路に宿泊です。

しかも、釧路駅前の「ス○○○・ホテル」であります。

その昔、とある駅前で、このホテル・チェーンを初めて見た時に「えぇ! スーパー(スーパー・マーケットの意)が経営しているホテル?」と思ったことを思い出します。

あの塔屋に設置された独特のカラーリングのホテル看板を見た時の最初の印象です。

その後、経済誌などメディアにその経営手法が取り上げられ、「あぁ…あれがそうだったのかぁ~」なんて納得したものです。

それでも今日まで、なかなかチャンスが無く、宿泊した経験がありませんでした。

釧路での宿泊は、釧路駅からは少し離れた「フィッシャーマンズ・ワーフ釧路」の周りの「ANAホテル」とか「ラビスタ釧路川」が多かったです。

この辺りは、夜に食事や飲みに出かけるのにも便利なものですから…

「なるほど…こういうシステムのホテルか…」と、貴重な体験で納得いたしました。

釧路という街は漁師さんの街でありますから、「釧路湿原」などの広大なエリアを持つ地域の割には、コンパクトにまとまった印象があります。

ホテルの駐車場も“狭い”という印象です。

なかなか、オジサンの我侭の「平置き駐車場で最低200台収容」という条件をクリアーできるホテルが見つからないのが悩ましいです。

さて…食事と飲みに出かけます。

釧路の宿泊に拘るのは、「秋刀魚の刺身」を食べたい…その一心です。

ホテルのフロントで教えてもらった飲み屋さんへ出掛けます。

釧路駅前にはSLの動輪が展示されています。

特に説明のパネルなどは見当たりませんが、おそらく「9600形」あたりの動輪ではないでしょうか…

その動輪が乗っているレールには、「RSW」の刻印が読み取れます。

これは、ドイツの「ライン製鋼所(Rheinische StahlWerke)」の刻印のようです。

雨は上がったようですが、霧が出てきました。




ホテルのフロントで教えて頂いた飲み屋さんで「秋刀魚の刺身」をお願いしました。

メニューには書いてありませんでしたが…釧路の飲み屋さんで「秋刀魚の刺身」がないところは無いでしょうね。

釧路では最も重要な目的の「秋刀魚の刺身」を食しビールでご機嫌です。




本日の走行、サロマ湖から釧路まで約362Kmでありました。

一般道のみの走行ではありましたが、意外と距離は伸びませんでした。

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標茶駅 標津線 釧網本線 9月5日 2014年

2015-04-14 | Weblog
厚床駅からは、今来た道を引き返し「中標津」まで戻ります。

そこから今度は「標茶駅」へ向かい走ります。

しかし…途中の駅跡は全てすっ飛ばして標茶駅へ直行です。

念願であった「奥行臼駅跡」がしっかりと鑑賞でき目的の85%は達成できたような気分です。

あとは標津線の起点となっている標茶駅を観賞すれば取り敢えず初心者的には満足です。

標茶の駅名標にはピンクの丸に61の数字が書かれています。

これは北海道の「駅ナンバリング」というもので、数字は札幌駅を「ゼロ」として数えて何駅目かを表しています。

道外や海外の旅行者が目的の駅を容易に識別できるように考案されたものだそうですが、ほとんどの旅行者がスマートフォンなどを携行する今日ではもう役目を終えたような気もします。

