富内線終着駅の日高町駅跡にやってきました。
若干位置が分かり辛くて難航しました。
取り敢えず国道脇のGSで給油をします。
そこのスタッフさんに駅跡の場所を尋ねました。
しかしそのスタッフさんはイマイチ良く分からないようです。
すると隣で別のクルマの給油作業をしていた年配のスタッフさんが来て、「あの方向!」って指を指して教えてくれました。
ここで教訓ですが、廃線跡遺構を訊ねる際には年配のスタッフさんに尋ねることですね。
10代~20代の若いスタッフさんはそのような鉄道の存在すら知らない場合があるようです。
そのモニュメントは夏草に埋もれてひっそりとそこにありました。
標識や案内プレートがある訳ではありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/23/83d5113fe61cf172a645ac56ff49096b.jpg)
まるで住宅造成地のような雰囲気の場所にそれはありました。
画面中央の石がそうです。
そしてその奥に見える黄色い物体が親切に場所を教えてくれたGSです。
確かに多くの言葉など必要ないほどストレートな場所です。
スタッフさんの「あそこ!」の意味が良く分かりますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/16/23c2bb9f498669b0c3ff3b55f3f1b88c.jpg)
この写真の方が位置関係が良く分かりますね。
デッカイ花壇のような場所の中程にそのモニュメントは建立されています。
その向こうに先のGSがはっきりと見えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/c0/f8e132f9958980e55adfa8bb34ea706f.jpg)
今度はモニュメントの裏側に回って見ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/b6/08eb54e58984836988e677a1186768bb.jpg)
現役営業時の日高町駅の写真を見ますとそれはなかなか立派な駅舎で、それが廃止後には案内板一つも無く、この石碑一つになってしまうとは寂しいものですね。
若干位置が分かり辛くて難航しました。
取り敢えず国道脇のGSで給油をします。
そこのスタッフさんに駅跡の場所を尋ねました。
しかしそのスタッフさんはイマイチ良く分からないようです。
すると隣で別のクルマの給油作業をしていた年配のスタッフさんが来て、「あの方向!」って指を指して教えてくれました。
ここで教訓ですが、廃線跡遺構を訊ねる際には年配のスタッフさんに尋ねることですね。
10代~20代の若いスタッフさんはそのような鉄道の存在すら知らない場合があるようです。
そのモニュメントは夏草に埋もれてひっそりとそこにありました。
標識や案内プレートがある訳ではありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/23/83d5113fe61cf172a645ac56ff49096b.jpg)
まるで住宅造成地のような雰囲気の場所にそれはありました。
画面中央の石がそうです。
そしてその奥に見える黄色い物体が親切に場所を教えてくれたGSです。
確かに多くの言葉など必要ないほどストレートな場所です。
スタッフさんの「あそこ!」の意味が良く分かりますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/16/23c2bb9f498669b0c3ff3b55f3f1b88c.jpg)
この写真の方が位置関係が良く分かりますね。
デッカイ花壇のような場所の中程にそのモニュメントは建立されています。
その向こうに先のGSがはっきりと見えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/c0/f8e132f9958980e55adfa8bb34ea706f.jpg)
今度はモニュメントの裏側に回って見ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/b6/08eb54e58984836988e677a1186768bb.jpg)
現役営業時の日高町駅の写真を見ますとそれはなかなか立派な駅舎で、それが廃止後には案内板一つも無く、この石碑一つになってしまうとは寂しいものですね。