隣駅は「磯分内駅」と「五十石駅」になります。

「磯分内」の駅名も漢字のならびに意味不明なものを感じます。

アイヌ語に漢字を強引に当てはめているのですから、意味不明も無理はないです。



標茶駅は大きな三角屋根が特徴の駅舎です。

「とんがり屋根」という視点で見ると、先の厚床駅と似ている…ともいえますが、実際に目の当たりにしますとその雰囲気は異なります。



どっしりとした安定感のあるその外観は“民族的”な印象です。

厚床駅のリゾートな雰囲気とはちょっと異なる空気を感じました。

駅舎入り口には、JR北海道の緑色(萌黄)の「標茶駅」の駅名、その下には「SLのふるさと 標茶駅」と彫られた大きな木板が掲げられています。



駅待合所です。

天井部は木がふんだんに使われた温か味のあるとても良い雰囲気のスペースであります。

時間は15時を過ぎています。

下校の学生さんの姿がちらほら…です。




待合所からホームに出ると、「SLのふるさと 標茶駅」の標柱と「釧網本線の歴史」と命題されたパネルが展示されています。





それらの展示の隣には、アメリカから輸入されたレールが展示されています。



説明パネルにあるように、展示されているレールは、摩周駅構内で1999年まで使用されていたアメリカ・イリノイ社製のレールだそうです。

北海道の鉄道資料館とか小樽駅ホームとかでは、アメリカのCARNEGIE社製のレールを鑑賞しましたが、このレールは初めて見るものです。





1番線ホームから跨線橋を上って2番線ホームへと向かいます。



窓の建具は木製でクラッシックな雰囲気を今に伝えます。

通路はやや狭目です。

天井が変わっていて船底みたいな形状をしています。



2番線ホームから駅舎方向を見ます。

ホーム庇の支柱1本1本にホーロー製の駅名標が添付されています。

よっぽど沢山製作してしまったのでしょうか?

ちょっとくどい感じがします。



2番線ホームに来たお目当ては「これ」です。



「標津線 ふるさとの鐘」モニュメントの向こうに見える標柱を観賞したいのです。



「標津線 起点 標茶駅」と彫られています。

なぜか“標茶駅”の文字だけ妙に小さく彫られています。

木柱が雨に濡れてコントラストが失われているせいもあるでしょうが、とても読み難いです。



こちらは更に読みにくくて…

「標茶町木」と彫られていて、その下には「楢」と彫られているようです。

楢(ナラ)は標茶町の木なんですね。

因みに標茶町の花は“コスモス”だそうです。



2番線ホームから、網走方面を見ます。

木柱と跨線橋とを見ます。

雲は厚くて雨が止む気配はまだありません。



暫く振りに走行軌跡を書いてみました。

標津線って本当にT字形をしているのがお分かりになると思います。

今回の標津線観賞は、標津町のピンク矢印からスタートです。

中標津町で左折?して別海町→奥行→厚床駅と走りました。

風連湖の先はもう根室です。

厚床からは今来た道(黄色矢印)を中標津町へと引き返します。

中標津町から今度は標茶町方面(紫色矢印)へと走り標茶駅を観賞します。

標茶駅から本日の宿泊予定の釧路へと走ります。(緑色矢印)

サロマ湖から走ってきた都合でこのようなルートとなりました。

実に無駄の多いようなルートではありますが、本人はこれが最善と信じて走ったのでありました。

2015年の北海道旅行は“GPSログ”に作図を任せようかと思っています。


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厚床駅 標津線 根室本線 9月5日 2014年

2015-04-13 | Weblog
雨降りの中ではありましたが、「奥行臼駅跡」をしっかりと堪能しました。

奥行臼駅の隣駅は根室本線の「厚床駅」であります。

こちらは勿論、現役の営業駅であります。

奥行臼駅跡からは11Kmほどの距離であります。

ほとんど通行車両の無い道を寂しく走ります。

根室本線厚床駅は地図で見ますと根室駅まであとわずかな距離にあります。



厚床駅の駅前ロータリーに到着です。

駅利用客のクルマやタクシー、バスなどの車両の姿は一切見えません。

ほんとにオジサンとオデ君、私たちだけです。

こんな雨降りの天気じゃなければ、また気分も違うのでしょうが、実に寂しい空気を感じます…ここは現役の営業駅ですからね。

ロータリーの花壇の花々が冷たい空気を幾分和らげています。



駅正面の全景です。

とんがり屋根のお洒落なデザインの駅舎はリゾートな雰囲気があります。

左右非対称なのも素敵です。

晴れた青空の背景にクリーム色の壁が映えそうです。

時間は14時頃でしたが、周囲には人影は全くありません。



待合所は整然とした雰囲気で、あまり人の気配を感じません。

木目の綺麗なベンチは木製のもののようです。



待合所を通り抜けてホームへと出ます。

ガイドブック等で何度も見た「標津線分岐駅」の記念木板です。

「写真で見たのと同じだなぁ~」って、当たり前ですけれど…



駅舎ホーム側出口と記念木板です。

記念木板の大きさは思っていた通りの、「ちょうど良い大きさ」でありました。



ホームから隣駅「初田牛駅」方面(釧路方面)を見ます。

ほんとに北海道って「珍しい名称駅」の宝庫です。(難読駅とも言いますね…)

廃線になった路線も含めて全て読めるようになると嬉しいです…書くのは無理だとしても…



ホーム下から駅舎を見ます。

先ほど、駅前ロータリーから眺めた駅正面の雰囲気と比べると、ちょっと「事務的」な印象を受けました。

この駅舎は1989年に建て替えられたものです。

建て替え前の写真を見ますと、切妻屋根の四角いカクカクとした駅舎で、現在のお洒落なものとは大分印象が違います。



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ガレージの桜 4月12日 2015年

2015-04-13 | Weblog
都内の桜は見頃を過ぎて葉桜に姿を変えています。

週末土日が雨にたたられる週が多かったのですが、本日は暫く振りの好天の日曜日です。

千葉のガレージの桜は満開を少し過ぎた状態ではありますが、私を待っていてくれた?(そんなわけ無いか…)かのように綺麗な花を咲かせていてくれました。




ホームセンターで購入し素人のオジサンが適当に植樹した染井吉野桜君ですが、立派に成長してくれました。

あと10年位すると見応えのある成木になってくれるでしょう。

やはり桜は青い空とキラキラした陽射しにこそ映えますね。



夜のガレージで「夜桜」ならぬ「夜クルマ」をビールを飲みながら愛でています。

カレラ君はここが好きですね。

多くの(ほとんどのPファン)の方々は大嫌いな部分らしいですが、それも含めて私は大好きですね。

歴代カレラの中で“誰にも”似ていないのが素敵です。

造形的にみてもすごく優れたデザインだと思っています。

996の最高のチャーム・ポイントです。



ほんとうに暫く振りの「R107君」ネタです。

そうですね、このブログの主役のはずのSL君です。

すっかりご無沙汰です。

SL君のチャーム・ポイントはこのテールレンズですね。

雨中走行での泥はねでレンズが汚れても後続車に確実に合図を送れるように考えられた造形だということです。

しかし、近年のメルセデスのデザインを見るとこのような形状のものは見られないので、他にもっと良い解決策があったのか、それともこのデザインは“徒労”だったのか…

ストーリーはさておき、超精密プラスティックの造形の美しさにうっとりとします。

酒の肴にはたまらんです。


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奥行臼駅跡 標津線 9月5日 2014年

2015-04-08 | Weblog
標津線観賞のハイライト…奥行臼駅跡にやってきました。(だいぶもったいぶった展開ではありますが…)

野付郡別海町の奥行臼駅跡ですが、難読駅名や地名の多い北海道ですが、この「奥行臼」というのは“難読”という程ではありませんが、“意味不明”という点では「なかなかの存在」だと思います。

地理院地図で周辺の地域名を観察しますと、「奥行臼駅」のある地域は、なんと!「奥行」という名前でありました。
すると、奥行にある「奥行臼駅」っていったい…ますます分かりません。

もちろん、ベースはアイヌ語ではあるのでしょうが…

北海道新聞社刊の例の「北海道 地名分類字典」で調べてみなくてはなりません…

それによりますと…

【奥行】(おくゆき、根室・別海町の字名)
ウコイキukoiki・ウシus・ナイnai=しばしば・戦った・川(永田・争闘せし処、根室ポロシリと厚岸アイヌが戦った)。
奥行臼の臼を省略。
奥行臼川が旧国鉄標津線奥行臼駅近くを流れ、風連湖に注ぐ

…とあります。

なんとなく分かったような解らないような…



奥行臼駅舎は写真でみた印象そのままに、小雨の降る中でひっそりと佇んでいました。

「そ~か…これが奥行臼駅かぁ~」
ここまで来る行程が結構サッパリとしたものだったので、このナチュラルな雰囲気の小さな駅舎がとても愛おしく思えます。

鱗模様の屋根の雰囲気も北海道の駅舎らしくて好感度高いです。



駅入り口にはこのような「別海町指定文化財」のパネルが設置されていて、その横には根室交通の「奥行」バス停があります。
奥行臼駅前のバス停なのに、「奥行」なのはなぜでしょう?

一日3便…日曜・祭日は運休です。
ほとんど学生さんのための便のような運行形態であります。



北海道スタンダードに則った端正なスタイルの駅舎であります。

パネル材などで補修された駅舎をよく見掛けますが、「奥行臼駅」は長年の風雪に耐え、往時の素朴な姿を保っているのは素晴らしいことだと思います。



駅舎入り口には、このようなパネルが添付されています。

冬季は休館のようです。

開館時間があるということは、毎日施錠などの管理業務を行う方がいるということですね。

毎月第一、第三月曜日が休館日となっています。

見学についての尊守事項です。

どれも当然のことだと思いますが…



駅舎横には「奥行臼駅」の歴史について書かれたパネルが掲げられています。

ペイントが擦れてきていて少々読み難いです。

とても興味深い記述ですので、頑張って打ち込みましたので以下に示します。

【別海町指定文化財】

奥行臼駅

所在地 別海町奥行十六地二十七~三十
所有者 別海町教育委員会
指定日 平成三年四月一日

 根室原野の開拓と産業の振興をはかるために敷設された標津線は、昭和八年十二月一日に厚床~西別間が開通し、当奥行臼駅は別海駅と並び一番古い歴史を誇っていたのである。
平成元年四月二十九日の廃止までの五十六年間、本町の南の玄関口として奥行、上風連地区の産業・生活・文化の発展に重要な役割をはたしていたのである。

本駅は昭和初期の建築様式の原型を留め、本町に五ヶ所を数えた駅の中で現存する唯一のもので、本町開拓の足跡を残す歴史的建造物として、文化財の価値を十分有するので関連施設を含めて町指定文化財に指定するものである。
 駅構内の貨物引込み線は昭和四十九年九月に廃止となり撤去されていたものを平成三年十一月に復元、又共同風呂は春別駅で使用されていたのであるが、平成三年九月に移設し、平成四年八月に現在地に復元したものである。

平成四年八月三十日
別海町教育委員会

…と、記述されています。



「やっぱりなぁ~」です。

先の「奥行臼駅逓所」とセットで作業しているのでしょうね。

ホント、こういうの“縁”が無いんですよね。

っていうか、博物館とか記念館とかの観賞にあまり興味が無いから、事前に開館日や時間を調べないからですよね。



駅舎横を通り抜けてホーム・路盤に出てきました。

いや~なんだか良い雰囲気ですね!

まさに「昭和初期の北海道の鉄道ってこんな雰囲気だったのだろう」…って思います。

右側の側線が先のパネルに記されていた、「復元された貨物引込み線」なのでしょうか。



ホームから駅舎を見ます。



雨に濡れる駅舎…建具も木製です。

この一つ一つの部材が本物感を増幅し臨場感を増しています。



駅舎は路盤と同じレベルに建てられています。

列車に乗車するには線路を跨いでホームへ上らないとなりません。





駅舎前から「厚床方面」を見ます。



振り返ってこちらが「別海方面」となります。



保線小屋でしょうか…「安全第一」のプレートが掲げられています。

扉は南京錠で施錠されています。



厚床方面の終端部です。

本線の左側に草に埋もれかけている側線…貨物引込み線が辛うじて見えています。



振り返って、駅舎とホームとを見ます。

左側に、十字型をした鉄道施設の残骸のようなものが見えます。



駅舎の前まで戻って、再度「厚床方面」を見ます。

雨に濡れた路盤とホームとが本物感を増幅しています。

列車が向こうからやってきそうです。

ホーム上の木製電柱には、電力線だか通信線だか分かりませんが、空中線が写っています。

このスパンだけのようですが、これも臨場感を盛り上げる要素となっています。



こうしてホームを振り返ると、駅舎からホームへと空中線が見えます。

おそらく、ホームの照明用の電力線だったのでしょうか…

オデ君も駅舎前で雨に濡れています。



駅舎を通りすぎて、別海方面に歩くと、そこにはまたホームがあります。

その先左側を見ますと、先の説明にあった【共同風呂は春別駅で使用されていたのであるが、平成三年九月に移設し、平成四年八月に現在地に復元したものである】という共同風呂らしきものが見えてきました。



風呂に近付いてきましたよ~

鉄道施設を見に来てお風呂の観賞とは意外でした。

形は小さな「小屋」でありますが、その独特の屋根形状や屋根から突き出た煙突などを見ると、まさしく「風呂」でしょうね。

入り口横に見える鉄製の箱のようなものはおそらく燃料タンクではないでしょうか…石炭じゃなかったのですね。




さらに「別海方面」に向かって歩きます。

クロッシング部に立ち前方を見ます。

線路はここから単線となります。



「この先はど~なっているのだろう…」と歩いてきました。

線路が草に覆われてきました。

「そろそろこの辺かなぁ…」

取り敢えず終端部を確認しようと側道に出て歩きます。



しかし、線路はまだ続いています。

雨の中を歩くのに飽きてきて、「そろそろ終わらないかなぁ~」なんて呟きながら歩きます。

レンズにも水滴が付着しています。




「ふぅ~」ようやく終端部に着いたみたいです。

草に覆われたそこには枕木が横たわっていました。

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奥行臼駅逓所 標津線 9月5日 2014年

2015-04-07 | Weblog
標津線観賞の旅で最も期待度の高かった物件?が、奥行臼駅跡です。

奥行臼駅舎とホーム、線路路盤が保存され鉄道公園のように展示保存されています。

それを目指して走ってきましたが、奥行臼駅入り口手前で思わぬものを発見してしまいました。

「奥行臼駅逓所」であります。

全く期待も予期もしていなかった物件でしたのですごく得をした気分です。

「駅逓所」とは、北海道で運用された独特の鉄道交通支援システムです。

今にちにおける同様のシステムというと…JRが運営する“メトロポリタン”とか“グランディア”などのホテル・グループなどが近い存在でしょうか…違うかな?

駅逓所は北海道を鉄道で旅する人々や周辺住民の生活を支えるシステムで宿泊施設は勿論、旅行者や荷物を運搬する馬の提供…現在ではレンタカーとかに該当する“トレンタ君”でしょうか…そのようなシステムの中核をなすのが「駅逓所」でありました。

2012年 旧松島駅逓所の記事はこちらから。



駅逓所前に設置された説明プレート。

ちょっと読みにくいですね…

もう少し大きくしてみましょう。



いかがでしょうか…下手な解説をするよりもこれを読んで頂いたほうが宜しいかと思います。



説明プレートには当時の駅逓所の写真も挿入されています。

いま目の前の駅逓所よりもライトな…垢抜けた感じに見えます。

写真が大変珍しかった時代ですね…子供たちの視線が興味津々です。

馬と馬子が写っています。

さしずめホテル前のハイヤーみたいな存在だったのでしょう。

屋根の形が…北海道ではポピュラーなアメリカン・カントリースタイルの“マンサード屋根”に近い形の目の前の屋根は、写真では割と普通の和風の形に見えます。

当時のこうした貴重な写真を掲載してくれてあるのは、とても嬉しいし参考になります。



早速、駅逓所建物に近付いて見ます。

草の状態を見ますとあまり人の出入りは頻繁ではなさそうです。



入り口横には立派な「奥行臼駅逓所」の縦看板が掲げられています。



雨の中、夢中で写真撮影をしているオジサンの腰下がガラスに写っています。

オデ君も写っていますよ。







駅逓所内部は修復工事のために平成30年まで公開を中止するとの案内板です。

ずいぶん長い工事期間ですね。



駅逓所敷地内には、幾つかの建物が庭を取り囲むように残されています。

まさかコテージみたいな別棟でもないでしょうが…



駅逓所の前には、こんな小さな案内プレートが、雨の中にポツンと立っておりました。


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別海駅跡 標津線 9月5日 2014年

2015-04-05 | Weblog
中標津駅跡から今度は厚床方面へと走ります。

国道243号線を走りますが、途中別海駅跡を通過します。

別海駅跡は近代的商業施設に姿を変え鉄道施設の面影を見ることはありません。



こちらが「別海町交流館ぷらと」です。

「ぷらと」はバスターミナルとなっていて、そこに発着するバス路線は、都市間バス「オーロラ号」は札幌駅前方面、標津線代替バスは 厚床駅方面、中標津バスターミナル方面へ。
中標津空港連絡バスは根室駅方面、中標津空港方面などがあるようでバス路線は結構充実しているようです。



「別海町交流館ぷらと」前の商業施設です。

大型のドラッグストアーなどの店舗がありました。

生憎の天気でしたが、駐車場は満車状態で商業活動は活発のようでした。

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中標津駅跡 標津線 9月5日 2014年

2015-04-02 | Weblog
上武佐駅跡から相変わらずの雨の中を走り、中標津駅跡にやってきました。

以前2012年に、「中標津空港」や中標津 丸山公園の C11 209号機を訪ねてやってきました。

C11 209号機の記事はこちらから。

中標津空港の記事はこちらから。


「標津線」は“T字形”の路線で「中標津駅」は、その中間点…Tの字の横棒と縦棒が交わる部分に位置します。

Tの字の横棒に相当する路線は、その先が「標茶駅」となり、釧網本線と繋がっていました。

もう一方の縦棒の先は根室本線の「厚床駅」となります。



中標津駅跡は広大な芝生(みたいな?)の緑地となっていて、往時の駅の規模が偲ばれます。

上武佐駅の標柱と同じデザインの標柱があります。

「映画の中標津」は何となく意味が分かりますが、「家族の中標津駅跡」って何でしょうか?



駅前?のロータリーを見ます。

駐車スペースもたっぷりで、オデ君も楽に駐車することができました。

歩道はウェービーであまりメンテナンスの手が入っていないように見えます。



中標津町交通センターは“阿寒バス”の営業所や鉄道資料室などが併設されていることになっているのですが、鉄道関係の展示は見掛けませんでした。

真剣に探していませんでしたので、見方が悪かったのだと思います。

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上武佐駅跡 標津線 9月5日 2014年

2015-04-01 | Weblog
このシーンは鉄道廃線本関係で何度も見掛けた気がします。

もう頭のイメージに焼きついている気がします。

道道を走っていると、チラッとこの映画看板が目に入ります。

写真で何度も見ていたので、実際の上武佐駅跡はそれと寸分違わぬ佇まいでそこにありました…

ただ…生憎の雨降り、オジサンの天敵的環境です。

もうクルマから出るのも面倒なくらいテンション急降下であります。

当然、辺りを散策、観察する気もそぞろ…目当ての標柱すら「クルマの中から撮っちゃおうか…」くらいのやる気の無さです。




1980年に公開された山田洋次監督作品「遥かなる山の呼び声」でロケ地となった上武佐駅跡には、写真のように駅跡の標柱とセットで映画看板が展示されています。

北海道には他にも多くの映画ロケ地があります。
映画ファンの方々にも興味深い北海道であります。

そう言えば、本日(4月2日2015年)の日経新聞に「ロケ地紹介アプリ」が掲載されていました。
「東京ロケ旅」という名称でロケ地や作品の情報が掲載されているそうです。



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川北駅跡 標津線 9月5日 2014年

2015-04-01 | Weblog
根室標津駅跡からおよそ10Km弱の距離にある「川北駅跡」にやってきました。(実はこの辺り…根室標津駅⇔中標津駅間を行ったり来たりしていましたが…)

「北海道の鉄道廃線跡」のテキストにもこの「川北駅」に静態保存されている「キハ22」が紹介されていましたので、ぜひ立ち寄ろうと予定していました。

川北駅跡に展示されているキハ22の前にはウッド・デッキと手作り感満点の木製フレームの駅名標が展示されています。



川北駅跡はこのように舗装された広場となりキハ22がポツンと展示されています。

雨降りのせいでことさら「孤独感」が強調された風景となっています。



川北駅跡の敷地は、おそらく駐車場として使われているのだろうと思いますがその一画には「川北ふれあいセンター」があります。

どのような活動をされているのか分かりませんが、本日は人の気配はありませんでした。



「キハ22」は北海道ではよく対面する気動車です。

蒸機が引退した後の北海道の鉄道輸送を支えた気動車ですから、それも当然であります。



以前、何度も書いた気がしますが「キハ22」を正面から見ますとなぜか、「一休さん」を連想してしまいます。

おそらく、ルーフのグレーのペイントがお坊さんの頭を想像するからだと思います。



想像していた「キハ22」よりも現実のそれはとても“瑞々しい”状態でした。

紙面で見た「キハ22」は、ペイントが劣化して、色調も白っぽいカサカサした感じに見えました。

雨が降って「濡れていた」せいも多少はあるでしょうが、綺麗にペイントが施されて「現役感」を纏っています。



綺麗にペイントされた車両ですが、せっかく再現された“JRマーク”が、JR東日本の緑色みたいな色調に感じました。





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